先日、筑波山へ登った帰りに筑波山神社に立ち寄り、その立派な山門にまず驚かされました。

本堂もとてもデカイ。
家内と手を合わせようとしたとき、
あれ?ここは神社?お寺?
と思わず聞いてしまった。
筑波山神社。

でっかく書いてある。
でも、つい普通の神社の社や拝殿のイメージではないので
手を合わせるのか、パンパンとたたくのか、ふと迷ってしまう。

そう、ここもかつては修験道の寺であったのでしょう。
明治政府の修験道廃止令によって強制的に神社に看板をかえさせられた寺だと思われます。
仏教、神道とともにかつて修験道は同等の勢力を持っていましたが、今は、限られた伝統行事などを通じてしかその姿をみることができなくなっています。
歴史的役割を終えている信仰の姿なのかもしれませんが、長い歴史を持つ信仰が、強制的に抹殺されたままになっている現実は、やはりなんらかの心のアンバランスをその後の日本人のくらしにもたらしているのではないかとも思います。
それは修験道が良い信仰だから単純に守り復活させましょうというようなことではなく、ひとつの心のありようが、政府の強制で一元的な国家神道のもとに、いとも簡単に(実際にはそう簡単でもなかった)葬り去られたままに異常さを問い返したいのです。
八百の神の例を出すまでもなく、私たちのくらしは多様な層が折り重なった豊かな心の営みに支えられているものです。
所属の宗派を問う西洋とは異なり、一見、矛盾だらけのように異なるさまざまな信仰を場に応じて使い分けることを、わたしたち日本人は普通の「心の習慣」として持っています。
それが、明治政府による天照皇大神を筆頭にする一元的な信仰形態に、あまりにも強引にまとめられたままに今もなってしまっているのです。
アマテラスやイザナギ信仰がいけないというのではなく、それも古代から脈々と国家の中心に息づいてきた信仰なので大事なものです。
しかし、明治政府の宗教諸政策は、敗戦後の戦後民主主義の改革と経済成長の間も実態は受け継がれました。
お伊勢参りや善光寺参りなどの講庚申信仰など道教系の民間信仰、竃の神、厠の神、稲荷神社や太子信仰、天神様・・・など、交錯したあまたの日常の神々とともにあった私たちの「心の習慣」。
それは葬式や結婚式に接する商売としての儀式ではなく、文化財としての建築でもなく、たくさんの自主的な習慣に支えられた「日常の祈り」の世界でした。
この巨大な寺院建築をみたときに、私たちが文化財に接することだけではなく、気づかない間に失われた「心の習慣」のあまりの大きさに、いまさらながら気づかされるのです。
かつて修験道が栄えていたのは、一方では加持祈祷や薬売りなど、現実に多くのビジネスが成立してからでもありますが、この立派な寺院建築の今の姿は、私にはあまりにも巨大に「空洞化」した語られることのない大きさとしてしか見ることができませんでした。
参拝者が多く繁盛していれば、いいじゃないか・・・ では、
ちょっと納得がいかない姿を感じてしまいました。