現代の子どもには想像がつかないかもしれませんが、私たちが子どものころ一人でトイレに行くということは、それはそれはとても怖いものでした。
トイレに電気が点くといっても、小さな裸電球があるだけでその明かりも暗く、そのトイレに至る廊下もとても暗いのが普通でした。
さらに昭和の中頃まで国民の8割が農家であった時代、多くの家のトイレは、むしろ屋外にありました。
その暗闇の彼方にあるトイレに行くことが怖いばかりに、究極の選択をせまられたあげくオネショをしてしまうことも。
暗いなら廊下にも電気をつければよいだろうにと思われるかもしれませんが、電気そのものが普及しだしたばかりで貴重だった時代です。
現代のように、どこにでも電気があるのがあたりまえなどといった世界ではありません。
そういえば、「灯油」とういう表現も本来は「ともしびあぶら」です。
「灯火」の役割の意味はすっかり忘れられ、
もっぱら「燃料」の意味でしか使われなくなりました。
またその油もかつては、菜の花からとることが一般的的であったことも忘れ去られています。
ナタネアブラをとることからその名は、アブラナが正式名称です。
この写真は、伊香保のホテルの露天風呂に燭台を設置させていただいたものです。
露天風呂の演出としてはうまくいきましたが、日常の生活空間で純粋に蝋燭の明かりだけにしたならば、あまりにも暗いものです。
しかし、この微かな明るさのもとでの夜こそが、かつては普通の姿でした。
これは決して単に安らぎ空間の演出として共感されるのではなく、人類や地球生命にとって、暗闇を保つ程度の夜の明かり(暗さ)こそ、生命にとって不可欠な本来の有り様だったのです。
現代のどこでも煌煌と昼のように照らす暮らしのなかでは、闇のなかにあらわれた一点の灯火(ともしび)の温かさなどといった感覚は、想像することすら難しくなってしまったかのようです。
家の中であろうが、野外の道路であろうが、暗い空間があればどこでもすぐに照明をつけて昼のように明るく照らすことに何の疑問も感じない現代の私たちの生活があります。
でも、つい半世紀ほど前までは、
「夜」とは、暗いことが当たり前だったのです。
さらに言えば、わずかに月や星が輝く暗い夜空こそが、宇宙の最も一般的光景で、青い空のもとでの昼間の光景が見られるのは、大気におおわれた地球のみの特殊な光景ですらあるわけです。
暗いものをより明るくすること事態は、決して悪いことではありません。
しかし、明と暗、陰と陽、それぞれ相まってこそ、本来は意味があるものです。
ひたすらすべての闇を明るくするばかりでは、人間の生命のバランス(交感神経と副交感神経)が壊れてしまいます。
昼間の生産の拡大には、好都合かもしれませんが、夜ならではの創造的営みの時間は、絶えず削られる運命に追いやられてしまいます。
この写真の照明を見せると、室内ならともかく、この行灯の明かりは屋外では暗すぎるという人も少なくありません。
確かに現代では、そうした印象をもたれることは仕方がありません。
視力を悪くしてしまったり、事故の原因となるような暗さは、確かにできる限り無くしたいものです。
しかし、現代人のなかでも日本人はひと際、必用以上に「夜」の空間を明るくしすぎてはいないでしょうか。
欧米人は青い目の文化と黒い目の文化の違いから強い光を好まず、昼間サングラスをかけたり、夜の照明も暗めにしたりしますが、その分を割り引いても、日本人はどこもやたら明るくしすぎています。
大都会周辺でさえ、高速道路の圏央道がほとんど照明のないところを走っているのに驚きましたが、本来は、道路面すべてを照らす必用はなく、行く先々の目標やカーブが確認できる程度の「灯火(ともしび)」「仄かな明かり」があれば十分なはずです。
従来は、こうした視点は省エネ・節電のためでしか語られませんでした。
でも、私たち月夜野の住人は、そうした観点で不要な明かりを無くすことをいいたいわけではありません。
夜があってこそ、暗い闇があってこそ、
生命のリズムは健全な姿を取り戻せるのであり、深い眠りを約束する揺りかごでもあるのです。
また夜や闇こそが、経済活動にとらわれない「創造」の源泉なのだとも言えます。
夜こそ「創造」の時間であることに、多くの人が気づいてもらうには、
まずテレビやネットの「消費型」情報にどっぷりつかった暮らしから脱却していくこと、
そして、手間のかからない「消費」優先の暮らしよりも、手間のかかる「創造」優先の暮らしの方が、より豊かな幸せに至る道すじであることをひとつひとつ体験して取り戻していかなければなりません。
「月夜野百景」http://www.tsukiyono100.com は、そんな生活を「月」と「ホタル」と暮らしの「仄かな明かり」をキーワードに立証し実現していくことを目指していくものです。