かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

遊びをせんとや生まれけむ

2024年06月22日 | これからの働き方・生業(なりわい)

後白河法皇による『梁塵秘抄』で知られる今様の有名な一節

 

「遊びをせんとや生まれけむ」

 

無邪気な子どもの遊びに触発された気分を素朴にあらわした歌かもしれませんが、最近私はこの言葉には、とても深い大切な意味があると感じるようになりました。

 

それは、このところ仕事やボランティアなどの活動で、東へ行っても、南へ行っても、北へ行っても、いい仕事を追求しようと思えば思うほど、それを「仕事」や「作業」としてやっているようではダメだと感じることが多いからです。

「仕事」なのだから、スピードや効率、生産性や採算などをしっかりとふまえなければならない。

「ボランティア」「非営利」なのだから、お金はかけられない、技術が低いのはやむをえない。

などといったもっともらしい理由に、どうも納得できないことが多いのです。

 

相手が「世間」ではなく、自分の時間を使う自分の活動であれば、それが仕事であろうが、ボランティアであろうが、自分が目的を達成するためには必要なだけ、時間やお金などの労力をつぎ込めることこそが幸せの最大条件だと思うからです。

このことにあらためて確信をもつきっかけとなったのが、「遊び」という言葉です。

 

「遊び」には、そもそも「サボる」だとか、「手を抜く」という発想の入り込む余地は、まったくありません。

「遊び」の最大要件が、「好きだからやる」「面白いからやる」「楽しいからやる」だからです。

 

ただ、今やっていることに無心に集中している自分や仲間の時間の充足度がすべてです。

やりたいことであれば、お金がないなどという言い訳は考えません。

技術や能力がないなどとは考えず、必要なことは身に着ける努力を惜しまずします。

こうした発想に、

「仕事なんだから」とか

「ボランティア(非営利)なんだから」

といった発言はことごとく反します。

 

もちろん、妻子や従業員を養ったり、親の代から背負った借金を返すため一生懸命に働いている人たちや、思うような仕事にありつけず日々最低限の暮らしを維持するためだけに必死で働いている数多の人びとには、何をバカなことを言ってるのかといわれることもわかります。

先の「遊びをせんとや生まれけむ」の言葉も、しょせん天皇や貴族の余裕のある人たちのことだから呑気に言ってられるのだろうというのもわかります。

それでも、最終的にこの世に人として生まれてきた限りは、どのような幸せを目指しているのかと考えたとき、まじめに仕事や必要な作業をこなすことではなく、「遊び」こそを真剣に追及するべきではないかと思うのです。



私のホームページ「Hoshino Parsons Project」https://www.hosinopro.com/のなかでも、上の写真の本などは、かなり私のテーマの核心をなしています。


  ・デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店

  ・アニー・J・ゼリンスキー『働かないってワクワクしない?』ヴォイス

  ・泉谷閑示『仕事なんか生きがいにするな』幻冬舎新書

 

ただ仕事の能力のない者の言い訳にすぎないのではないかと言われても、否定はできません。

それでも、真剣にに「よい仕事」をしようとするならば、職務や予算の範囲内でとか、納期を守ってこそとかいった当然の責任の範囲内でしかものを考えられない限りは、「よい仕事」でも、自分の人生の満足できる仕事にはなかなか至りえないのではないかと思ってしまいます。

相手を非難する表現として「遊びじゃないんだから」と言われることもありますが、この場合は、責任を果たす真剣さに欠けていることを指すような場合が多いかと思いますが、私は、真剣な遊びの方がレベルは上だと思っています。

「真面目な仕事」や「真面目なボランティア」よりも、熱中する「真剣な遊び」の方が上です。

「遊び」の域に到達しないと、無条件に熱中するものにはなりえていないのではないかと。

もちろん、すべてで「遊び」に徹することなどできることではないかもしれませんが、少なくとも「遊び」の領域を目指すことを、安易に不真面目であるとか、仕事に真剣さが足りないからだなどとは思わず、大真面目に目標として考えていきたいと思います。

ましてや、遊びが一番の仕事であるはずの子どもたちが、塾やスポーツクラブなどでスケジュールびっしりの生活をするなんて、もっての他だと思います。 


人としてただ一度の人生を、この世に生まれたかぎりは、 


  遊びをせんとや生まれけむ




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広い野原を自由に飛び回る音楽

2023年10月27日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

そこは、ちょっと畑のような、ただの野原のような、規則性と不規則性が入り混じった広大な野原。

 
そこに電子ピアノが一台置かれている。
 
そこに誘ってくれた何か図書の仕事をしている若い女の子と、音楽の話をしてくれる女性と私の3人で、何やら音の表現についてやり取りをしていた。
 
最近、長いことピアノにはさわっていないけど、二人について行けるか不安をかかえたまま、まぁなんとかなるだろうと対話に加わる。
 
最初に簡単なコード進行に合わせて、ベースラインだけあわせる。
 
これだけやってれば、こんなに自由に歌えるのよ、と彼女。
 
え?そんなに簡単?
 
といっても、彼女は初見で楽譜を自由に読めてるじゃないか。それは俺にはついていけないよ。
 
そうじゃないのよ。
この音とか、この音。
それに乗せていけばいいの。
 
この感じがわからないなら、
そっちのピアノのフタを外してみて。
(あれ?電子ピアノじゃなかったのか)
 
そこで言われるがままに、畑の一番端っこにある方の蓋からひとつずつ外し始める。
 
そんな遠いところから外さなくてもいいのよ。
 
あ、そうか。
そっちの近くだけでよかったのか。
 
これで音がわかるでしょ。
 
コードはここがAm
といって彼女は畑の一角にぴょんとはねる。
そして、こっちがDmと、次の畝にぴょんと跳ねる。
こうして、どこにでも跳べばいいのよ。
と、飛んだ先のコードに合わせながら、現代風の歌を歌ってピアノ伴奏も続けている。
 
え?
音楽って、そういうこと?
 
そういう間にも、彼女は広い野原をどんどん遠くまで自由に飛んでいってしまう。
 
人参の音。
 
キャベツの音。
 
ドングリのメロディー。
 
こっちはススキのメロディー。
 
(わっ、そんなにどこでも行っていいんだ)
 
 
すると突然、ここに案内してくれた図書の女の子がその場に泣き崩れてしまった。
 
あたしの今までの活字の世界は、一体なんだったの?と。
 
 
するとピアノの彼女、
何言ってるの。
音も言葉も同じでしょ。
ほら。
 
と、また自由に歌い出すと、
さらに彼女は泣き崩れてしまった。
 
そこまで泣き崩れる彼女をみて、
俺はどうしたらいいんだ。
 
そうだ、あの曲なら俺も自由に飛んでいけるかもしれない。
 
そう思い、自分の宴会芸、ラベルのボレロ山下洋輔風をこれまでのアクションよりもっと派手に指や肘、足を使って弾き始めた。
 
そうか俺はこの感じでいいんだ。
これで行けば出来るかもしれない。
 
 
 
ざっと今みた夢を文字起こしすると
こんな感じでしたw
 
自由に出来るはずなのに、
自由に出来る自由と
自由にできない自分たち。
なんか突破口が見えたような。
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数をたのまず

2023年10月24日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道

生まれてこのかた好景気を知らず、
たとえ投票率が劇的に上がったとしても、
自分たちが多数派になることはあり得ない今の若い世代。

そうした時代に生きる彼ら彼女らの思考に、私はここ数年、どれたけ大切なことを教えられたことでしょう。

 

今日の小選挙区制に代表される、51人の考えを49人に押し付ける多数決の考え方が、どれだけ民主主義そのものを劣化どころか破壊をしているか。

われわれ世代の、多数派を目指せばまるで「正義」が実現されるかの安直な思考が、いかに間違っていたか。

そもそもものごとというものは、多いか少ないかではなく、個々の存在価値を認め、それぞれのクオリティを高めることこそが大事なのだと彼らはいつも教えてくれる。

「正しい」を実現することよりも、まわりに良い影響を与えられる「個」になれと。

そしてそこには、理念や方針の正しさ以上に、プロセスの「丁寧さ」が不可欠なのだと。

われわれの同世代(一部の真面目なみなさんには申し訳ないけど)には、この「丁寧さ」というのが決定的に欠落しています。あまりにも、継ぎはぎだらけの足し算思考ばかりです。

この「丁寧さ」があれば、結果的に答えは見えていなくても、より着実に大きなものにたどり着ける。

「丁寧さ」の欠落したところに、「信頼」は生まれない。(ここが私には一番難しい😅)

それでも彼らのおかげで、わたしの働き方、暮らし方も随分変わってきたのを感じます。

世の中の軸足が、なにを「する」かの時代から確実に、どう「ある」かの時代に変わりだしているのを感じます。

 

心から若い彼ら彼女たちに感謝しています。

 

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あまりにも実態が知られていないインボイス制度と消費税

2023年09月23日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道
1000万円以下の零細事業者、個人事業者、あと副業事業者にとっても大変なことになるのに、ほとんどその実態が知られていないインボイス制度。
 
そもそも、「消費税は預かり税ではない」
国会できちんと確認されていることにも関わらず、橋下徹とかは、消費者から預かったお金を納めないのはおかしいなどと、未だにデマを流す。
 
もともと消費税は「売上税」として提案され、猛反対を受け、名前だけ「消費税」と変えて押し通した制度です。
 
ざっくりと言うと、
事業者の純利益に対して課税されるのが法人税。
事業者の粗利に対して課税されるのが消費税。
したがって法人税は、利益が出ていなければ払わなくてよいものですが、消費税は取り引きそのものに課税かれるのです。
この意味で、最初の「売上税」という表現が本来は正しかったのです。
さらには、粗利つまり、仕入れ値に上乗せされた利益に課税されるという意味では、ヨーロッパの「付加価値税」という表現の方がより実態にあった表現であるといえます。
 
それを事業者ではなく消費者が負担してくれるものかのように名前を変えて擬装したことが、今日の誤解をうむことになっているわけです。
 
 
かつて直間比率の見直しということが叫ばれていましたが、いつの間にか聞かなくなりました。
それは、直接税である法人税の比率を下げ、間接税の消費税を上げることが実現したからなのですが、大企業や経団連が消費税増税を大真面目に叫ぶ理由は、それだけではありません。
 
消費税は国内での取引に課税されるものであり、輸出や国際輸送に類似する取引では免除される。
具体的には、輸入貨物を課税対象とする一方で、輸出取引については免税とします。
 
これがどういうことになるかというと、
 
輸出企業は、輸出する商品やその部品を仕入れた際、すでにその対価とともに消費税分の金額は支払い済みだということになっており、その消費税分はほとんど還付されてくる。
その実態は、古い数字しかありませんが、2008年の消費税の還付総額は約6兆6700億円。
この金額は、同年度の消費税収約17兆円のおよそ40%。
これら内訳の大半は、輸出大企業によって占められています。
 
輸出企業の免税実態
輸出大企業に消費税1.2兆円超還付 税率10%で1810億円増大 | 全国商工団体連合会

輸出大企業に消費税1.2兆円超還付 税率10%で1810億円増大 | 全国商工団体連合会

元静岡大学教授・税理士 湖東 京至さんが推算  トヨタ自動車をはじめ日本を代表する輸出大企業10社に、2020年度だけで1兆2千億円余りの消費税が還付―。消費税10%への増...

全国商工団体連合会

 
日本の法人税が諸外国に比べて高すぎることが、かつて声高に叫ばれていましたが、見かけの数字とは違って実効税率が大企業ほど異常に低いことがこれらのことからもわかると思います。
 
 
この輸出大企業への消費税の還付金の問題は、明らかに企業一般の問題ではなくて、ごく一部の輸出大企業(=経団連)のために、多くの企業が払っている消費税が分配されているのだということが知られていません。
 
 
もともと、低所得者ほど負担比率が高くなる消費税の逆進性を少しでも是正するためにある免税事業者制度です。
これが実態としてなくなってしまうのですが、こっちの少ない額の方をイジメるセコさにも呆れるばかりです。
でも彼らの側には、自分達だけの利益を守ろうとする強い動機と巨額の献金を通じて政治を動かす力があることを忘れてはなりません。
 
税そのものが悪いという話ではなくて、この国がとことん低所得者たちから広く集めた税を、大企業優遇のために使い続けているために、ひたすら国内消費が冷え込み、企業自身が自力で成長する力も無くなってしまっていることをもっと理解すべきです。
 
先進国で日本だけが長引くデフレで落ち続ける原因は、消費税にこそあります。
消費税のような性格の税は、インフレの時こそ効果のあるもので、デフレの時期にその増税をしていることは真逆の判断を続けていることに他なりません。
 
インボイス制度などこれらは面倒くさい話かもしれませんが、こうしたことを一つひとつ理解していくことは、私は選挙の投票行動以上に大切なことと思います。
 
以下のYouTube動画がとてもわかりやすいので、是非見てください。

 

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これから始まる人類の本史

2023年05月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

#ChatGPT の日常への浸透スピードが凄い!もう、この勢いは止まりません。
AIやロボット、ChatGPTにどんどん人間の仕事が取って代わられる話もしきりです。

でも、ものごとを深く考えることで、これらの技術で取って代わる論理的思考のレベルは、人間の思考では極めて初歩段階のものにすぎないことがわかってきます。

ただの情報や論理は、どんどんAI、#チャットGPT などに置き換えてなんら問題ないと思います。
確かに日常の仕事や暮らしは、膨大な情報の処理で成り立っている部分が圧倒的な比率を占めているので、そこに革命を起こすAI、ChatGPTが社会にもたらす変化は、間違いなく劇的なものがあります。


そもそも人間の活動にとって本当に肝心なのは、

①論理では貫けない感情の力
 (どんなに理屈で筋が通っていても感情で受け入れられないと通用しない例など)

②確率統計をもひっくり返す意思の力
 (たとえ1%の可能性であっても強い意志の力で乗り越えられる場合があることなど)

③人間のコントロールの及ばない圧倒的な偶然性の支配下にある自然界の現実、
 (いかに科学技術や文明が進歩しても、私たちを覆う自然界では、隕石の衝突や様々な災害や疫病、気候変動などの偶然性や奇跡の連続ともいえる外的要因によって、今日のわれわれの存在は支えられている実態がある)

④意識を介在せずに成り立っている生命過程
 (自然界はもとより人間の個体レベルでも、大脳意識の介在しない無意識の自律神経系の活動によって生命は成り立っていることなど)

など、これらを前提とした「社会一般」ではなく、

「私」と「あなた」の今日の思考と決断、行動と暮らしです。

 

 AIや量子コンピュータの仕組みなどを見れば見るほど、人間の高次神経機能や思考の世界といっても、基本は基礎的な生命の化学反応の積み重ねで、99%以上は同じ物理法則の上で成り立っています。

 



人間のする仕事が無くなるかの議論がありますが、とんでもないことです。

先の四つの要素から考えれば、人間と自然の生命過程こそが、世界の基本構造なのだから、きちんとした食生活をしようとしたり、子育てや家族との時間を大切にしたり、生命を支える自分の畑を耕したりする生活、それらのことが日常の現実とても忙しい毎日です。


 関連ページ(「経済活動」よりも「生命活動」に「信」をおく社会

食っていくために稼がなければならない仕事から解放されて、生きていくためにしなければならない膨大な生命時間にこそ、手間と労力をつぎ込む社会に向かいだすことは、なんら間違ったことではないはずです。
もちろん、その転換は容易いことではありませんが、その努力と苦労こそ、最も人間がやる価値のあることです。

生命と向き合うということは、そこにこそより手間暇をかける価値があるということですから、他の領域はどんどんAIやロボットに置き換えられてもなんら問題ないはずです(^^)

これまで私たちがイメージしてきた未来社会像とは、もっぱらこんなイメージでした。

 

 

 

でも、これからの私たちがイメージする未来社会は、AIやロボット技術などのおかげで膨大な情報や作業に支えられた部分は、限りなく見えない世界(地下やバーチャル世界)に押し込められて、普段目にするのは、以下のような世界なのだと思います。

 

 

 


コロナパンデミックで世界中がわずか数日ロックダウンしただけで、
私たちは見たこともないような澄んだ空を見ることができました。



人類は、あまりにも稼ぐためだけのしなくても良い仕事に追われ続けて、

GDPに換算されない大切な生命時間を犠牲にし過ぎてきたことに気づくだけの話です。



ここから私たち人類の自然過程にしっかり寄り添った人類の「本史」が、ようやく始まるのだと思います。

 

 



(この記事は、別ブログ「これから人類の本史がはじまる」「物語のいできはじめのおや ~月夜野タヌキ自治共和国」の記事を加筆訂正したものです)

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