花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

昭和の食と商店街 昭和43年の1番街

2017年10月06日 | レモン色の町

第28回 昭和43年の1番街

39年9月5日辻さん撮影

昭和43年、諏訪駅が撤去されてから12年経つ。この間に、駅前商店街は様相を一変する。スワ百貨店が昭和39年9月5日開店し、1番街通りは、文字通り四日市で1番の繁華街となった。

40年7月15日辻さん撮影

駅の横には近鉄百貨店、その前には近鉄興業が経営する四日市シネマとグランド劇場、オカダヤも出来て、中央通りの楠の木も順調に伸びている。まさに躍進する四日市の表玄関となった。

40年7月13日辻さん撮影

高度成長期に入り食生活も様変わりした。1番街の諏訪寿司で、手巻き寿司を食べた。ここの大将はコンビナートからヒントを得て、コンベア寿司を発案、公園の西南に店を開く。これは特許が取れると申請したが、すでに大阪で申請済みだったそうだ。回転すしの始まりだった。

昭和43年の1番街


昭和の食と商店街 秋刀魚の味

2017年10月04日 | レモン色の町

第27回 小津監督“秋刀魚の味”

小津安二郎監督の遺作となった昭和37年の作品“秋刀魚の味”は、表題の通り、昭和の庶民の食べ物が並びます。戦争から帰った小津監督は、平和で平凡である日常を味わっていました。そんな、しみじみ感がよく出ている作品です。

同窓生が集まって恩師(東野英次郎)を料亭に招待します。さもおいしそうに食べる恩師。「これはなんですか?」「先生それはハモ(の吸い物)です」「ハム?」「いえ、ハモです」「魚偏に豊かと書いて鱧か」定年後の先生は、下町で小さなラーメン屋を営んでいました。

先生の店へ記念品を届けに来た笠智衆は、そこで昔の戦友(加藤大介)と出合い、近所のトリスバーを訪れます。そこでは、ウィスキーをストレートで飲んでいます。つまみはピーナッツです。

笠智衆の長男(佐田啓二)は結婚して岡田真理子とアパートに住んでいます。遅れて帰った岡田はハンバーグを買い、佐田はハムがあったので「ハム玉をつくっている」と卵を溶いています。

再び、父は娘(岩下志麻)の結婚の相談で長男(佐田)とトリスバーを訪れます。夜の食事がまだだった長男は炒飯を取り寄せてもらい、笠は豆をつまみにトリスウィスキーの水割りを飲んでいます。

数日後、父親の相談を受けて佐田は同僚を誘いとんかつやで飲んでいます。

鱧の吸い物、ラーメン、ストレートのウィスキー、水割り、炒飯、ビール、とんかつと食事のシーンはどれもおいしそうです。

映画に出てくる商店街は、田園調布の東方あたりで工場の立ち並ぶ下町と云った感がします。昭和37年、まだまだ空き地や荒れ地が残る風景が広がります。


昭和の食と商店街 グリコアーモンドチョコレート

2017年10月03日 | レモン色の町

第26回 グリコアーモンドチョコレート

オマケが目的のカバヤキャラメル

一粒で二度おいしいアーモンドグリコ

 昭和31年発売のキャラメル「アーモンドグリコ」大ヒットで勢いに乗る江崎グリコは、昭和33年2月ついに「グリコアーモンドチョコレート」を発売開始、チョコひと山まるごとアーモンドを封入した。

発売されたのは30円と50円の2種類で、どちらもチョコレートの上にアーモンドの粒が浮き出ているような、独特のデザインが特徴的。これまでのアーモンドグリコでは、砕いたアーモンドの粒が入っているだけだったが、今度はアーモンドの粒がまるごとチョコレートの中に入っているというゴージャスさが最大のウリ。

カリッと香ばしいアーモンドの歯ごたえは、まさしく高度成長の味。こりゃ駄菓子屋のチョコとは比べものにならないぞ。その分、値段もちょっと高いけど。(昭和こども新聞 日本文芸社刊より)

“アーモンドグリコ”は、おまけ付きグリコと違い、噛むと粒粒感を感じ、次にホンワリ アーモンドの香りと味が楽しめた。そして、新しく出た“グリコアーモンドチョコレート”は衝撃的だった。アーモンドが一個丸ごと楽しめたからだ。まず口の中でチョコを味わう。中からアーモンドが出てくる。キレイになめたら口から出して確認する。再び口に入れアーモンドのカリカリ感を楽しむ。

渡辺菓子店はS君の近所だったから、店主と客との関係以上のものがあった。いつもはオマケ付きのカバヤかグリコだったが、アーモンドチョコレートを買うときは態度が違った。低めのガラスケースが並んでいて、その後ろ、壁側に高級品のケースがあった、商品を取り出すとき、おばさんはそのケースの裏を利用する。つまり店主専用通路なのだが、その狭い通路を堂々と入り込み、勝手にチョコを取り出した。おばさんは話好きで、いつも近所の人と大きな声でしゃべっていた。支払いはきちんと済ませた。近所だから・・・。

10円のグリコは嫌になるくらい買った。全部取り出すと一気に口へ押し込んだ。点数を貯めて“ジェムストーン”をもらうのが楽しみだった。


昭和の食と商店街 明治オレンジジュース

2017年10月02日 | レモン色の町

第25回 明治オレンジジュース

味という点ではともかく、便利さにおいて缶ジュースは、瓶ジュースにはかなわなかった。瓶ジュースの蓋は、たとえ栓抜きが無くても、机の引き出しの取っ手金具を使って開けられるし、いざとなったら、歯ではずすこともできた(かなりの危険は伴うが)。しかし缶ジュースは、缶切りがなければお手上げ、飲むことはほぼ不可能なのである。

 缶切りを使った開けかた例

そんな中、昭和32年に登場した缶ジュースに注目が集まっている。明治製菓から発売された「明治天然オレンジジュース」には、なんと最初から缶に穴あけ器がついているのである。小さい釘抜きのような形をしたその穴あけ器を使えば、あっけないほど簡単に穴を開けることができる。これでもう、缶ジュースを飲むたびに缶切りを探さなくていいのだ。老婆心ながら申し添えておくと、缶ジュースに穴をあける時は、飲み口の他に空気を抜く穴をあけることを忘れない様に。穴1個だけでは、飲むのに非常に苦労することになる。(昭和こども新聞 日本文芸社刊より)

現在の公園通りにあった“竹屋”さんに、新発売の缶ジュースがあった。大きなお菓子屋さんで敷居が高かった。Sくんと店の前にいた時、男の子が万引きをする現場を見つけたので、少年探偵団の気分で注意した。「君、それは悪いことだぞ」。男の子は盗んだお菓子を返したのかどうかは記憶にない。少年探偵団気分のまま二人は諏訪公園へ走り、砂を掴んで図書館の方へ投げた。何故そうしたのかはマッタク分からない。ところが砂の飛んだ先に浮浪者が寝ていて、むっくり起き上がった。二人は一目散で逃げ帰った。

少年探偵手帳