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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

自然はわれわれ(人間)を許してくれるか?

2012年09月16日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
とても気に入って何度となく引用させていただいている内山節さんの文ですが、
大自然の木は、なんでも許してくれる大きな存在であるとの素敵な一文です。
 
 
 
木は、小鳥が巣をつくらせてください、といえば、
「いいよ。」とこたえてくれる。
雨が降ったときに雨宿りさせてください、といえば
「いいよ」という。
 
木の実を分けて食べさせてください、といえば
「いいよ」という。
木の枝を薪に使わせてください、といえば
「いいよ」という。

さらに、今度、家を建てたいので全部私にください、といえば
やはり「いいよ」という。

 

                      そんな存在であると。

 
 
 
 
 内山さんは意識していたのかどうかわかりませんが、これと似た構図の文が
宮沢賢治『注文の多い料理店』(狼森と笊森、盗森)のなかにありました。
 
 
 
 
そこで四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃えて叫びました。
 「ここへ畑起こしてもいいかあ。」
「いいぞお。」森が一斉にこたえました。
 
みんなは又叫びました。
「ここへ家建ててもいいかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
 
みんなはまた声をそろえてたずねました。
「ここで火をたいてもいいかあ。」
「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
 
みんなはまた叫びました。
「すこし木貰ってもいいかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたえました。
 
 
注文の多い料理店 (新潮文庫)
宮沢 賢治
新潮社
同じような表現ですが、賢治の表現の場合は、人間が森に対して
お伺いをたてるという視点がポイントになっています。
 
いづれにしても自然は、人間と同じようには応えてくれません。
実際には、ただ黙っているだけです。
 
 
だからこそ、
 
ただ黙ってなんでも許してくれる大きな存在であるとみるのと、
 
黙っているだけで、どう反応するかわからないので
あらゆる方法で誠意を示して
お伺いをたててみるのと、
 
何も言わないから
好き勝手に使い放題していいと思うのと。
 
 
どうでしょう。
 
 
わたしたちは、ほんとうの「文明」をもった日本に生まれてよかったですね。
 
 
 
 
 
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