自分の命も省みず、一命を落とされました。
30歳という若さ …
とても悲しいお葬式でした。
そのとき、お釈迦さまの物語を思い出しました。
法隆寺の 『 玉虫厨子 』 に描かれている二つのお話です。
『 施身聞偈 』 ( せしんもんげ ) と
『 捨身飼虎 』 ( しゃしんしこ ) という、
仏教の精神を表す根幹の物語です。
羅刹に教えを請います。
「 諸行は無常なり これ消滅の法なれば 」 …
羅刹は言います。
「 自分は今とても腹が減って、何かつぶやいたのかもしれない 」
雪山童子は
「 この言葉は確かに真理の言葉です。
残りの半分を聞かせてください。」
「 では代わりに自分の空腹を満たしてくれ ! 」
と、羅刹は童子に迫るのです。
「 わかりました、教えを聞いた後は
私の身体をあなたに差し上げます。」
「 消滅を滅し終わって 寂滅の楽と為す 」
この残りの半偈を聞き終わると、
童子はこの文句を書き付け、
自分の体を羅刹の口めがけて飛び込むのです。
教えを請うために自分の体を投げ出す。
( ここまでは何とか理解できるのですが … )
次の 『 捨身飼虎 』 の話は
お腹をすかしたお母さん虎が今にもわが子を食べようとしている。
そこで、太子は自分の身を飢えた虎にささげるのです。
今の私たちの感覚からすると、
到底理解できる話しではありません。
聖徳太子はこの話に深く感動され、
『 玉虫厨子 』 にこの物語を書き記されたのです。
仏教の説話の中には、自分の身を捨てて他にささげる
という話が数多く出てきます。
『 忘己利他 』 ( もうこりた )
己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり。
話としてはわかるのですが、
いざ、自分の子どもが … と考えると、
なかなか理解しがたいものがあります。
今日の方も 行いとしては立派でも、
「 なぜ自分の子が … 」
という、割り切れないものが残られているのでしょう。
生ぬるい考えになっていた私に、
『 捨身 』 という、根本的な問題を突きつけられたような思いでした。
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