もう数日前のこと、
寝ていたら突然ふくらはぎに痛みが走り、飛び起きた。
「こむらがえり」ってやつ?
頭の血の巡りの悪い私にしては、よくもとっさにこの言葉が出てきたものだと関心する。
これは夢ではありませんでした。
痛みにもがきながらも、こうした痛みは、内臓などの病気と異なり
時間がたてば必ず治ると確信できるので、それほど不安な痛みではない。
もがきながら枕もとのパソコンで、すぐに対処法を検索。
上位のものからこれはと思ったものを開くと、
原因は・・・・・・
二つの筋肉が・・・・・
前書きが長い!
今のこの苦しみから脱出するにはどうしたらいいんだ?
どれも説明がやたら長く
すぐに必要な対処の答えがなかなか出てこない。
私のブログみたいなのばかりだ。
どれもストレッチのような対処を説明したものばかりだが、
それなりに真似してやってみても、少しも効果があらわれないで、
痛みが続くばかり。
やっと、検索の下位のほうになって納得のできる対処法が書かれているものに出会えた。
それはツボを抑える東洋医学の方法。
アキレス腱とふくらはぎの間のツボを抑える処置で、
正確なツボがわかるか不安だったが、だいたいの位置を抑えたら
てき面に痛みが和らいだ。
実はこの話題は、以前の「医療相談と総合医の必要性」の話の続きで書きたかったのですが、なんやかんやで飛んでしまった。
まさに「ツボ」という説明は、西洋医学の論理では絶対にたどりつけない発想。
部分、パーツの関連性からしか全体を説明できない西洋医学の思考では、なにか問題があったら、その関連のある部分をどこまでたどれるかが、どうしても生命線になってしまう。
それに対して東洋医学の場合は、はじめから人間の体を不可分の統一体ととらえている前提があるので、いきなり、特定の部分の話をしてもその関連する部分を順番にたどらなくても説明が足りてしまう。
これを論理的に納得できるものなのかどうかは合意しがたいかもしれないけど、結果がそれを納得させてくれる。
これぞまさに「ツボ」の論理なのですが、最近、紙の媒体による伝達の意義を感じるのも同じように、部分からの説明よりも、全体を先に見渡す説明がいかに大事であるかを感じさせられる。
全体を見せてから大事な「ツボ」を見せる。
これがとても大事。
これに対して西洋的合理思考では、限りなく、部分部分を分析的に掘り下げることにばかり意識が向かいがちになる。
だからこそ、総合科学としてのさらに難しい「哲学」も必要になるのかもしれないけど、今回のこむらがえりの様々な説明では、嫌というほどこの西洋医学流のまわりくどさを体験させられた。
病院での患者に対する医師の説明も結局同じだ。
要は何々の「ツボ」を語るためにも、まず体を不可分の統一体と理解することが大事。
今の医療って、ほんとにこの視点が無い。
細部の説明がつくかどうかにこだわることが、正しいとは限らない。
西洋の経済学も自然科学もみな同じ。
「科学的」であることが常に「正しい」とは限らない。
そろそろみんな気づいてもいいんじゃないだろうか。