一説には空也の作ともいわれる賽の河原地蔵和讃。
赤城山の祖霊信仰とともに、地蔵岳の信仰位置付けを考える大事な資料にもなるので、ここに一度記載しておくことにします。
宗派によって様々なバージョンがあるようですが、数々の和讃のなかでもひと際センチメンタルな感情をかきたてる仕掛けが凝らされているもので、文学的味わいも一入(ひとしお)です。
これは此の世の事ならず 死出の山路の裾野なる
西院の河原の物語 聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり子が
西院の河原に集りて 父上戀し母戀し
戀し戀しと泣く聲は 此の世の聲とはこと變り
悲しき骨身を通すなり かのみどり子の處作として
河原の石を取り集め 此にて廻向の塔を組む
一重組んでは父のため 二重組んでは母のため
三重組んでは故里の 兄弟我が身と廻向して
晝は一人で遊べども 陽も入相のその頃は
地獄の鬼が現れて やれ汝等はなにをする
娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく
ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不慇やと
親の嘆きは汝等が 苦患を受くる種となる
我れを恨むこと勿れと 黒鐡の棒を差し延べて
積みたる塔を押し崩す 其の時能化の地蔵尊
ゆるぎ出でさせ給ひつつ 汝等命短くて
冥途の旅に来るなり 娑婆と冥途は程遠し
我れを冥途の父母と 思うて明け暮れ頼めよと
幼きものをみ衣の 裳のうちにかき入れて
哀れみ給ふぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を
錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲のみ肌に
抱き抱へて撫でさすり 哀れみ給ふぞ有難き
南無延命地蔵大菩薩
参照 ウィリアム・R・ラフルーア著『水子〈中絶〉をめぐる日本文化の底流』青木書店
https://www.youtube.com/watch?v=SOO4ePanpnU
小さな子供は皆、死ぬと賽の河原に行かなくてはなりません。
そしてそこでお地蔵さまに遊んでもらうのです。
賽の河原は私たちのいるこの地面の底の方にあります。
お地蔵さまの着物には長い袂がついています。
子供たちは遊びながらお地蔵さまの袂を引っ張るのです。
そしてお地蔵さまの前に小さな小石を積み上げては楽しみます。
そこの地蔵像の前に石が積んであるのが見えますが、それはそういう子供たちを思って人が積んだものです。
たいていは、子供を亡くしてお地蔵さまに祈りに来た母親たちの行いです。
でも大人は死んでも賽の河原には行きません。
小泉八雲『神々の国の首都』講談社学術文庫より
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