花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

新年賀詞交換会

2013年01月10日 | 四日市商店連合会です

お知らせが大変遅くなりました。1月7日月曜日、恒例の四日市商工会議所「新年賀詞交換会」が都ホテルでございました。中日新聞8日付の記事

四日市商連からは、森会長・浅谷社長・コスモちゃんと私メが出席いたしました。

コスモちゃんが岡田衆議院議員のお姿を、新しいスマホでしきりと盗撮いたしております。「そこからではよく見えないのでこちらから写しては?」と誘導させていただきました。まずは最初の写真 まったく写ってオリマヘン

岡田議員さまは人影で見えません。さて、誘導後の写真

バッチリ移せ(訂正  写せ)てよかったネ!

コスモちゃん曰く「最初は看板をとったノダ」とのことでございました。


“二十四の瞳”の子供たち

2013年01月07日 | 諏訪商店街振興組合のこと

分校に着任した大石先生は、12人の子供たちを前に点呼をとります。一人ひとり・・・。

「さあ みんな自分の名前を呼ばれたら 大きな声で返事するんですよ 先生 早くみんなの名前を覚えてしまいたいから ねっ」

岡田磯吉(ソンキ) 大きくなって出征するが 失明して帰る 成人は田村高宏が演じている

相沢仁太(ニクタ) 出征して戦死

川本松江(マッちゃん) 貧しさから進学せず金毘羅さん近くにある食堂に奉公に出る 修学旅行で大石先生と再会

片桐コトエ 奉公先から返され 「先生 私苦労しました」の言葉を残して病死

木下富士子(フジちゃん) 貧しさから一家は兵庫へ移っていく

仰げば尊し わが師の恩

教えの庭にも はやいくとせ

おもえばいと疾し このとし月

いまこそわかれめ いざさらば

 


感涙必須の“二十四の瞳”

2013年01月06日 | 諏訪商店街振興組合のこと

いたわり合い、助け合って生きていこうという木下映画の考え方を、今こそ我々はもっと大事にしなくてはならないと思います。

木下さんの映画をみんなが涙を流して見るような世の中であってほしいと心から願います。       山田洋次(映画監督)

“二十四の瞳“は、キネマ旬報第1位。2位は木下恵介監督“女の園”、3位は黒澤明監督の“七人の侍”でした。“ゴジラ”が製作されたのもこの年です。

この映画は昭和29年に製作されました。木下恵介監督はじめスタッフの皆さんは、小豆島に1年かけてここの美しい自然の撮影に取り組みました。

物語は昭和3年に始まります。昭和不況の貧困はこの島にも襲いかかり、やがて太平洋戦争に突入し、男子生徒は出征して行きます。12人のうち男子生徒は5人。その中の3人は戦死します。

冒頭、着任間もない大石先生(高峰秀子)は、12人の1年生を前に点呼を取ります。一人一人あだ名を確認しながら、愛情をこめて名前を呼ぶのです。

挿入歌

仰げば尊し・アニーローリー・村の鍛冶屋・故郷・七つの子・春の小川・荒城の月・浜辺の歌・朧月夜・里の秋・せいくらべ・冬の星座・埴生の宿・庭の千草・蛍の光・・・・・・なかでも仰げば尊し・アニーローリー・七つの子は効果的に使われています。


謝!“昭和キネマの集い”

2013年01月04日 | 諏訪商店街振興組合のこと

平成24年度 文化の駅サテライトステーション事業も3作品を残すのみとなりました。その都度お話しさせていただいていますが、こうして大勢の皆様が鑑賞に来ていただけるからこそ、続けていくことができるのだと感謝いたしております。

第1回 張込み

第2回 青い山脈 前篇

第2回 青い山脈 後編

第3回 おとうと

第4回 男はつらいよ

第5回 羅生門

第6回 有りがたうさん

こうしてみると、著名な作品ほど来場者が多い傾向がみられます(あたりまえですが…)。

次回1月25日は木下恵介監督の“二十四の瞳”です。2時間26分の長編であるため、時間を繰り上げて午後5時30分からの上映となります。

宣伝編集のため、あらかじめ何度もDVDを観ていますが、まぁ 泣けること泣けること、観るたびに泣かされております。年をとったせいでしょう キット!

 

 


四日市十二景

2013年01月02日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

“商工春秋”の巻頭を飾る“四日市十二景”もあと三景を残すのみとなりました。(東溟山建福寺山門秋景・竜灯之松不動寺の晩鐘・諏訪神社之景)

水谷百碩(明治元年~昭和3年)は北町紙屋「大津屋」の人で、伊勢の磯部百鱗に師事しました。絵のほかに萬古焼の上絵付けをしたことが知られています。絵画作品は、あまり知られていませんが、四日市市民なら一度は目にしたことがある稲葉三右衛門の肖像画を描いています。

「四日市十二景」は依頼され描いたものですが当初から12枚組であったのではなく、12枚残されていることから四日市博物館で「十二景」と資料名を付けたそうです。百碩はこのほかにも3~4枚ほど描く予定だったようですが、実際に描きあげたかどうか分かっていません。

さて、平成も25年が明けました。このあたりで“平成の四日市十二景”を考えてみませんか?皆さまのコメント、お待ち申し上げております。

明治初年の高砂町遊郭

雀頭垂坂山春景

昌栄新田潮干狩

鵜之杜春景

三滝川夕涼

旧四日市浜之景

午起之綱引

掃部堂之秋景

御陣屋裏門之秋景