本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

沙門(しゃもん)

2023-05-19 20:26:46 | 十地経

仏教者の姿勢のようにも

「沙門」

弘法大師も「沙門空海」と

名乗っておられます

また、「沙門良寛」という

書の肩書にみえます

ですから、

私も望むらくは

「沙門律良」というように

お位牌には書いて欲しいと

お坊さんにはやたらと

なになに大とか中とか小と

僧正というような

付きますが、そんなのは

必要ないのではないかと

 

沙門という言葉も音写で

もとはシュラマナというのが

語源のようです

意味も広くあり

勤労・功労・勤懇・浄志など

面白いのは息悪という

これは悪を息(ヤメ)る

修道という訳もあり

これが一番いいようです。

 

でも、出家者の総称で

剃髪し悪を息(ヤメ)め、

心身を整え善を勤める修道者

ということです。

 

講義では

 

「仏教では沙門という。

沙門はヴァンデルング、

遍歴者である。」

 

とまずでてきます

安田先生はよく

ヴァンデルングということを

言っておられます

逍遥学派と古代ギリシャでは

思索するということは

歩きながらということです

 

仏教では「遊行」ゆぎょう)

というようにいいます

お釈迦さまも安居に向けて

歩きながら村々を訪れ

祇園精舎に着いてそこで

安居に入られたのです

 

勝手な考えですが

巡礼とか遍路というのは

そういう遊行ということが

もとになっているのでは

ないでしょうか

今では車で回りただ御朱印

集めのようになっていますが

本来はその道中が

思索の道場であり三昧だった

のでしょう。

 

さらに講義は

 

「二乗は家なきところを

もって住居となす。

家は人間を維持するもの

ではない。

人間はまず第一に家から

解放されねばならない。

人間の解放はまず家を出る

ところから始まる

というのである。

家を捨てれば二乗になる。

家に住すれば凡夫になる。

家を出るのは逃避する

ためではない。

 

家に住して家を超えるのが

菩薩である。

家から解脱するために

家に住する、

それが菩薩である。」

 

となかなか難しい問題です

今では当たり前のように

お坊さんも結婚します

そしてマイホームを構えます

それに何の疑問も持たない

のですが、

先生の言葉を借りれば

「家から解脱するために

 家に住すると」

全く矛盾する言葉ですが

今となっては何となく

分かるような気がします

 

以前中国へ行った時

通訳の方が

「日本のお坊さんは結婚

出来ていいですね」と、

その時の反論が

「でも、結婚することも

大変ですよ!」

というと、

「中国の女性も強い !

結婚するのも大変ですよ」

と、妙なところで

気が合ったのですが

 

ある面では、結婚生活は

在家の修行ということも

いえるようです。

そういうところから

一歩出れるかが修行の

しどころですね。

家を超えるという

家に住し家を超える

逃避するのでなく

そういう大きな問題を

含んでいるのが結婚生活と

いうことではないでしょうか

 

で、沙門ということも

いろいろあって

勝道沙門という、

お釈迦さまのような人

示道沙門(じどうしゃもん)

道を説いて指し示す

舎利弗シャリホツのような人

命道沙門という

命は生活という意味ですから

道によって生きる人

つまり阿難のような人です

それから

私にぴったりな沙門

汚道オドウ沙門

道を汚すという沙門です

偽善者ということでしょう

 

なかなかお経は見逃さない

私のようなええ加減な人も

ちゃんと押さえているのです

お経に感服。

 

 

 

 じどう

 

 

 

 

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