花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

わが町 諏訪 その16

2024年06月10日 | レモン色の町

文字をクリックしてお楽しみください。クリクリ!

「公園と幼稚園と赤線が混在した町/四日市を掘り起こし/第5回」 (youtube.com)

昭和30年初期の早朝 「あさ~り しじみよ~え」自転車の後ろに木箱を積んでシジミ売りが回ってくる。「こうじみそ~ きんざんじみそ~ からぁしづけぇ ふくしんづけぇ~」麹みそ屋さんは垂坂から やはり自転車の後ろに引き出しの付いた箱で売りに来る。シジミは升に入れて 棒でさっと均す。みそは量りで売る。おっかぁは 売り子の声を察知して 絶妙なタイミングで表へと買いに出る。その横を牛乳屋の自転車が ガチャガチャいわせながら通る。瓶入りの牛乳は 専用の針で厚紙の蓋を開けると忘れ難い匂いがしていた。高級だった。蓋は残しておいて、学校でパッパという遊びに使う。交代で息を吹き掛け 表と裏が重なったら2枚とも頂きとなる。盛んになると 青木君は未使用の蓋をどこからか仕入れて持ってきた。

弁当のおかずにする卵は近所の魚増さんへ買いに行く。冷蔵庫のない時代は当日買い求める。何故か魚屋に卵がある。仕出しの関係と思われる。おじさんは ぬかの中に沈められた卵を取り出し 新聞紙で作った袋に入れてくれる。

朝の時間が忙しく過ぎていく。冬、高岡からの銅器の荷は、リンゴの木箱に藁に包んで送られてくる。そのわらで焚火をする。焚火の中へお芋を入れたり石を入れたりする。石は熱いのでハンカチにくるんで登校する。ハンカチが焦げて真っ黒になった。

朝のひと時は いそがしく 過ぎて行った。

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四日市宿のひろ助登場!

2024年06月09日 | ひろ助が巡る花の東海道

皆様ご存じ 歌川広重さんの東海道五十三次より 四日市は三重川の図 強い風が吹く乗船場に近い板橋 笠を飛ばされた旅人はあわてて追いかけます 一方 風に耐えながら板橋を渡って去っていく渡世人風?の男 二人がすれ違い離れていく姿から 広重は旅の淋しさを表現したようです 

この絵は 水谷百碩さんが書かれた明治初期の東海道に架かる四日市橋の図 茶店も出て夕涼みの人々で賑わっていますが どう見ても三重川に出ている板橋のような小さな橋ではありません 四日市博物館学芸員の広瀬氏も この絵はもっと浜に近い風景だと話してみえます ということで

ひろ助登場!あわわ!

広重さんの五十三次を物語にして楽しんでいただこうと オレンジ田中さんの友人 アンダーポイントの本美 大さんに漫画をこしらえていただきました 「ひろ助 飛ばされた笠を あわてて拾いに走る図」 ひろ助は廻船問屋 いなば屋の9番番頭で運送品の契約の為 全国(特に専門は東海道沿いの商家)を旅しています  広重の絵に出没するひろ助は これから東海道の各宿場を紹介していきます どうがご期待ください

右 本美さん 昨年春のイベント春の東海道まつり より

 

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わが町 諏訪 その15

2024年06月05日 | レモン色の町

“あなたも私も思わず血圧が上がる超現代ラブ!作品” 日活スコープ 総天然色  の横断幕が挙がります。日活映画“危険な年齢”は、原作 石坂洋二郎、出演 津川雅彦、野添ひとみ、宇野重吉で、封切りが昭和32年9月15日となっていて、初期の日活青春路線作品になるでしょう。

樹林舎刊 四日市の昭和 より 中西秀男氏撮影

各店頭に国旗が挙がっているところから9月22日“秋分の日”の撮影でしょう。この日は、四日市祭りの直前です。手前にあった諏訪駅へつながる線路も取り外され舗装も真新しくすっきりと見えます。ここは1番街とスワマエの交差点から北の諏訪神社方向に撮られた写真です。下に線路が通っていましたと言わんばかりに、新しく舗装されたアスファルト道路を大きく取り入れた構図になっています。

左 手前から。三味太楽器店、助六寿司、明治軒、キムラ洋装店と並びます。右には“御園”とありますが、何の店か分かりません。推測します。昭和33年頃当店の隣に“みその化粧品店”さんが引っ越してみえました。その前、ここにお店があったのではないでしょうか?化粧品店らしく見えないのは、みそのさん当時は電気商を営むつもりであったとお聞きしました。その前に露天商が店を開いています。写真の説明では“物欲しそうに並ぶ果物を見るこども”とあります。遠くに建設途中のアーケードが山形にそびえています。戦後復興からようやく立ち直り、整備がすすむ秋のスワマエ通りです。

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わが町 諏訪 その14

2024年06月02日 | レモン色の町

MH生さんからのお手紙の第2弾です。1号線近くに半分露天のようなお菓子屋がありませんでしたか?それは“コトブキヤ”さんでしょう。当店の近くでしたから15時近くになると、兄弟を代表してお菓子を買いに走らされたものです。“コトブキヤ”さんは、1号線に面した角にあって、何列か下に箱が並んでいて、ガラスの蓋をあけてステンのスコップでザッとお菓子をすくい(コップの形は鮮明に覚えております)、紙の袋に入れて量りの上にのせて売っておりました。10円で買う子供が多かったので、10円で何グラムと表示がケースの後ろに書いてありました。奴あられ・変わり玉・煎餅・ビスケット・金平糖等を持って帰って、部屋で包装紙を兄弟分拡げます。そこで等分にお菓子を分けます。全員が多い少ないを凝視する中・・・。MH生さんが買ってもらった“カルミン”は覚えております。形も味も覚えております。

コトブキヤさんは昭和40年頃に“ビーボーン”というレストランになっています。ここの吹き抜けになった2階でランチやレモンスカッシュをいただきました。

ビーボーンさん跡

諏訪神社から南に延びる道を進み(東海道の当店前を通過して・・・)、旧近鉄線の踏切を渡ったところで“野球帽”を買ってもらった思い出があります。それは、帽子専門店の“一見洋品店”さんのことです。“帽子の専門店”で商売が成り立っていたとは凄いことです。一見さんが閉店の折、在庫を放出されました。その時に頂戴したのが、はじめて頭にした“ハンチング帽”でした。以来私には欠かせない代物となっております。

一見さん跡

浜田小学校からの帰り、正ちゃんと笑いながら一見洋品店さん前を通過すると、ポコッという音がします。驚いて振り向くと、一見さんのウインドゥに石ころ大の穴が開いていました。うしろを来たAさん兄弟の仕業でした。Aさん弟は体が不自由で、それを笑われたと勘違いし、落ちていた石を投げつけたようでした。悲しい出来事でした。小さい頃の思い出は、なぜか ほの悲しいことが多いようです。

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わが町 諏訪 その13

2024年06月01日 | レモン色の町

今朝、MH生さんからお手紙をいただきました。ありがとうございました。MHさんは昭和23年生まれで団塊の世代、私と同年です。昭和39年までの幼年、青年時代を四日市で過ごされました。まず、新しく出来た近鉄四日市駅を降りて北へ進み踏切を渡ります。諏訪駅東の踏切でしょう。諏訪新道に出たところにおもちゃ屋があったと書かれていますが、スワマエ通りの“丸大玩具店”ではないでしょうか?どちらもよくお伺いしました。

和31年の空撮(中日新聞さん)手前近鉄四日市駅 左上の丸印が丸大玩具店の建物

丸大玩具店の通路からトミナガ乳母車店を通って抜けると1号線に出ました。そこを渡ると諏訪新道です。丸大玩具店さんは戦後落ち着いてからトミナガさんと共同でビルを建てられ、真ん中に通路がつくられました。

昭和28年の名古屋タイムスより 左下に丸大衣料玩具の字がみえる

この通路は、戦後のバラック時代からの諏訪駅から諏訪新道へ抜ける重要な通路でした。思い出します、丸大さんは、ファミリーコンピューターのソフトの売れ筋に差がありすぎるので悩んでいたと話してみえました。新発売のソフトは飛びつくように売れていくののですが、旧作は売れない。メーカーは新作と旧作を抱き合わせで売り付けていたようです。

昭和43年のゼンリン地図

昭和33年 1号線舗装工事の様子 右トミナガさんの建物 訂正:よく見ると もう二軒右寄りのようです

諏訪新道へ出ると、左に“うまいや”がありました。ここの“びっくりぜんざい”を覚えていませんか?残念ながらびっくりぜんざいはいただいた記憶がありませんが、白砂糖が山のように盛ってあったと聞いております。猫のような大きさのネズミがいたとか。夜はネオン輝く蒲鉾型の建物で、二階も椅子席になっていた記憶があります。

昭和35年7月9日の洪水時の諏訪新道 左から東方向へ 水谷理容・川口屋・スギノトーキ、そして角にうまいやと並びます アーチに「へのへのもへじ」の看板 蒲鉾型の屋根をしたお店が望めます

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