本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「機」という言葉も面白い

2021-09-11 20:49:27 | 十地経

機という言葉は非常に幅広い

内容を持った言葉です

仏教でも特に重要な意味内容を含んでいます

普通には、

機械とかいう言葉が

浮かびますが

機嫌とか機微などと云う

心の内を表現する言葉として

も使います

 

もとの意味は

機具の経タテを開閉する

道具の名、そこから始動を与える

道具の名となり、

きざし、おり、などの意味も

ここからきています

ということで

もとは道具の言葉が

始まりという意味できざし

というような心の内面を

表すようになったようです

 

そこで仏教に関する言葉を

見てみると、

機根、衆生の心の中に

   備わっている能力

 

機嫌、もとは人の嫌うこと

 機が嫌がるですから、

 そこから、気分、気持ち

「ご機嫌いかがですか」

という言葉になったようです

 

機微、かすかなきざし、

 仏の教えによって発動する

 微かな善を内に持っている

 ということ

 

機縁、衆生に能力があり

 動機があって、

 仏法を聞く縁があること 

 

というような言葉が

辞書には出てきますが

そういう内容を含んだ「機」

講義では

 

「真理の問題、

あるいは仏法の問題。

それは一番大事なものは

なにかというと、

その真理を見る機がね、機だ

人間がその真理を見るという

ことに気づくと、

それを機として真理は

はたらくんだ。

 

見なければ

真理があるといっても

ないのと同じであって

真理も死んでしまう。

真理がはたらこうとする

ためには、

人間が気づいてくれないと

困るんです。

 

人間が真理を求めるよりも

以上にですね

真理の方は人間を求めとる

一念一刹那も

休むことなしにですね

我々に語り掛けとるんです。

 

智慧というものは、

人間が求めるものじゃない

かえって

真理が人間に求めたものだ

もし人間が求めないならば

真理もないのと同じものに

なってしまう。

 

真理が真理になるために、

人間が必要なんだ。

絶対の真理が絶対の真理に

なるために、

不完全な人間が必要なんです

こういうところにですね、

人間を機として真理は展開

するんだ

こういうところに

人間のかたじけなさ

というものがあるんです

 

人間が尊重せんならんと。

人間の尊厳性ということを

いいましょ。

人間というものが尊厳だと

いうのはそこにあるんだ。」

 

絶対の真理が完成するには

不完全な人間が必要なんだ

という言葉は

50年前に聞いた言葉ですが

今更ながら再び

新鮮な言葉として蘇ってきます

 

「人間を機として

真理は展開する」

ということも、そこに人間の

尊厳性があると

不完全ではあるけれども

その不完全な人間が

真理を展開する

何かしら、大きな問題が

隠されているようです。

 

 

 

 

コメント
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