本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

シュトゥルム・ウント・ドランク

2024-06-12 20:48:47 | 十地経

シュトゥルムというのは

英語のストーム・嵐という

意味になり、

ドランクは衝動とか渇望

という意味です。

この言葉も広辞苑にある

ので有名な言葉なのです。

広辞苑には「疾風怒涛」

とあります。

ゲーテが興したドイツの

文学革新運動という

ことです。

こういう言葉を安田先生は

宗教心が抑圧されている

という意味で

使わてれいます。

 

「宗教心のない人という

のはないもんだ。

ただ、それがみんな何か

他のものに、

覆われとるんだと

思うんです。

よくシュトゥルム・

ウント・ドランク

(sturu und drang)

ということがあります。

何か圧迫されることです。

 

ドランクというような

状態じゃないかな。

その純粋な宗教心が展開

したいんだけど、

それが圧迫されとる。

何か押さえられて。

 

だからして

起こさんのじゃない、

圧迫されとるんだ、

宗教心が。

その人自身は分からんです

その人の底を流れとる

宗教心が圧迫されとるんだ

 

だからその人は、

圧迫されとるのもその人、

圧迫しとるのもその人です

その人が二重性をもっとる

んです。

その人というのは人間です

圧迫する方も自分だし、

圧迫される方も自分なんだ

自分がそういう

二つの世界を……。

 

人間というのは、

単純なものではない

のであって、

人間そのものが何か

中間的なもんですね。

 

パスカルのいうのは、

人間のあり方が中間的だと

それは、緊張と弛緩ね。

その間の中間におると。

 

人間は朝から晩まで

まじめにしておれんと。

じゃ遊んどれといったら

朝から晩までは

よう遊ばんのです。

哀れなもんです。

よう遊ばんのや。

そういう具合に緊張と弛緩

というものの間を何か、

ふらついとるものが人間

だと。

パスカルの有名な話です。

 

だけど、

緊張と弛緩でも

まあ悪くはないけど、

いまいったようにですね、

この純浄の世界と……。

染浄ですね。

こういう中間です、一つの

人間そのものが中間なんだ

 

それで、

この染浄の世界というのは

交わっとるんです。

この交わるというような

ところに本当の現実という

ものがあるんじゃないか。

純粋に浄とか、

純粋に染とかいうものは

かえって抽象的であってね

 

実際に現実に具体的な人間

というものは両方持っとる

という感じがする、がある

んじゃないかと

僕は思うんです、

雑起しとるという。」

 

人間の在り方を

そしてその底には菩提心を

もっているということを

いろいろな人の言葉を

駆使して表現されている

ことは面白いところです。

 

 

 

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