阿宮冨士の城平山(じょうひらさん)島根県出雲市
島根県出雲市にそびえる城平山(じょうひらさん)登山
山の上が平である事から城平山と呼ばれるようになった
南北朝時代(1331~1392)に葛西武常によって山城が築かれ
その後葛西氏代々の居城となっていた
登山道は上阿宮登山コースと阿吾神社を登山口とするコースがあり
どちらからでも周回できる
山頂には東西の展望所があり、三瓶山、大万木山
高瀬山など素晴らしい展望が広がっている
阿宮冨士の城平山(じょうひらさん)島根県出雲市
島根県出雲市にそびえる城平山(じょうひらさん)登山
山の上が平である事から城平山と呼ばれるようになった
南北朝時代(1331~1392)に葛西武常によって山城が築かれ
その後葛西氏代々の居城となっていた
登山道は上阿宮登山コースと阿吾神社を登山口とするコースがあり
どちらからでも周回できる
山頂には東西の展望所があり、三瓶山、大万木山
高瀬山など素晴らしい展望が広がっている
熊野要害山(くまのようがいさん)松江市八雲町
島根県松江市八雲町熊野にそびえる熊野要害山(くまのようがいさん)
戦国時代に熊野城は尼子十旗の一つとして富田城防衛の重要拠点であり、城主は熊野氏
永禄6年(1563)9月、白鹿城を包囲していた毛利元就は
後方から牽制する熊野久忠を討つため熊野城を攻撃したが撃退された
亀元年(1570)布部合戦の後、牛尾城の落城を見て開城
かわって富田城の城督だった天野隆重が入城した
登山道は整備され、倒竹も全て撤去されて歩きやすくなっていた
山頂までの距離も案内され、迷うこと無く山頂へ至る
広く平坦な山頂は八雲山、出雲北山、星上山、京羅木山などが一望の展望地である
姉山城址(あねやまじょうし)島根県出雲市
島根県出雲市にそびえる姉山城址(あねやまじょうし)・姉山城跡
この城は頂上を削平して造られた古城であり、いつ作られたか不詳となっている
朝山氏は、主家尼子氏のため、毛利氏と争うも永禄9年(1566)尼子富田本城落城により、毛利氏派遣の代官大伴惟元によって支配をうける
これより朝山氏は、朝山八幡宮の祠官専務となったと、山頂の案内に記載されている
整備された登山道を辿り、途中からは出雲北山、日本海などの展望を眺めることができる
山頂は広く平坦で、山頂からは樹間越しの展望を眺めることができた