島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

神話の里-番外編③風土記・万葉の丘

2016-12-27 13:11:08 | 歴史・史跡
くしふる神社(社殿を含めた)の山体には色々な史跡がある。
とりあえず、天孫降臨された神々が天を懐かしみ遥拝した所といわれる「高天原遥拝所」を探して回る。
中腹に小高い丘を見つけたが、どうやらここではないらしい。

「風土記・万葉の丘」と名付けられた場所のようだ。
解説板の最初の書き出しが良かったので記しておく。
「皇祖発祥の地と伝えられる高千穂の地は日本国民の心のふるさとです。
 天孫降臨は一つの神話ですが、上代の歴史は洋の東西を問わず、神話の形式で伝えられています。
 神話は民俗を特色づける祖先の遺産であり、国の背景を形成する大きな要素とも言えます。」
なるほどねぇ〜。
同じ場所に「高千穂顕彰碑」(写真奥)や川田順歌碑、梅原猛氏植樹木があります。(一つ一つの紹介は長くなるので割愛します。)
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神話の里⑦槵觸神社

2016-12-27 10:18:55 | 寺社・仏閣
高千穂神社から移動してきました。
お次は「槵觸(くしふる)神社」です。(・・・?キーボードで「くしふる」の平仮名入力が出来ない?何故だ?※「く・し・ふ・る」と一字ずつ入力している。)
「天孫ニニギノミコトの天降りとして古事記に『筑紫の日向の高千穂の久士布流多氣(くしふるたけ)に天降りまさしめき』とあり、日本書紀の一書にも『日向の高千穂の槵觸峯に致します』と記されています。」

「住古は峯そのものを御神体としてお祀りしていました。」
“元禄元年(1688年)に延岡藩主 有馬清純が社殿建築を許可しましたが、清純候は元禄五年に越前糸魚川へ転封となり、着手にいたらず、次の藩主 三浦壱岐守明治敬の時、十社宮(高千穂神社)大宮司田尻乗信の願いにより、元禄七年(1694年)6月15日に造営遷宮されています。”

「ニニギノミコトをはじめ、降臨に随行された神々や国譲りで活躍された神々がお祀りされています。」
ここに至る前に立ち寄った観光協会で、「槵觸神社周辺の神話史跡散策案内図」を手に入れています。
お昼前に周辺一帯を散策します。
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