国道187号を岩国から北上、四馬神下地区に入り錦川を見ていると左手に「名勝地 友廻の赤瀬」の看板が立っており、この先30m先には供養塔も立っています。
錦川の川舟は、遠い昔から極めて重要な交通機関でした。下りの舟は薪炭・板・鉱石・楮皮(こうぞ)・蒟蒻玉(こんにゃくだま)・下駄や宮島細工用盆・杓子などの原材料その他を積み、上りの舟には、日用品・食料品・衣類・セメント・煉瓦など衣食住の全てに渡るものを積んで運んでいました。また、人もこの川舟に乗せて運んでいたようです。
明治末期の最盛期には美川町内(旧河波村・旧桑根村)に約130艘の川舟がありましたが、この沖友廻の渦と赤瀬の瀬は川舟の難所で、度々転覆があり多くの水死者が出ました。そこで、宝暦2年(1752)に、山代代官所は友廻に水神社を勧請して川舟の安全を祈願しました。
「川舟と供養塔の由来」の説明板の左上には「空各水死諸精霊之塞」と記した供養塔が建っており、この供養塔は大正2年(1913)に友廻区の住民により建てられたものです。今日でも3月21日と7月21日に地区の人々によって「大はんにょう(大般若)」という供養が行われています。