本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お釈迦さまは「繊細さん」!?

2020-06-03 20:13:50 | 住職の活動日記

新聞の書籍広告の欄に

『繊細さんの本』という題の

本が出ていました。

何か興味を引かれ読んでみたいと

思っています。

 

ところで、

「繊細」ということですが

英語ではセンシティブと、

では反対語はというと

いろいろあるようです。

良い面でも悪い面でも、

「図太い」とか「がさつ」

よく言えば「豪快」ダイナミック

という言葉があります。

 

繊細さんということはHPSとも

いわれています

Highiy Sensitive Person

感受性が強く敏感な気質を

持った人、ということです

詳しくは

①深く情報を処理する

②過剰な刺激を受けやすい

③共感しやすい

④心の境界線が薄い、もろい

⑤疲れやすい

⑥自己否定が強い

と、こういう特徴があるようです

 

仏教でも

繊細ということは出てきます

言葉としては「細」ということで

でています

で、その反対は「麤」(そ)と

いうことです

文字は難しく、鹿を三つ重ねて

あらい、という意味です

それで、

麤細という対の言葉として

出てきます。

 

この言葉は『唯識』の中では

「尋伺」(じん・し)という

ところで出てきます。

「尋」も「伺」も

一つの物事を深く探求する

というような意味です。

 

「尋」は尋求(ジング)ともいい

尋ね求めるということです

さとりという言葉で「覚」という

ことの意味が

おおまかに麤(あら)く尋ね求め

おしはかる(推度スイタク)心の

はたらきということです。

 

「伺」は伺察シサツともいって

伺い察する、ということです。

尋ね求めると伺い察するとは

似たような意味です。

 

私たちは面白いもので

起こった出来事を言葉として

とらえようとします

以前、バイクに乗って車に

跳ねられたという経験があります

跳ねられた瞬間は何が起こったか

理解できません

次の瞬間、痛さと飛ばされた

それは車にはねられたと

言葉になって理解できるものです

 

起こったことを麤く(あらく)

当たって飛ばされたと

そういう捉え方を麤

あらく物事をとらえる

それが尋ということです

それから、

周りで人の声が聞こえてきます

坊さんが撥ねられた!

それでやっと、状況が把握でき

自分なりに分析が始まり

大体の状況が分かってきます

この事が「伺」ということです

細かく分析できて

伺い察することができます。

 

例としては

不適切かもしれませんが、

物事をあらく捉えるのと細かく

緻密にとらえる

そういう意味で「麤・細」という

ことを使います

 

もっといえば

人間の心は「麤」ということで

仏さまの心は「細」という

ことになります。

人間の機微に触れるような

緻密な心でないと仏には

なれないということです。

 

お釈迦さまは

早くに母を亡くされ

多感な少年時代を送られます

お百姓さんが畑を耕していた

その時ミミズが出てきて

それをカエルが食べた

そのカエルを蛇が食べ

その蛇を鳥が飛んできて

咥えていった。

その様子をご覧になって

深く心は沈んでいった

という話や、

 

従弟の提婆達多が鳥を矢で射て

その鳥は自分が矢で射たので

自分のものだと主張します

その鳥を見つけたお釈迦さまは

この鳥の命は鳥のものである

と主張されます

そこで国中をあげての論争になり

結局は鳥の命は鳥のものである

ということになります。

 

そういうことを見ても

お釈迦さまはとてもセンシティブ

でデリケートな心の持ち主だった

ようです

そういう心がないと

仏法というのは

分からないのでしょう。

しかし、

ただデリケートなだけでなく

求道ということに立てば

命を捨てても悔いないという

勇猛心も求められます。

 

ある面ではデリケートであり

ある面では大胆不敵な

命を捨てても道を求める

という両方の心を

持ち合わせておられたのが

お釈迦さまのような気がします。

 

 

 

 

 

 

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