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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

こむらがえり

2008年09月17日 | ・・・ったくアホな生活
前回の日記、まだ懲りていないのかっていうような内容ですみませんが、こんな体の不調が昨夜の夢を呼び込んだのかもしれない。

もう数日前のこと、
寝ていたら突然ふくらはぎに痛みが走り、飛び起きた。
「こむらがえり」ってやつ?

頭の血の巡りの悪い私にしては、よくもとっさにこの言葉が出てきたものだと関心する。

これは夢ではありませんでした。

痛みにもがきながらも、こうした痛みは、内臓などの病気と異なり
時間がたてば必ず治ると確信できるので、それほど不安な痛みではない。

もがきながら枕もとのパソコンで、すぐに対処法を検索。
上位のものからこれはと思ったものを開くと、
原因は・・・・・・
二つの筋肉が・・・・・

前書きが長い!

今のこの苦しみから脱出するにはどうしたらいいんだ?

どれも説明がやたら長く
すぐに必要な対処の答えがなかなか出てこない。

私のブログみたいなのばかりだ。

どれもストレッチのような対処を説明したものばかりだが、
それなりに真似してやってみても、少しも効果があらわれないで、
痛みが続くばかり。

やっと、検索の下位のほうになって納得のできる対処法が書かれているものに出会えた。

それはツボを抑える東洋医学の方法。
アキレス腱とふくらはぎの間のツボを抑える処置で、
正確なツボがわかるか不安だったが、だいたいの位置を抑えたら
てき面に痛みが和らいだ。


実はこの話題は、以前の「医療相談と総合医の必要性」の話の続きで書きたかったのですが、なんやかんやで飛んでしまった。

まさに「ツボ」という説明は、西洋医学の論理では絶対にたどりつけない発想。

部分、パーツの関連性からしか全体を説明できない西洋医学の思考では、なにか問題があったら、その関連のある部分をどこまでたどれるかが、どうしても生命線になってしまう。

それに対して東洋医学の場合は、はじめから人間の体を不可分の統一体ととらえている前提があるので、いきなり、特定の部分の話をしてもその関連する部分を順番にたどらなくても説明が足りてしまう。

これを論理的に納得できるものなのかどうかは合意しがたいかもしれないけど、結果がそれを納得させてくれる。

これぞまさに「ツボ」の論理なのですが、最近、紙の媒体による伝達の意義を感じるのも同じように、部分からの説明よりも、全体を先に見渡す説明がいかに大事であるかを感じさせられる。

全体を見せてから大事な「ツボ」を見せる。
これがとても大事。

これに対して西洋的合理思考では、限りなく、部分部分を分析的に掘り下げることにばかり意識が向かいがちになる。
だからこそ、総合科学としてのさらに難しい「哲学」も必要になるのかもしれないけど、今回のこむらがえりの様々な説明では、嫌というほどこの西洋医学流のまわりくどさを体験させられた。

病院での患者に対する医師の説明も結局同じだ。

要は何々の「ツボ」を語るためにも、まず体を不可分の統一体と理解することが大事。
今の医療って、ほんとにこの視点が無い。

細部の説明がつくかどうかにこだわることが、正しいとは限らない。
西洋の経済学も自然科学もみな同じ。

「科学的」であることが常に「正しい」とは限らない。

そろそろみんな気づいてもいいんじゃないだろうか。
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いよいよ来た!大地を震がす雷鳴とともに

2008年08月06日 | ・・・ったくアホな生活
昨夜から今朝7時頃まで、ここ「かみつけの国」では
一晩中、雷鳴が止まなかった。

しかも、それは夕立前の雷とは異なり
突然、ドスンとばかりに大地を揺るがす雷鳴が数十分おきにずっと繰り返されるもの。

かといって、突然大雨が降り出す出もなく、
雨は一晩中シトシト降りつづいただけ。

遠いところで聞こえる雷鳴は、
空爆の戦闘機が空気を切り裂いているような音に聞こえる。

近くに落ちるときは、まるで艦砲射撃を受けているようだ。

戦艦大和の主砲は、富士山をも乗り越える射程をもっていたそうだけど、今のアメリカの戦艦なら、横須賀から群馬まで狙うこともできるのだろうか。

夜中に何度となく枕元のパソコンで、
突然戦争がはじまったのではないかと確認したくなるほどだった。

連日、かなり広い範囲で雷雲が観測されてはいるものの、
このように、一晩中、ひとつの地域で雷が鳴りやまないなどということ
過去にあっただろうか?

ただならぬ雰囲気がただよっている。

朝、風呂に入っていたら、
頭を洗う前になって水が止まってしまった。

来たぞ

きたぞー

友が呼んでいる。


俺の時代がやってきた


全国の同志達!

もし、携帯電話、インターネットなどの
あらゆる通信手段が途絶えた時は、
水沢山の狼煙を合図に、
ここ、かみつけの国、草の者のアジトに集結せよ!








・・・さてと、


仕事に行くか。
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もう少し、安吾に憧れて

2008年08月02日 | ・・・ったくアホな生活
やはり、安吾といえば・・・・

散らかった部屋に座ったイメージでなくてはいけない。

日ごろ整理整頓を心がけている私としては、
主義に反する、の、だ、が、
雑然とした部屋を苦労して作り上げ
何枚か撮ってみた。

いやー、これだけ散らかすには苦労しました。ハハハハハー


前回よりは顔も四角く見えて
本物に少し近づいただろう。



ほんとは着ものを着たかったのだけど、持ち合わせがないので
甥がプレゼントしてくれた作務衣でごまかした。

プロフィールには、別のアングルの写真を使ってみた。

毎度、仕事が忙しくなると
どーしてもこういうことがしたくなる性分なのだ
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安吾に憧れて

2008年08月01日 | ・・・ったくアホな生活
どうも気になって仕方がないのだけど、
昔からの人気作家ベストテン。
女性が選んだベストテンにだけ、松本清張と坂口安吾が必ず上位に入る。

何がそれほど女性を惹きつけるのだろうか?
どうもイメージがわかない。

とりわけ安吾。
晩年を群馬の桐生市で過ごした安吾は、地元でも嫌われ者で通っていた。
写真を撮られるのを嫌っていた安吾が、
書き散らかした原稿用紙のゴミに埋もれた書斎で
カメラを睨んでいる有名な写真がある。


私も、今の部屋がきれいになってしまう前に!
なんとか安吾のような写真を撮っておきたい。

とりあえず携帯で練習



無精ひげのあるときに、一生懸命髪を逆立てて
他にいくつかのタイプを撮ったけど
どれもキモイ絵にしかならない。

一生懸命カメラを睨みつけても
輪郭に優しさが出てしまう。


懲りずにいずれ完成させて、
作家バージョン
ミュージシャン・バージョン
草の者バージョン
と続けたい。
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蔵書の増殖スピード

2008年06月18日 | ・・・ったくアホな生活
2,3日前のニュースの記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080616-00000914-san-soci
を見る数日前のこと、
楽しみに購入した本を2冊ばかりかかえて、浮かれた気分で家に入ったとたん、
思わず口から出た言葉、
「しまった!」

たった2冊の本だけど、家に本を積み上げるスペースが無く、
早く本棚を買わなければいけないと思っていた矢先のことで、
机の上であろうが、本棚の隙間であろうが、限界を超えていたときでした。

考えてみると、年に1から2本のペースで本棚が増えているような気がするが、
ほんとにそんなに増えているのだろうか?

あらためて考えてみた。
数件のブックオフをまわって一度に買ってくる本が少ない時で5冊程度、多い時で30冊くらいだろうか。
その他にネットで調べて取り寄せている古書類が月に数冊から多くて10冊くらいか。
あと稀にどうしても買わなくてはいけない新刊書。

ばらつきがあって一概には言えないけど、
普通の本棚一段がだいたい30~40冊くらい収まるが、
なべて毎月一段分くらいのペースで蔵書が増えていることに間違いはなさそうだ。

とするとやはり1年で約12段。
ファイル類も増えているから、間違いなく1年で2本は増えていることになる。

本棚が一部屋に8本くらいになると、普通の木造家屋では
柱や床が歪んだり、戸が開かなくなったり障害がでてきてしまうので、
4年ほど前に鉄筋のマンションに引っ越した。

実家や会社へ持ち込んでいた蔵書から、
出来るだけ手元においておきたい本だけ持ち込んだ。
はじめは6本だっただろうか。

現在の部屋へ本棚数は、12本。
今の住まいであと6本は増やせるはず。
ということは、あと3年したら、
またお引越しということ?

そんな先のことは考えまい。


先日の雑誌、本に潰されて事故死された方は、その重量、衝撃からすると
おそらく通常の文芸書やコミックなどではなく、
重量のある雑誌などを高く積み上げていたものが、一度に倒れたのではないかと思う。

私は、本棚の上に棚を増設して天井にぴったりつくまで積み上げるので、
多少、固定度は高いのではないかと思うけど。
震度7以上ともなれば、どんな倒れかたをするかわからない。


ともあれ、
ニュースを見てから、とりあえずベッドの枕の向きを
本棚のないほうへ移し変えた。

それ以上は、考えても仕方がない。
どこで転んで死ぬことになるかもしれないのだから。
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かみつけの儀

2008年06月11日 | ・・・ったくアホな生活

ちょっと書いておきたいことのひとつです。

私のネット上の本名である「かみつけ岩坊」には、群馬の地名である「上毛野(上野)」や、「咬みつけ」など、他にもたくさんの意味が込められているのですが、
そのなかのひとつに「神付け」「神憑け」というニュアンスがあります。

いつか自分の身に神様が降りて、とりつく日がくるのではないか、
・・・・いや、もうついてるかもしれない(笑)
そんな願望の意味です。

特別なんの信仰も持っていないのに身勝手なことかもしれませんが、
けっこう真面目にそんな気持ちは持っています。

そのことに関連して、以下のふたつの話が思い出されます。


津軽三味線の高橋竹山の奥さんはイタコだったそうです。
その奥さんのことについて書いたなにかの文のなかで知ったのですが、
イタコが修行をして一人前になるときに「かみつけ」という儀式があるそうです。

詳しい手順は覚えていませんが、先輩たちが取り囲むなか、ミソギをしてから念仏だかを一心に唱え続けて、最後の限界に達したとき、その修行の身に神がのりうつる。
ほとんど失神してしまうそうですが、そこでなんていう名の(あれ?霊、神?)霊だったかと問い詰められ、その時に口にした名前が、そのイタコの生涯の守護霊(神?)のような存在になるというものでした。

向こう側の世界と一体になるなんらかの儀式を経て、自分がはじめてこの世で特別の存在になるというのは、世界中で見られるものです。


こうした儀式は、天皇の場合でも重要な部分をなしています。

折口信夫は、天皇の即位儀礼の最も神秘的な部分にふれた最初のひとらしい。

「すなわち、古代には水の女神の資格で宮廷に入る「水の女」があって、天皇としての資格を完成する神秘なミソギに奉仕し、天皇よのあいだに聖婚が行われたとしたのである。
これが他氏から宮廷に入る「きさき」の聖職で、後に「なかつすめらみこと」や「女帝」の問題、さらには大嘗祭における真床襲衾(まどこおぶすま)の問題へと接続する。」
             
 これは、最近読んで興奮しまくっている本、前田速夫『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』河出書房新社という本に出てきた文です。
 (この本のことについては、近いうちに改めて書く場があると思います。)

   



 それぞれ、なるほどと納得させられるのですが、こんなことを考えていると
いつも「上野国・上毛野国・かみつけのくに」という言葉から、
神付け、神憑けまでどうしても連想してしまうのです。
上州、群馬の語源からそんな意味付けはありえないのですが、
勝手に、この地が特別の場所であるかのような手前勝手な理由が頭から離れない。

まあ、極めて大雑把な言葉のイメージとして、
わたしは、「かみつけ岩坊」に含まれるたくさんの意味のひとつとして、愛用させていただいているに過ぎないのですが、なにか同時に言葉に導かれながら考え続けているような気もしています。

私の作っているホームページ「かみつけの国 本のテーマ館」も、
実はそんな背景もあって、「かみつけ」をひらがなにしています。


こんなことを書くと、なにかあやしい事をたくらんでいる人間に見えるかもしれませんが、
そう言われても、それほど違うとも言い切れない。
たかが平民の身ですが。

(大丈夫?ヤバイ!引いちゃったかな?)

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元気があればなんでも出来る(その3)

2008年06月10日 | ・・・ったくアホな生活
元気ですか~~!

元気ですか~?
ハハハハ、
元気があればなんでも出来る。

元気があれば、手を使わずに卵を割ることも出来た。
ハハハ、
頭をつかうんだよ。

ハハハハ、
おかげで、人生の難題
5つのうちのひとつ半くらいが一気に解決しそうだ。

ま、世の中、そんな甘いわけないが、
ハハハハ、
元気があればなんでもできる。

決して今そんなに調子がいいわけではないけど、
6月というのは、世の中のエネルギーがどうも落ちる時期らしいですね。

それだけに、最近はまっている音楽、
メトロポリタン劇場の「アイーダ」も感動的だったけど、
マイミクのたつやさんが教えてくれたこの音楽をずっと聴いている。

ロドリゴ・イ・ガブリエラ

早速、DVD付CDを買ったが、
YOUTUBE画像も検索するとかなりある。

http://jp.youtube.com/watch?v=-lvMQCmUVv8&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=-lvMQCmUVv8&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=V5VFWA2YKdo&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=-lvMQCmUVv8&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=tUYQMslOobw


先週だか長野へ行ってきたときも、ずっとこの音楽かけっぱなしで調子が良かった。

スパニッシュ、フラメンコ系の音楽は、ほとんどがわずか3つのコードだけのパターンだけど、そこにリズムが加わると、もうたまらない興奮に包まれる。
これはメキシカンだけどね。

どの曲も、いたって単純なアレンジばかりだけど、
ギターだけで刻むリズムのキレがたまらない。

このフラメンコ調のブロロロってかき鳴らすギターの弾き方がどうしても出来ない。

親指と人差し指(または中指)の二本だけで、
人差し指と親指でダウンストロークして、親指だけでかき上げる
この繰り返しの三連符だっていうけど、どうしてもきれいにできない。

運転しながら、時々指を自分の腿やハンドルに引っ掛けて練習してみるけど
どうしても出来ない。
このストロークだけ、誰かに教わりに行こうかしら。

いやいや、元気があれば、
なんでも出来る・・・・だ。

この演奏を見ていると、多重録音なんて考えず、
自分でサイドギターの演奏を録画撮りして、それといっしょに演奏すれば
ものすごくライブ感のある演奏がひとりで出来そうな気がする。

といって最近ギターにさわる時間はめっきり少ないのだけど
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元気があればなんでも出来る(その2)

2008年05月28日 | ・・・ったくアホな生活
元気ですかぁ~?

元気ですかー?
ハハハハ、

元気があれば、なんでもできる。

元気があれば、下痢も治る。
ハハハハ。

元気があればでっかいウンコがスポンと飛び出す!
ハハハハ。

あまりにきれいに出るから紙もいらぬ。
ハハハハ。



で、昨日、すがすがしい快晴のもと、
長野に行ってきました。
ふと地図を見たら、高速が通じるまではなぜかいつも六合村から須坂に抜けていたのですが、
その北の万座、志賀高原を抜けるコースで行くと、県境を越えたらすぐ長野市につくことに気づいた。

長野に入ってからのトロトロ走行がいつもイヤだったので
今回は時間もあまり気にしない運転だから、こっちから行ってみることにした。

こんなに天気がいいのだから
高速を使うより、こっちの方がずっと気持ちいい。
大雑把に、群馬県内約2時間、長野県内約1時間、
合計3時間あれば長野市に着くとみて、
テレビの「冬ソナ」を観てから、1時40分に渋川を出た。

ガソリンはメーターの半分くらいだが、往復300キロくらいは多分もつだろう。

景色の良いところがあったら、いつもの商品撮影をしようと
一通りのものは積み込んで、車中の食い物も買い込んで
準備ヨシ。

紅葉の山もきれいだけど、青い空の下の新緑は生命力に溢れているから
自然と元気が出る。

最近お気に入りのCDをガンガンかけて走る。
(この元気の出る音楽のことは次回に書きます)

出てすぐ、群馬県内の地図しか車にないことに気づいたが
だいたいは標識見て走れば問題なく着くだろう。

八ツ場ダムの周辺道路工事が来るたびに進んでいる。
なんでこんな道路が必要なのか、現状の道路の高さとダム湖水面の高さの差のないところも、どんどん新しい道路が作られえている。

草津温泉経由にしようかとも思ったが、万座温泉の硫黄の香りをかぎたかったので、万座ハイウエイ経由にした。
そしたら有料道路料金1,050円だった。
この50円の半端、なんとかならないものか?
この50円が無ければ、払う側も、つり銭出す側も、どれだけスムーズに行くことか。

露天風呂の満足度は、草津や四万より万座の方が好きだ。
でも、今日は入らずに通過。

ハハハハ。
元気があれば、硫黄のにおいで満足。

高度が上がると、やはり群馬県内でも長野側特有のカラマツなどの針葉樹とシラカバ系の木々ばかりの景観。県内、北東の山に行くとブナなどの広葉樹が増えるのと対照的。長野だなーって感じがする。


横手山から下りに入ると、もう眼下には長野の街並みが見えている。
確かにあっという間に中野市街に入る。

でも長野市周辺に来てからトロトロ走るようになり、駐車場探しなどして車を降りるまで結構時間がかかった。

長野は、妙にスラリとした品のいい女性が目立つ。
都会的な人はいないけど、お友達になりたいタイプが群馬より多そうだ。

ハハハハ
元気があると、みんな友達のように見える。

予定の調査を済ませて、郊外の平安堂に寄る。

この時点で7時くらいだったろうか。
外が暗くなったら、もう方向がわからなくなり、
地図がないと来た時のようには走れそうにないと思い
長野県地図を買った。

おおまかな道路を確認するも、結局、あてずっぽうで走る。
明らかに途中、分岐を間違えたが、川と並行に北上すれば大丈夫だろうと
前の車の後をただついていったら、思いかけない抜け道で楽をさせてもらった。

ハハハハ、
元気があれば地図もいらない。

中野市の右折交差点だけ間違えなければ大丈夫。
と、思ったころ、ガソリンメーターを見たら、
もうEの文字に針がかかりだしていた。
これから峠越えだというのに大丈夫だろうか?

いやいや往復300キロの概算で考えれば、
半分入っていたのだから、ほぼ間に合うはず。

ハハハハ
元気があれば、ガソリンもいらない。

ちょっと心配になるが、
山を下りればどっかに一軒くらいはガソリンスタンドはあるだろう。

真っ暗闇の峠路を登るとき、どのくらいガソリンが減るか心配だったが、
横手山まで登りきって、それほどでもなかったので安心した。

ハハハハ。
元気があればガソリンも減らない。

あとは下るだけ。
まさか、来るとき通過した料金所。
こんな夜まで人がいるとは思えない。
たぶん、夜は無料通過できるだろうと思ったら、電気がついてるので一瞬
まさか!と思ったが、やはり人はいなかった。
通過時間は9時。何時頃までいたんだろうか?

と、思ったら別の心配が頭に浮かんだ。
これから月夜野までの道中、夜9時以降も営業しているスタンドはあるのだろうか?


いやいや、大雑把に300キロ。
はじめに確認したメーターの概算では足りるはず。

ハハハ、
元気があれば、余計な心配はいらない。

草津町の標識を経て、長野原町を通過するが、どこも街並みは真暗。
あや?

中之条まで行けば一軒くらいは開いているスタンドあるだろう。
原町でようやくスタンドの明かり発見。
でも、概算では足りるはずなのだから、ここはパスしていいだろう。
カードのある会社じゃないし。

と思って走り続けたら、中之条市街通過経路には一軒もスタンドの明かりはなかった。
やっとENEOSの赤い看板が見えたと思ったら、
セーブオンの看板だった。

概算で足りるとわかっているんだから心配はない。

ハハ、
元気があれば・・・

高山村に入ったら、とうとう赤ランプ点灯。
いやいや、ここまで来ればもう大丈夫。
最後の峠の上り坂も、志賀高原の登りに比べたら、
屁みたいなもんだ。

ハハ、
元気・・・
ブーーン、アクセルを踏む。

昔に比べたら道が良くなったので、それほどの峠道ではない。
ブーーン、と峠を上りきる。
ほらみろ、もう大丈夫だ。
あとは下るだけ。
赤ランプだろうか、ピンクだろうが、もう間違いなく着く。
ようやく確信が持てた。


おかげで、なんとか沼田の24時間営業のスタンドに着くことが出来ました。

ハハハハ、
だからはじめから、元気があればなんでも出来るって言ってたろうが。

月夜野の実家に10時半ころ寄ったら、次の手作り本を依頼された人から
校正原稿が届いていた。
ネットで注文した古書も2件届いていた。
紛失した大事な業界紙のバックナンバーをネットで見つけ注文したものも届いていた。

ハハハハ。
元気があれば、何でも揃う。

いい時代だ。


ハハハハ、
皆さん
元気ですかぁ~?

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半身浴読書用椅子

2008年05月11日 | ・・・ったくアホな生活
以前から、私が風呂で長時間本を読むことを習慣にしていることについて、
まわりから体に良くないとの注意を受けていいました。

いくら注意されようが、自分にとって最も集中して本が読める場所なので、
真剣に改める意志はあまりなかった。

でも、2,3時間浸かっていると、曲がった腰が硬くなり
あとでストレッチをせずにいられなくなるので、
それだけでも体に良くないことは痛感していた。

そんなことを気にしていたら、テレショップで
風呂用座椅子と、半身浴用の小さい椅子が販売されているので
それを買おうかと、しばらく思案していました。

でもその小さい椅子で3千円ちょっとだったか、どうも
スチールとプラスチックのデザインが気に入らない。
機能性には確かにすぐれているのだろうが、
いまひとつ買う気にはなれない。


そんな思いでいたところ、ホームセンターに行ったら、
普通の木の風呂椅子が800円くらいで売っていた。
半身浴にはちょっと高すぎるが、木製なので足をちょっと切ればよい。

そして作ったのが写真の椅子。

ちょっと短く切りすぎたような気がするが、
もし低すぎたら、カットした板を横にして継ぎ足せばいい。

これでもう、3時間であろうが6時間であろうが、
安心して風呂で本が読める。

食料を持ち込めば、1日でも2日でもいられる。
ルンルン!だ。
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昨日したことを今日もするか?

2008年04月24日 | ・・・ったくアホな生活
昨日していたことを今日やり、
今日していることを明日またやる。

最近読んでたどっかの本のなかに出ていたフレーズ。


ヤダー!!!!
そんな毎日は。

やっと陽気も暖かくなり
教科書シーズンも終わったので
活動始めるぞーーー!


規則正しい生活をしてこそ、
と何度も言われているけど、
日々、新しいことを何かしていないと
やっぱり人間やめたくなってしまう。

せめて食生活だけは、規則的でありたいのだけど・・・



グーグルは会社として仕事の20%を
必ず未来のための仕事に振り当てている。

痛くない注射針の開発などで有名な世界一の町工場を誇る岡野工業の社長は、
昼間を通常の稼ぐ仕事、夜は研究開発、実験に当てている。

私も毎日、6,7時から10時頃までは
明日のための仕事、10年後の準備の仕事に徹する。

で、朝早く起きて
バッハを弾いてから風呂に入って読書。
このくらいのリズムは確保したい。


昨日またひとつ新しく余計なブログを開設してしまったけど、
創造する仕事と創造的な遊びに
これから専念します。

もっともっと
誰もやりたがらないこと
誰からも支持されないようなことで
自分だけが面白くてしょうがないようなことを
仕事を削ってでも増やさなければ。

一昨日から、なんかそんな気分です。

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祝福されてるのになぜ泣く?

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活

非定住民との文化のシリーズ、
まだ終わったわけではありません。あと数回は書く予定です。

実は、次に被差別やなどの間で圧倒的な信仰を集めていた
浄土真宗、極楽浄土の思想のことを書こうと思っているのですが、
その前に、人間の「悲しみ」「涙」のことについてちょっと触れておきたい。

前にもどこかで書きましたが、私は
「プレママ・トレーニング」という不妊で悩む女性のコミュに
なぜか男ひとり入っています。
いろんな経緯があって辞められなくなってしまったのですが、
そのコミュに書こうかどうか迷っていたことがひとつあります。

それは赤ちゃんが生まれるとき
これほど周り中の人々から祝福されて産まれてくるのに、
どうして赤ちゃんは泣いてこの世に産まれてくるのだろうか?
ということです。

もちろん生物学的には、
お母さんのおなかの快適な羊水に浸った環境から
突然、外界に押し出され、急に肺呼吸をさせられることになったのだから
泣くほど大変な変化を強いられていることには違いないのですが、
日頃、プレママトレーニングのコミュで
やっと妊娠した喜び、出産の感動などの話を聞いていると、
こんなにも皆に祝福されているのに、
どうしてお前は泣くんだ!と疑問に思えてならないのです。

1000人にひとり、
いや1万人にひとりくらいでもいい。
オギャーと産まれた瞬間、
キャッ、キャッ、キャッでも
ケ、ケ、ケ、ケでもいい。

笑って産まれてきた赤ちゃんがいてもいいのではないだろうか?
誰かそんな話、知らない?

気持ち悪いかなぁ。
それもすばらしい瞬間になると思うのだけど。。。

そんなことを、ずーと書こうかどうか迷っていたら、
ふと別な考えが浮かんできました。

人間にとって、泣くということ。
涙を流すということ。
悲しむということ。

これらの感情を出すこと
また、そうなってしまうことというのは
悪いことなのだろうか?
ツライから避けたほうが良いことなのだろうか、って。

そう考えると、
人間の泣く、悲しむ、涙を流すということ
どれも、決して悪い行為ではなく
これこそ人間の大事な気持ちなのではないかと感じる。

仏の「慈悲」というとき、
「慈しむ」はわかるが、
どうして「悲しむ」という字が入るのだろうか。

昔、五木寛之がよく、現代の社会があまりに乾いてきてしまって
本来の湿った文化を取り戻すことがいかに大事であるかというようなことを話していました。
合理的文明という仮面のもとに、人びとは必死になって
湿り気を排除して乾いた文化を築き上げてきてしまった。
でも乾いているということは「軽い」。
湿っていることによって「重み」がはじめて生まれる。
そんなようなことを話していました。

そんなことから、もしかしたら赤ちゃんは、
ただの喜び、乾いた歓喜だけではなくて、
この世に湿ったものを含んだ「重み」を持った存在として
祝福されて産まれてきたんじゃないかってな見かたが思い浮かんできました。

浄土真宗、親鸞の「地獄は一定、住みかぞかし」なんていう
背理から悟るわけでもなく、
ただ、まさに「慈悲」という言葉につながるような優しさが
泣くということを全面的に受け入れてこそ、
心のなかに生まれてくるのではないかな、てな感じです。

プラス思考でなんでもものごと前向きに考えて
悪い言葉は使わないことは大事ですが、
悲しむこと、泣くことでも
プラス思考と同じように、体に良い免疫作用が生まれるといいます。

赤ちゃんは、
オギャーと生まれた瞬間に、そんな両面を見せてくれているような。。。。

よくわかんないけど。


それにしても誰か
笑って産まれてきたっていう赤ちゃん
ひとりぐらい知りません?

「天上天下唯我独尊」なんて言う人より
ずっと現実的でありうると思うんだけどなぁ。。。




      正林堂店長の雑記帖 2008/2/13(水)より転載

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屁でもないことさ。

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活
・・・と
言い放ちたいとこだけど
そういうわけにもいかない。

今の教科書シーズンの重労働のことではありません。



これも歳をとってきたせいなのか、
悲しいかな、最近、
ちょっと
締まりが悪くなってきた?

家で身内のものに対してや
友人、知人に対してのことであれば
大いに愛嬌として笑い話ですまされることなのだけど、
こと、
お店でお客さんのいるところとなると
なかなか、そうはいかない。


先日、店内を移動して歩いていて
たまたまある女子高生の後ろを通ったとき、
ちょうどその通過するその時の足を踏みおろす一歩と同時に
プッ
と小さく屁をこいてしまった。

なぜか、すーっと歩いている途中で
その女子高生の後ろを通過するその瞬間に、
まるで挨拶をするかのように
プッっと
出てしまった。

あわてて、靴のこすれた音であるかのように
歩き方でごまかしたものの
彼女はどう考えても気づいたに違いない。
軽いプッ、だから
不快な臭さこそないものの

彼女にしてみれば、
なんで自分の後ろを通過するときに
わざわざ一発こくのか、
なんかイヤミともとれるだろうに。

かといって通過する瞬間なので
なかなかとりつくろうにも、誤魔化そうにも
手がない。

実は、こんな失態
これが初めてではない。

ひょっとしたはずみで
図らずも
プッと
出てしまうことが何度かある。

この不意打ち、
場所を選べないのが問題。

今からこれでは、先が思いやられるわい。


歳をとると誰でもあるのだろうか?

いっそ、このブログを見てくれたお客さんとの間の
ないしょの挨拶の方法として
このプッ、の技術に
磨きをかけようかな~


ねえ、そこのブログを見てくれてる方、
誰にも言わないから教えて。

実は、私もあるって・・・


                  正林堂店長の雑記帖より転載
コメント
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