かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

年頭所感メモ

2009年01月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
やっぱりこれを書いておかないと1年が始まらない。

アメリカの金融危機に端を発した世界的な不況。
希望的観測で1年から2年で回復できれば、などど経済人は述べているようです。

100年に一度の大変化といわれてますが、他の場でわたしは、100年どころかこれは有史以来の価値観の転換のはじまりであると書きました。

今、見えている範囲で当面先のことを含めておおまかに書き出してしてみよう。

この転換のパラダイムは90年代からずっとはじまっているもので、サブプライム問題にはじまるリーマンブラザースの破綻はそのきっかけにすぎない。

アメリカでは、オバマ新大統領への期待が高まるものの、ブッシュのしかけた時限爆弾がたくさん控えており、ブッシュ時代以上に困難な時代の船出になることは間違いない。

このたびの金融危機の次に確実にやってくるのが、地価の下落。
株価は下がりながらも乱高下が日常化する時代なのだろうけれども、地価はそういうレベルの問題ではない。一度下がると資産、担保価値は下がったままになり、他への価値移転もされにくい構造になる。これは経済全体に一層重くのしかかってくる。

こうした環境下でさらに、確実にドルの基軸通貨としての地位が崩壊する。
これはすでに見えていることなので、すぐに手をうつべきなのだろうが、この数ヶ月以内にドル以外の基軸通貨体制ができないと手遅れになることが確実であると様々な機関から指摘されている。

これまで、ドルが暴落して紙くずになる日を予言し続けたエコノミストは少なくない。今、それが現実のものとなろうとしている。
私たちの日常にはそれほど関係ないように見えるかもしれませんが、少なくともドル建て決済の原油、食料、金などの国際取引は今でも莫大なものだ。

危機を乗り越えられるかどうかはわからないが、オバマも一応こうした流れは見越して多極化する世界体制を目指してしる。
日米機軸同盟あってこそ、などと思っているのは日本の政治家だけで、多極化の流れはブッシュ時代からはじまっている。
アメリカは、日中韓が連携を強化してくれた構造と関係を持ちたいと考えている。

当面アメリカ、ロシア、中国などの覇権主義の残存勢力と、真の多極化社会を目指す勢力とのせめぎ合いが続くことと思う。

こうした世界を経済から見れば、まず第一に、輸出依存型の産業構造からの脱却が緊急の課題であるはずだと思うのだけれど、政治はそんな議論にはなっていない。
これまで輸出型の基幹産業が日本経済を引っ張ってきたことは、個人的には反対でも、これまでそうすることしか出来なかった判断自体はやむをえなかったと思う。

でもこれからは、国を問わず国際協調路線を維持するためにも、バランスよく自立した経済政策を取ることが求められている。

日本は国力においては、低下の懸念はありながらもまだなんとかなるレベルだと思われる
が、この「自立」した国づくりということに関しては、最も遅れているだけでなく、脱却への道のりが険しい国だといえる。
とりわけ食料・資源、軍事・政治において。

北欧やキューバなどの事例を見れば、決して不可能なことではないはずだけれども、政治をみているとまったく期待できそうにない。

そんな環境下で、いよいよ政権交代が起きそうな様相。
自民党政権が下野することは、戦後史上大きな変化に違いないけれども、その移行先が小沢民主党である限り、新しい政治が行われるとはとても思えない。

民主党に変われば、とりあえず八ツ場ダムが中止になることなど、確実な成果も出るだろうけれども、麻生・小沢の国会論戦を見ても、これだけ大変化の時代に直面しても小沢代表が、二の矢、三の矢を次々にだしてくるような政治家にはとても見えない。

政権交代よりも、過去の失敗例はあるが、世代交代を徹底して欲しい。

こうした流れからみると私の感じる今年のキーワードは
「多極化と自立」
といったところになります。

国家も企業も、規模の拡大に頼るところは行き詰まり、それぞれが自立したサービス
やモノを提供出来ないと勝ち残れない時代になる。

力が弱いから、軍事同盟にすがる。勢力が弱いから大きいところに組する。
今までは、確かにこうした方策を取ることしか出来なかったかもしれない。

でも、これからはそうした選択は信用されないだけでなく、現実の競争力も弱くなっていく。

これは個人の場合も同じ。

雇用不安は一層高まるでしょうが、雇われる側、雇う側を問わず、どこに所属していれば大丈夫ということはない時代。

もともと誰しも生涯をかけて考えていくことですが、自分が他人に対して、社会に対して何をすることができるのか、この基本問題を新権に考えることがより一層大事なことであると気づく時代だと思う。
手取り収入に対する損得で物事を考えているうちは、いくら努力を重ねても報われない。

思いつくところを、つらつら書き出してみただけですが、
こう考えると、確実に世の中は良い時代に向かっていると感じます。

「量」「お金」に換算することでしか「価値」や「質」を表現できない時代から、ようやく無限の交換の渦に巻き込まれない、確たる「価値」や「質」が問える時代に向かい出したのだと思うのです。

経済ばかりでなく個々人も、必ずしも右肩上がりの成長が実現できなくても、
より深く個々の存在の足場を深く掘り下げることで、より幸せになれるような社会、
それがようやく目の前に展開しはじめたとは感じませんか?

懸念する右肩下がりの社会という意味ではなく、
根本的に、お金のかからない社会へ向かいはじめた、
良い意味でのデフレ社会の到来です。


こうした流れを見据えても、きんちゃんなどとやっている私の手作り本などの活動は、時代の流れにつくづくマッチした活動に思えるので、
がんばるぞ、と。

たしかに、とてものん気に楽観論を言っていられるような時代ではありませんが、大きな流れではこんなふうに感じます。



以上、思いつくままに、
年頭所感メモでした。
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