本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

本当の自分とは

2022-10-09 20:16:26 | 十地経

よく、自分探しの旅に出る

ということをいいますが

なかなか旅に出て本当の自分

との出会いということは

ないように思うのですが

出会ったと思い違いを

しているのは

自分にとって都合のいい自分

に出会っているだけです。

 

講義の中では

「ここに穢土を荘厳する、

今度は浄土を荘厳すると、

穢土と浄土というものが

出とる。

世界が二重になっとる。

自覚というものが

そうだと思う。

 

生まれるということも、

すでに生まれとるじゃないか

という疑問が起こるでしょう

だからして、

改めて生まれるという、

今生まれとるのは

本当の存在でないと、

もう一つの存在があるはず

だと、

だから再生ということを

いうわけです。

 

この生を延長するんじゃない

この自分は

本当の自分じゃない。

もう一人の自分がある。

根底に眠っているじゃ

ないかと。

自分に遇うとらん。

 

我々が腹が立ったとか

正しいとか、

あいつはひどい奴だとか

いうような自分は

迷っている自分です。

本当の自分じゃない。

本当の自分にまだ遇うて

おらんのです。

 

世界と共に生き

世界と共に死ぬるという、

そういう自分にはなっとらん

不平不満だらけの自分だ。

そんなものは

自分じゃないだろう。

何か二重になっとるが、

その二重の中を逃げ出そうと

せずに、

どれだけ穢土であっても

穢土に絶望せずに

その意味を再発見してくると

こういうことが穢土の荘厳

ということだろうと思います

 

例えば、

病人になったというときに、

病人とは情けないから

早く治りたいと

いうんですけども、

しかし病気するときには

病気しとるのが一番いい。

病気するという義務がある。

そういしてみると、

情けないということは

いらんことなんだ。

ああ情けないというのは

煩悩だ。

 

したがって、

これは情けないということを

考えることで

情けなくなるんです。

病気しとるのはなにも

情けないことあらせん。

 

だからそういうとき、

今病気しているときには

病気を治すということが

自分の使命だ。

そうしてみると

病気を逃げ出そうとせん。

そこに病気を超えた

広い世界を見出してくる。

 

病気でなければ

分からんような世界を。

健康だったらこんな世界に

気がつかなんだろうと、

病気したおかげで

独自な大きな世界を見出した

と、

これはぴんぴん健康になる

よりもうらやましいことじゃ

ないか。

 

そういうようにして、

人間は皆各々大きな世界を

背負うとるんですけど、

見つからんのです。

不平不満で他に探しとるんだ

困らん世界を。

 

困るのはなにも

困らしとるわけじゃない。

困らせるものなくして

自ら困っとる。

それだから非常に惨めなんだ

 

貧乏なのが

不幸なんじゃない。

貧乏ということを

恨んどるのが一層不幸なんだ。

不幸じゃない、

不幸以上なんだ。

悲惨でしょう。

不幸というのはべつに 

悲惨じゃない。

 

そういう点で、

世界というものに

一つの新しい意味を

見出してくるというのが

穢土を荘厳する

という意味です。」

 

この言葉も

先生が長い闘病生活から

見出してこられた

ことのようです。

 

よく分かりませんが

自分に絶望した時に

意外と本当の自分に

出遭うのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

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