外回りをしていた先週、地下鉄を乗りまくってあちこちへ行きました。
長い傘が邪魔な雨の3日目。
地図を見ながら歩いていて「永田町駅」に着いたの。
有楽町線の階段を上がって 半蔵門線へもぐる、ジョイントデッキ部分でのこと。
今回あちこちの地下道を歩いていて、メトロの地下道にはだいぶいろんなお店ができているなーと思っていたのだけど、
「あー、ここにもお店ができてる営業マンが軽食をする便利な場所がエキナカにできてきてるなぁ」
と通り過ぎようとして、はっと気づいた。
あ、ここって、私とお父さんがよく待ち合わせをしたあの場所だ。
かつて、ここにはHIROTAのシュークリームスタンドがあったの。
父がまだ自分で歩いて出かけられる頃、田舎(や知人)から荷物が届くと必ず私に電話をくれた。
「○○が届いたから、明日会社に持っていくよ」
父は、近くに住む姉2人とワタシ、そして父の4等分をした「何か」を
会社まで持ってきてくれていたんだ。
お昼のタイミングで外に出てどこかでお昼を一緒して、13時になる前にバイバイ
そんな時が永遠に続くように思っていたけれど…
そのうち、父のお届け物は少しスタイルを変え、会社を上がった私と夕刻に永田町の『上』で待ち合わせをするようになったの。
有楽町線に乗って永田町までやってくる父。
丸の内線で会社から永田町へ行き、乗り換えて半蔵門線で横浜へ帰る私。
2人のぶつかるこのブリッジは荷物を受け渡すにはちょうどいい場所だったんだ。
「じゃあ、HIROTAのシュークリームの前に18時半ね」
仕事を終えてそこに行くと、父はいつも荷物を地面に置いて待っていてくれた。
そのうち、HIROTAの前まで来ないで有楽町線のホームのベンチにいていいよーと私が提案して、駅のベンチで荷物を受け取り、座って少しお話してバイバイするようになり。
夕方の混む時間にすっかりおじいさんになった父が電車に乗ってわざわざ来るの。
帽子をかぶって。
やがてだんだんその姿が心配なようになり、帰る有楽町線でシルバーシートの席が譲ってもらえるかしら?と気になるようになってきた。
現に、混みすぎてシルバーシートまで入れず、ドアぎりぎりに立って帰る父の姿を見送るようになると、ここまで来てくれるのが申し訳なくも腹立たしくもなってきたのね。
だってわざわざ来てくれて、分ける荷物が「じゃがいも4個」なんてこともあるんだもの。
4等分すると、その数になってしまうのは全然いいとして、
その4個のじゃがいもをこの混んだ電車で持ってくる父を痛ましくも思い、ありがたさも混在して、腹が立ったりするの。
娘の想いってこんなもんなのよ。
16個のじゃがいもが届いたなら、私に内緒にして
お姉ちゃん2人に5個ずつあげてお父さんが6個食べればいいじゃないの!と
4個のじゃがいもを持ち帰りながら寂しさがこみ上げてくるんだよね。
くれる物が何であれ、ありがたく受け取りながらも、老いていく父へのせつなさが混じって、帰りの半蔵門線はいつも不思議とショボーンとなっていたわ。
もう父に運んでもらうのは無理、と判断してからは、週末に実家へ取りに行くようになったのだけど、そこでもらうのがじゃがいも4個だと、これまた別の意味で頭にも来たりして。
だから時々は「アタシはいらないから、アタシの分はおねえちゃんにあげてっ!」って言ったり、欲しい物の時だけすぐに取りに行ったり…そんな風に使い分けをするようになったんだ。
親って本当にありがたいのよ。
「いらない!」と宣言する私をさびしく電話を切る父。
会いたさ半分なのはよーくわかってる。
けど、こっちだっていろいろ忙しくて、じゃがいも4個で実家まで行けないんだよ。
なんか…そんな出来事といろんな感情が、このブリッジを通った時にバーッとフラッシュバックしてきて、この写真を撮りながら一人で泣いてしまった。
(今も泣きながらこの文章を打っている)
十分優しくしてきたつもりだし、面白い娘だったと思うけど、それでももっと優しくできた日もあったよね。
「ありがとう」と言えばいいのに「これっぽっちなら電話しなくていいんだよー」と言ったこともあっただろう。
誰にもわからないこの場所。
明るく活気のあるブリッジになっただけ。
でも、私にはとっても大切な「父と私の」思い出の場所なんだ。
ありがとうね、お父さん
誰にもわからないこの景色。
ドラマは人それぞれだね。
ひょんなタイミングで涙が出ること。
それは不意打ちで怖いけど、とても好きな感情。
たくさんの思い出を折に触れて思い出せたら、それは幸せなことなんだなーと思うの。
このブリッジを通った時、そこに中折れ帽をちょこんとかぶった父がいたような…そんな気がした。
長い傘が邪魔な雨の3日目。
地図を見ながら歩いていて「永田町駅」に着いたの。
有楽町線の階段を上がって 半蔵門線へもぐる、ジョイントデッキ部分でのこと。
今回あちこちの地下道を歩いていて、メトロの地下道にはだいぶいろんなお店ができているなーと思っていたのだけど、
「あー、ここにもお店ができてる営業マンが軽食をする便利な場所がエキナカにできてきてるなぁ」
と通り過ぎようとして、はっと気づいた。
あ、ここって、私とお父さんがよく待ち合わせをしたあの場所だ。
かつて、ここにはHIROTAのシュークリームスタンドがあったの。
父がまだ自分で歩いて出かけられる頃、田舎(や知人)から荷物が届くと必ず私に電話をくれた。
「○○が届いたから、明日会社に持っていくよ」
父は、近くに住む姉2人とワタシ、そして父の4等分をした「何か」を
会社まで持ってきてくれていたんだ。
お昼のタイミングで外に出てどこかでお昼を一緒して、13時になる前にバイバイ
そんな時が永遠に続くように思っていたけれど…
そのうち、父のお届け物は少しスタイルを変え、会社を上がった私と夕刻に永田町の『上』で待ち合わせをするようになったの。
有楽町線に乗って永田町までやってくる父。
丸の内線で会社から永田町へ行き、乗り換えて半蔵門線で横浜へ帰る私。
2人のぶつかるこのブリッジは荷物を受け渡すにはちょうどいい場所だったんだ。
「じゃあ、HIROTAのシュークリームの前に18時半ね」
仕事を終えてそこに行くと、父はいつも荷物を地面に置いて待っていてくれた。
そのうち、HIROTAの前まで来ないで有楽町線のホームのベンチにいていいよーと私が提案して、駅のベンチで荷物を受け取り、座って少しお話してバイバイするようになり。
夕方の混む時間にすっかりおじいさんになった父が電車に乗ってわざわざ来るの。
帽子をかぶって。
やがてだんだんその姿が心配なようになり、帰る有楽町線でシルバーシートの席が譲ってもらえるかしら?と気になるようになってきた。
現に、混みすぎてシルバーシートまで入れず、ドアぎりぎりに立って帰る父の姿を見送るようになると、ここまで来てくれるのが申し訳なくも腹立たしくもなってきたのね。
だってわざわざ来てくれて、分ける荷物が「じゃがいも4個」なんてこともあるんだもの。
4等分すると、その数になってしまうのは全然いいとして、
その4個のじゃがいもをこの混んだ電車で持ってくる父を痛ましくも思い、ありがたさも混在して、腹が立ったりするの。
娘の想いってこんなもんなのよ。
16個のじゃがいもが届いたなら、私に内緒にして
お姉ちゃん2人に5個ずつあげてお父さんが6個食べればいいじゃないの!と
4個のじゃがいもを持ち帰りながら寂しさがこみ上げてくるんだよね。
くれる物が何であれ、ありがたく受け取りながらも、老いていく父へのせつなさが混じって、帰りの半蔵門線はいつも不思議とショボーンとなっていたわ。
もう父に運んでもらうのは無理、と判断してからは、週末に実家へ取りに行くようになったのだけど、そこでもらうのがじゃがいも4個だと、これまた別の意味で頭にも来たりして。
だから時々は「アタシはいらないから、アタシの分はおねえちゃんにあげてっ!」って言ったり、欲しい物の時だけすぐに取りに行ったり…そんな風に使い分けをするようになったんだ。
親って本当にありがたいのよ。
「いらない!」と宣言する私をさびしく電話を切る父。
会いたさ半分なのはよーくわかってる。
けど、こっちだっていろいろ忙しくて、じゃがいも4個で実家まで行けないんだよ。
なんか…そんな出来事といろんな感情が、このブリッジを通った時にバーッとフラッシュバックしてきて、この写真を撮りながら一人で泣いてしまった。
(今も泣きながらこの文章を打っている)
十分優しくしてきたつもりだし、面白い娘だったと思うけど、それでももっと優しくできた日もあったよね。
「ありがとう」と言えばいいのに「これっぽっちなら電話しなくていいんだよー」と言ったこともあっただろう。
誰にもわからないこの場所。
明るく活気のあるブリッジになっただけ。
でも、私にはとっても大切な「父と私の」思い出の場所なんだ。
ありがとうね、お父さん
誰にもわからないこの景色。
ドラマは人それぞれだね。
ひょんなタイミングで涙が出ること。
それは不意打ちで怖いけど、とても好きな感情。
たくさんの思い出を折に触れて思い出せたら、それは幸せなことなんだなーと思うの。
このブリッジを通った時、そこに中折れ帽をちょこんとかぶった父がいたような…そんな気がした。