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追分まで来た弥次郎兵衛と北八。ここは伊勢参宮道と京都への分かれ道となっていて、茶屋にまんじゅうの名物がある。
追分は、まんじゅう屋の前を子連れ狼が通る「ちゃん!腹減った。まんじゅう食わせ!」「・・・」
茶屋女「お休みなさりまあせ。名物饅頭の温いのをおあがりまあせ。おぞうにもござります」と茶屋の前で娘が呼びかける。
弥次「おっ うまそうなまんじゅうを食べてみよう」
茶屋女「はい、ただいま」と、たちまち平らげた弥次郎兵衛。
弥次「このまんじゅうは、いくらでも腹に入る」
すると横で雑煮を食べていた白い経帷子(きょうかたびら)を着た金毘羅参りの男が、
こんぴら「あなたがた江戸かな?わたしが江戸に居た頃、本町の鳥飼まんじゅうを賭け食いして二十八個食ったことがござりましたが、かくべつにうまかったじゃ」
弥次「鳥飼はわっちらが町内だから、毎日茶菓子に五 六十個は食いやす」
こんぴら「わたくしも餅好きで、この雑煮をひと息で五杯食べました」
弥次「わっちゃぁ、今このまんじゅうを十五個ほど食ったが、まだ、ねっから食いたらねえようだ」
こんぴら「口ではそうおっしゃるが、そのようには食えぬもの」
弥次「どなたかがおごりで食わせるとあれば、まだいくらでも入ります」
こんぴら「これは ぶしつけながら わたくしがおふるまい致しましょう」
弥次「食いましょうとも」
こんぴら「もし食べてしまわぬと、あなたが代金を払っていただくというので良いですかな?」
弥次「あったりめえだ 知れたことよ」
勝つつもりで弥次さん、逆流をこらえながら十個ばかり口へ押し込んだが、もう限界。
こんぴら「こりゃ恐れ入った。これではかないっこない」
弥次「そういわずにおめえさんも食ってみなせえ。二十個食えたら、わっちがまんじゅう代は払いましょう」
それではと、こんぴら。ゆっくりと十個食って、あとの十個はやや苦しそうに平らげてしまった。
弥次「おそれいった。しかし、もう十個は食えますか?」
賭けはエスカレートして、まんまと弥次さん三百文を払うことになった。
少し進むと駕籠かきがぶらぶらとやってくる。
かごかき「だんな方、お籠はいかがですか?」
弥次「駕籠どころかえらい目にあっちまった」
かごかき「ははは、いまの金毘羅めだな。ありゃ大津の釜七という有名な手品師でさぁ」
ということで、まんまと騙された弥次郎兵衛さんでした。 熱くなっては いけません!
昔は四日市湊から蜃気楼なるものが望めました。そしてそこにもひろ助が!見物に来ていた菰野城主の土方雄永(ひじかたかつなが)もびっくり!
番頭さんと杢兵衛さんの二人は、膳棚担げたまま泣きだした。次に目を覚ました三番番頭の久七。これがまた井戸の淵に乗ってターザンみたいに天窓の紐にぶら下がり、弾みをつけて駆け上がろうとした。ところが女子衆(おなごし)さん、来たばかりで勝手がわからん、天窓閉め忘れてまして、括ってあった紐がするスルー スルーッと伸びて久七は紐をつかんだまま井戸の中へボチャーン!
番「だれや、井戸の中にはまりよったでぇ」
久「そこでお声が致しますのは、番頭さんと杢兵衛さん。ちょっと上げてもらえまへんやろか」
番「そうもいかん。こっちはふたりで膳棚担げとるんじゃ」
久「おたくは命に別状ないでええけど、わたし泳げませんのや」
番「あかーん 御寮人さん起きて来やはった。逃げられへん。こうなったらいびきかいて寝よ」
二人は膳棚担げたまま寝たふりをして グーッ
寮「何をしとんのや。天窓の紐が井戸の中に入ってるやないか。まあ久七、お行儀の悪い。ちょっとお店の方呼んであげるよってにな。ちょっと番・・・まあまあ、お店総出やないかいな、番頭はんに杢兵衛どん、膳棚担げて何しとんの?」
杢「宿替えの 夢を見ております」(宿替え=引っ越し)
ご清聴まことにありがとうございました。お気をつけておかえりください。
真っ暗闇の中、壁伝いに進む弥次さん。有明行灯(ありあけあんどん)の先の部屋に目を凝らして見ると誰かが寝転んでいるようだ。これが北さんの云う約束の代物(しろもの)かと撫でてみると、コモをかぶっているようで硬くて、しかも冷たい。にわかに気味が悪くなり、あわてて北さんのところまで這い戻った。
弥次「北八、まだそこに辛抱していたか」
北八「オレを置いて何処へ行っていた、弥次さーん」
弥次「それどころではない、奥の部屋には、コモで巻いた死人が居る。恐ろしや、恐ろしや」
北八「オレを置きざりにしてどうする。まっておくれよォ」
とその時、北八の手が緩み、大音響とともに棚が崩落ちた。さあ、何事かと宿の者が次々と起きてくる。膳箱も何もかもが無茶苦茶になってしまった。そこへ相部屋の田舎者二人がやってきて、
田舎「道理でえらい音がすると思うた。ありゃりゃ、こんなところまで膳箱が飛び散って、地蔵様のお鼻が欠けてしまっとるだぁ」北八がハッとして顔を上げると、そばには石地蔵が横たわっている。宿の亭主はこれに憤慨して「お客様がコモをかぶって地蔵様に添い寝をしよる。なんぞのたくらみでもあるのか?正直に言いなされ」
横に並ぶ田舎者も一緒になって「明日には長安寺様へ納めるはずの地蔵様を運ぶ途中の災難。欠けた鼻を戻してくだされ」と、北八に詰め寄る。やむなく北さん、夜這いの一件を白状させられ弱り込んでいるところへ、部屋の隅に居た弥次さんが出てきて、「此の泣きべそをかいている者は、怪しい者ではござんせん。地蔵様の鼻はわっちが何とかいたしましょう」とかなんとか適当なことを言い
はひかけし地蔵の顔も三度笠 またかぶりたる 首尾のわるさよ
と、弥次さんの即興の狂歌に、一同どっと笑い、その場はおさめてしまった。
やうやうと東海道もこれからは はなのみやこへ四日市なり
翌早朝、四日市宿を発った二人は、諏訪神社を詣で新田町(現スワマエ通り)を通過して江田町を通り、浜田村から赤堀へと差し掛かったのでございます。
では一方の、枝雀師匠の「口入屋」、その顛末やいかに? つづく
桂枝雀さんの落語に「口入屋」というのがございまして、ここで東海道中膝栗毛の「四日市」における珍事件と似たことが起きております。題して「夜這膳棚事件(よばいぜんだなじけん)」。
番頭さん新しい女中さんを前に 帳面の方は筆の先や・・・・ドガチャガドガチャガ
大坂の船場にある口入屋(職業安定所みたいなもの)に、女子衆(おなごし)さんを紹介してほしいと、丁稚の定吉がやってまいります。いつもは不細工な女中さんをご所望ですが、今日に限って番頭さんの言いつけにより別嬪の女子衆さんを連れて帰ることになります。
迎えたお店(たな)は大騒ぎ、下心のある番頭さんは、御寮人(ごりょうにん)さんのお目見えが終わると、夜のお楽しみに気が騒ぎます。
番頭「あのね、こういうところはね、今日は目見え、一遍帰ってまたあら・・・ああ・・うん、そうやけども、ちょっと事情があって、今晩から・・二階へ・・。おい、聞きなさい。今日はもう仕事おしまい。早いこと店閉めて表、掃除しょ、はいっ、しまい」
定「まだ大分 はようございます。外は明かるうございます」
番「はー、かまへん、かまへん。今日はかまへん。今日はめでたい女子衆が目見えでめでたいど。もう今日は仕事おしまい。おーしまい、おーしまい。表を掃除したら、布団敷いて寝ようぞ」
定「まだご飯食べてぇしまへん。ご飯、ご飯、ご飯・・・」
番「やかましい、お前は。・・・もう、・・なんで飯食うねん」
定「そりゃ食いますよ」
番「さあ食え、早よ食え、さあ食え、早よ食え・・」
定「やかましな、食べてられやしまへん」
番「食ったら寝間ひけ、寝間ひけ・・。ハー寝ぇ寝ぇ寝ぇ・・・さあ寝ぇ、早よ寝ぇ、さあ寝ぇ、早よ寝ぇ・・・」
定「あんた、やかまして寝られやしまへん、それでは」
「おやすみ」「おやすみ」さて夜も更けて、初めに目を覚ましたのが二番番頭の杢兵衛です。
杢「あーあ あーひとしきり寝たなぁ。番頭、寝とるがな。よしっ、この間に抜け駆けの一番槍を」と、暗闇の中、二階へ上がる梯子段。
杢「痛っ、御寮人さんや、今晩あたり来そうやちゅうので引き戸しめて錠おろしてんねん。若いもんは好きなことさしときゃええがな。あんたはええわいな、歳いってんのやさかい。どっかから二階・・そうや台所へ回って膳棚足がかりで薪山(きやま)から上がったら手もないわ」。
船場の商家には、箱膳を積んでおく棚がありまして、悪いことに その腕木が腐っておりました。それに手をかけたものですから、肩の上にガラガラっと・・・。
杢「これ何したの、これ? つまり膳棚 担(かか)げたの?何をすんのよ、おっ、向こうの腕木ひっついたあんねんねぇ。ということは、下ろすわけにもいかんの、これ。明日の朝までこんなん嫌やで」
二番目に目を覚ましたのが一番番頭「おっと寝忘れた、先を越されては」と、同じように錠のかかった梯子段をあきらめ台所へ回って膳棚に手をかけると とたんにガタガタッ
番「何したの、これ?膳棚 担げたん?何やいこれは。えらいグラグラするやないかい」
杢「そこへお越しになりましたのは番頭さんのようでございますけど」
番「そいう声は杢兵衛どんかい、おい、これ二人で担げてんのかい、膳棚を。おっと、揺ったらいかん。コトッと何やこけた。醤油差しと違うか。そんなもんが倒れたら騒動・・・醤油が流れてきた。背中へ入ったぁ。やいとの皮が剥けたんねやがな。ふーん、しみる、しみるーッ」
そういう声は 杢兵衛どんかい、おい、これ二人で担げてんのかい。
さて、お話は、弥次さん北さんの繰り広げる東海道中膝栗毛へと戻りまして、四日市宿で棚を担いだままの北八さんを置いて、次の部屋へ忍び込む弥次さんの顛末やいかに。 つづく
第6回 辻さんと巡る昭和30年代の諏訪のまち 戦後、諏訪公園の西に広がっていた赤線地帯。そのあたりを中心に 辻さんと歩いてみましたので、ごらんください。
さても、ひろ助さんに、四日市は内部川の橋の上にて、またまた傘を飛ばしていただきました。
弥次さん北さんの東海道中膝栗毛。お二人は四日市宿にもお泊りいただいております。
三重川の土橋を渡ってゆっくりとした坂を下ると四日市宿である。弥次郎兵衛と北八はここでの一泊を決めていた。
「さあどうぞ。うちへお泊り下さい。おーい。お泊り様がおみえじゃ。」
宿場の両側から宿引きが出て袖を引っ張る。引かれて入った宿がまた貧相なつくりで、おまけに相部屋しか空いてない。弥次さんは「かまわねぇ」とあきらめ顔だ。宿の奥まった部屋に居た相客は田舎者の二人連れ。既にくつろいでいて、田舎者のひとりが「お早いお着きでござらっしゃった。」と挨拶をする。さて、女中がお風呂の案内にやってきたので、北八は小声で「今夜はよろしく」とその若い女中に声をかけておいた。懲りないお二人である。
夜も更けて、弥次郎兵衛がふと目を覚ましてあたりを窺うと、行灯はいつしか消えて真っ暗がり。北八を出し抜いてやろうと抜き足差し足で次の間に進出する。かねて聞きおいたとおり、手探りの壁づたい。が、弥次郎があまりに高く手を伸ばしたらしく、吊り棚にこつんと手がつかえる。変な音を響かせたと思ったときは、棚が外れたらしい。
夜這いに忍び込んだ弥次さんは、お女中とコモにくるまれた石の地蔵さんを間違えて大失態!
北八「こいつは大しくじりだ。棚板が外れたらしいぞ。手を離したら棚板が落ちるだろう。どうもガラクタ物がぎょうさん積み上げてある様子だ。こりゃ困ったぁ。」棚から手を放せば大騒ぎになると、襦袢1枚で仁王立ちの弥次さんの処へ、北さんも壁伝いにやってきた。
北八「だれだ、弥次さんか、しかと、弥次さんだな」
弥次「静かに 静かに ここへ来てくれ」
北八「なんだ なんだ どうしたんだ」
弥次「ちょっと これを持ってくれ ここだ ここだ」
北八「どれどれ なにを持つんだ」
北八に棚を持たせたまま弥次郎兵衛は棚を離れてしまった。
「やれやれ なさけない目にあわせる これこれ弥次さん何処へ行く。手がだるいよ どうかしてくだせえ」 つづく
これと全く同じお話が、枝雀の落語「口入屋」にございます。ご紹介は次回へ・・・
「四日市とんま大使が乱入!/馬の耳に念仏ダンス/PEEP SHOWさん」 (youtube.com)
さて、日坂事件の顛末です。
すでに夜も8時過ぎ、午後10時。まわりの拍子木の音枕に響き、台所に明日の支度の味噌をする音も止みければ、只 犬の遠吠えのみ聞こえて、もの淋しく更けわたるに、北八は「よし」とそっと起きい出、奥の間を窺えば、行灯消えて真っ暗闇。そろそろと忍び込み、探りまわして、かの巫女(いちこ)の懐へにじり込むと、思いのほか、この巫女の方より物も言わず、北八の手を取って引きずり寄せる。北八は「こいつはありがたい」とそのまま夜着をすっぽり、手枕のころび寝に、仮の契りの込めし後は、二人とも前後も知らず鼻付き合わせてグッと寝入る。(北八ッさん、やっちまった―ッ)
さて、弥次郎兵衛はひと寝入りして目を覚まして起き上がり「もう何時だ知らぬ。手水(ちょうず)に行こう。こりゃ真っ暗で方角が知れぬ」小便に行くふりにて、これも奥の間に這い込み、北八が先を越したとはつゆ知らず、探りによって夜着の上からもたれかかり、暗がりまぎれにかの巫女と思い、北八がムニャムニャ云う唇をねぶり廻しあんぐりと噛みつく。北八肝をつぶして目を覚まし北「アイタタタタ」弥「オヤ北八か」北「弥次さんか、エエきたねえ ペッペッ」北八と寝ていた巫女(いちこ)も目を覚まし「コリャハイ おまいちはなんだ。そうぞうしい。しずかになさろ。むすめが目を覚ますに」そういう声は婆(ばばあ)の巫女。北八は二度びっくり。こいつ娘と取り違えたか。いまいましいと這い出て、こそこそと次の間に逃げ帰る。弥次郎も逃げんとするを巫女、手を取って引きずりながら婆「おまえ、この年寄りを慰んで、いま逃げることはござらぬ」弥「いや人違いだ。俺ではない」婆「インネそういやしなますな。わし共は、売淫を商売にしませぬが、旅人衆の夜の添い寝でもして、ちっとばかしの心づけをもらうが世渡り。存分になぐさんで、只逃げるとは厚かましい。夜の明けるまで、わしの懐で寝やしませ」弥「これは迷惑な。ヤイ北八 北八」婆「あれ 大きな声を出しますな」弥「俺は知らぬこと、北八め、とんだ目にあわしやァがる」
巫女(いちこ)ぞと おもうてしのび 北八に 口をよせたる ことぞくやしき
1802年、十返舎一九の書いた“東海道中膝栗毛”は当時はやり出した旅行ブームに乗って大ベストセラーとなりました。ここに日坂のことが掲載されています。ここではとんでもないことが!相変わらずのお二人でした。
袋井
弥次喜多は雨宿りのため、日坂宿のある旅籠に入りました。まだ日が高いので雨が止むのを待って歩きだす予定だったのですが、その宿に女性の団体が泊まると知り、あっさり日坂でその日の旅を打ち切ります。
女性の団体は巫女 (霊媒師) でした。弥次は面白半分で死んだ女房を呼び出してもらいます。
女房との再会で涙ながらに「もっと大切にしてやればよかった」と反省するのですが、その後巫女達と酒を飲み、舌の根も乾かぬうちに若い巫女のところへ夜這いに行こうと画策を始めました。
喜多に「今日ぐらいおとなしくしてたらどうだ。俺に譲れ」とたしなめられるものの、おとなしく言うことを聞くような弥次ではありません。
日坂
夜も五ツ (午後八時) を過ぎ、四ツ (十時) に回る夜回りの拍子木の音が枕もとにひびいてくる。台所であすの支度に味噌をする音もやみ、犬の遠ぼえだけが聞えてくる。物寂しく静かに雨の夜はふけて行く。時分はよしと北八がそっと起きだし、奥の間をうかがうと、行灯も消えて真暗である。
そろそろと忍びこんで探りまわし、巫女の夜着の中にすべりこむ。すると思いがけなく、この巫女の方から無言のまま北八の手を取って引っぱり寄せた。北八はこれはありがたいと、そのまま夜着をすっぽりかぶって手枕のころび寝に仮のちぎりをかわした後は、二人とも前後不覚に鼻をつきあわせて寝入ってしまった。
巫女と思っていたのはとんでもないおばあさんだったというオチを読んだつもりで、ウエブサイトを手繰りなおしておりましたが、発見できませんでした。伊馬春部訳の“東海道中膝栗毛”にて その顛末を調べてみることにいたします。つづく
掛川
京まで急用を仰せつかったひろ助 朝はゆっくりの出立でしたが 早くも追分まで来ておなかの虫が鳴き出した。さて、饅頭なるものを 腹に入れて行こうか?腹が減っては鈴鹿の山も越えれまいに・・・イヤイヤ今日は坂の下でのお泊りや
本美さんの原画を 無断借用いたしました
「ありゃりゃ!」峠の途中でひろ助は驚きました。まるで坂道を転がり落ちてきたように、大きな石が道の真ん中に座り込んでいます。石には“南無阿弥陀仏”の字が彫られていました。親子連れの旅人もこの石を見てびっくり仰天です。
歌川広重“東海道五十三次 日坂”
ここは、静岡は掛川の日坂(正 にっさか:誤 ひさかと読んでおました)宿と金谷宿の間にある小夜(さよ)の中山峠。夜でも暗い急な坂道の難所です。
その昔、久延寺に安産祈願にきた妊婦が山賊に襲われ殺されてしまいました。死に際に母親は、お腹の赤ん坊を助けるため、かたわらの石にのり移って泣いたということです。悲しいお話ですね。
泣き声に気づいた久遠寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。そしてその子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
水あめのようです 子育て飴
学芸員・栄養士:大森久美さん
浮世絵と名物 小夜の中山の伝説で味わう「子育飴」 - ippin(イッピン) (gnavi.co.jp)
よしもとアンダーポイントの本美 大さんから、第二作が届きました。ありがとうございました。ここにも四日市の廻船問屋 稲葉家の九番番頭“ひろ助”が登場しております。
ひろ助曰く「なんじゃこりゃ」旅の親子も驚きです。