本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

染浄世界と純浄世界

2024-06-11 18:17:31 | 十地経

染浄世界と純浄世界

このことも

よく分からなかったこと

なんです。

 

「染」というのは

心が悪に染まっていく

ということで煩悩のことで

詳しくは染汚(ぜんま)と

いいます。

ですから、染浄というのは

染と浄

汚れた世界と浄、清らかな

世界が交わっている

ということです。

 

最初聞いた時は

善いか悪いか、善悪と

いうような二つの世界で

いいのではないかと、

さらに、純浄という

もっぱら純浄の世界と

いうことが必要なのかと

思っていました。

 

「仏子よ、たとえば

二つの世界の如し。

一つは染浄世界、二つには

純浄の世界、というんです

この染というのは、

染汚ゼンマというんです。

それから浄というのは、

清浄という意味です。

 

この二つの世界といっても

染汚の世界と清浄の世界と

いわずにですね、

染と浄とのある世界と、

もっぱら浄ばっかりの世界

と、こういうように

二つの世界になっとる。

 

染と浄とが交わっとる世界

と、もっぱら浄そのものの

世界と、こういうような

これで二つになっとる。

ここの

交わるというところに何か

非常に意味がある

のではないかと思います。」

 

考えてみると

仏教では「十界」といって

私たちの住む世界を十に

分けて考えます。

下からいうと

地獄・餓鬼・畜生・阿修羅

そしてその中間に人間

その上に天という世界

ここまでが迷いの世界です

その上に仏の世界が

声聞ショウモン、縁覚エンガク

菩薩・仏とあります。

 

人間という字も

よく見れば不思議な字で

当たり前に(にんげん)

と読んでいますが、

熟語としてみても

人をニンと読む熟語は

ないようですし、

間をゲンと読む熟語も

見当たらないようです。

漢字からいえば

人間はジンカンです。

人類とか人生とか。

 

これは呉音で読むと

ニンゲンですが

漢音で読むとジンカンです

ですから、

人間という字も仏教語の

読みではないかと

思うのです。

 

十界にしても

人間の立場は中間です。

上には仏がいて

下には地獄がいる

つまり間的アイダテキ存在が

人間です。

人と人との間で苦しみ

スルメのようにぺったんこ

になっているのが

私たちのあり方のようです

 

十界から見ても

天から地獄までの間が

染浄の世界でしょう

もっぱら浄そのものの

世界が声聞・縁覚・菩薩・

仏の世界でしょう。

私たちの生きている世界は

六道輪廻ロクドウリンネと

いいます。

地獄餓鬼で苦しみ

少し良いことをしては

有頂天になりという、

そういう染と浄が

交わっているのが私たち

の世界のようです。

 

「我々の場合でも

まあ七地でなくてもですね

宗教心というようなことが

あるんですが、

純粋に菩提心を起こして

来い、といっても

なかなか来れやしません。

また、そんなこと

人に言うもんじゃないです

そう言っとる人間が

まず起こせということに

なるんですね。

 

だからして

菩提心のない人はないと

思うんです。

それが何か他のものに

覆われとるんです。」

 

というように続きます。

なかなか大事な問題が

展開していきます。

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 力ある人は非常に静か | トップ | シュトゥルム・ウント・ドランク »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事