「智」は般若と音写されます
インドの言葉でジュニャーナ
パンニャーとなり
般若と漢字になったのです
『般若波羅蜜多心経』の
般若です
ですから『般若波羅蜜心経』
は智によって波羅蜜ですから
パーラミター彼岸へ行く
というような意味になります
智ということも辞書には
一切の事象道理に対して
きっぱりと是非正邪を決定し
断定しよく弁別了知して
ひいては煩悩を断ずる
主因となる精神作用のこと、
というように出ています
智のハタラキとしては
見ケンと忍と智に分けられます
見はおしはかる(推度スイタク)
忍は認めてよしと許す
智は疑いなく明瞭に断定する
というようにあります
「地というのは何が地だと
いうと、
地というのは立つところ
というのが地ですけど
何に立っとるかというと
智に立っとる」
というように
講義では出てきます
何だか難しい
この講義を読みながら
ふと思い出したのは
ある信者さんの事です
相談に見えられました
主人の浮気が止まりません
何か止めるマジナイのような
ものはありませんか
ということです
ご主人はよく仕事が出る方で
もし女性を作らなかったら
蔵が3つ建っているかも
という話しです
その時に私が言ったのは
ご主人はご主人
あなたの人生がご主人に
振り回され台無しになったら
その方があなたにとって
より大変でしょう
それよりあなた自身の人生を
本当に生きたらどうですか
ということで
どうしたらいいですか
もし時間に余裕があれば
毎日日参してみてください
毎日というと大変です
せめて1週間を単位として
まず1週間
それが出来たら次の1週間
そうやって毎日
お参りに見えられました
すると
2.3週間もすると
次第に
ご主人の出ていく回数が
減ってきたということです
奥さんの顔つきも
次第に変わってきて
ご主人が出ていくといっても
動揺もせず
どうぞ行ってらっしゃいと
見送ったそうです
このこともある面では
奥様が腹をくくられた
というか腹が座った
その堂々とした態度に
ご主人が何かを感じとられた
それから
3か月を過ぎる頃から
ピタッと女性通いが止んだ
ということです
なんだか、
「智」ということと
関係ないようにも思いますが
ある面では一つの「知恵」が
芽生えたのでしょう
よし、
自分は一人でも生きていくと
主人に頼らなくても
自分は自分で、という
決断が …
その覚悟の程を感じとられた
ご主人の方が
そのことによって自分の事を
考え直されたのかも
しれません
「智」という
本当の事実をよく見る
そのことによって
自分の立つところを「地」
を見出された
ということでしょう
こういうことも
一つのきっかけですが
智慧ということになると
そこからが本当の修行で
努力という加行道から
無間道・解脱道・勝進道と
段階が進んで行くのです。
こういう変な譬えを出すと
先生に叱られそうですが
私の勝手な譬えで
ご勘弁ください。