どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

山田のカキ

2012-07-31 18:02:48 | インポート
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土曜は夕方に庭木の剪定をしました。すこしさっぱりしました。打ち水をして、またよ市に出かけます。



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山田町からまたカキを売りに来ています。ずいぶん大きいカキです。4年ものだそうです。震災前に出荷直前だったのが流されて、回収したものだそうです。これを蒸しカキにして販売していました。



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火を通してもこの大きさ。本当に山田のカキは身が縮まりません。とてもプリプリしておいしいです。一つ200円。つい二つ食べてしまいました。
最近このカキ屋さん、ようやく慣れて来たようです。息子さんが山田のカキを売り込もうとがんばって来たのを、意志を継いで保冷車を買ってまでやって来ています。はじめた直後はさすがに暗かったのですが、元気になってゆく姿を見ると、こちらもうれしくなります。
このカキ、食べて応援とかそういったカテゴリーではありません。とてもおいしいです。宮城県とか広島県のものと比べては行けません。別物です。
おいしいから来てくれて感謝です。もっと食べたいし、食べてもらいたいです。


いじめ問題を語ってみる

2012-07-31 14:54:45 | インポート
大津市の事件があって、また大阪の定時制高校の18歳が自殺した。
いじめ事件の自殺は、なぜか伝播する。大きな事件があった直後から1年の間にいじめ関連の自殺者が増える。いじめに関しては、自殺と言う手段があることが解って、追随するのではないのかと言われているがどうなのだろうか。多分そうだろう。その上で大津市の事件では刑事告発される可能性が出ている。
自殺によって、いじめた相手に呪いをかけることが可能になった、そう受け止める人も多いだろう。

なお大阪のこの高校生の事件だが、これはいじめではない。完璧に犯罪だ。報道で初期に「いじめ」としていた所もあったがさすがに無くなった。恐喝を受け続けていたのだ。
なおこの事例だが、身近にそういった事例があった。貧乏人が金持ちの太鼓持ちをしていたのだが、ある時から金持ちが太鼓持ちにおごった分返せよと言いはじめて、まあ結果「いじめ」になってしまった。

大津市の報道でいろいろ気になっているのに、子供の社会を考えた事が無い報道が多いと言う事だ。
子供の社会と言うのは、メルヘンチックな話しではない。むしろ感情と本能がむき出しで形成されている社会だ。その上小学校や中学校での学校生活での人間関係や、直接的に関わる教師や親子関係、そして親が関わる地域社会が複雑に絡み合って出来る、ある共同体の上での話しだ。社会の縮図と言ってもいい。
子供たちは学校と言う共同体の中で、その独自の論理を組み立てている。子供にとっての社会と言うものを考えている。身もふたもない言い方だが、子供理論がある。大人理論とは違う世界だ。まず逃げられない。手段が少なすぎる。そして他者を認め合う教育であっても、強弱は明白だ。
微妙な均衡の中で学校は運営されている。これが少し歯車が狂うと、いじめのような極端な行為になる。


この均衡をどうするのかが教師の腕前なのだが、現在では基本的に子供の自主性を主体にする学校運営になっている。社会的にもそちらがいいとなっている。これは本当に理想だ。ぜひ実現して欲しいものだが、均衡が更に崩れやすくなっていると思う。子供の自主性と言うのは、その地域を反映してしまうものだからだ。

学校が荒れると言う問題があった。私は教育関係者でないので事例数が少ないが、直感で言えるのが「地域に大きな変化が起きると、学校が荒れる」だ。私の知る限り、急速に貧富の差が起きた地域、特に地域の指導者がいきなり没落して新興勢力が大きくなった場合だ。また道路が出来る事でもうけた家ともうけ損なった家の問題、などだ。失われた20年と言われているが、その失速そのものが日本全体の大きな変化であり、地方を直撃した。日本のいたるところで大きな変化があると言える。
そういった事がきっかけで地域の怨嗟が固定してしまったら、安定して荒れる学校が成立する。なぜそうなるかと言えば、荒れたグループが地域に残り、それが親になり何なりで影響する。
こういった事例を見ると、日本人は忘れっぽいと言われているがなかなかそうでもない。



さて子供の世界ですが、今も昔も変わらないと思います。プライドと実力で出来ています。特にプライドは根源的なものです。母親をブスと言われれば怒ります。地域での家柄だったりもします。そういったものです。根拠が無い場合もあります。
大津市の事件でも考えたのは、なぜあの子は親に訴えなかったのか。
このいじめが子供社会の中だけで納めないと行けないと、彼は考えていたのでしょう。実際自分のプライドの問題だと思います。
なぜ親に訴えられないのでしょうか。それは子供社会が子供から見れば絶対なものだからです。「チクる」と言う言葉があります。「先生にチクるな!」が用例ですが、大人社会に密告するなと言う表現です。絶対なものをかく乱させる危険性を彼らは感じている訳です。
実際親ほど子供社会に取って厄介なものはありません。モンスターペアレンツの場合は、子供はえらい目に遭っているだろうなと、誰もが思っていると思います。実際子供は都合がいいので親をほっとらかしにしているのでしょう。
子供同士で「秘密」を共有する楽しさ、それが子供社会の楽しさです。ブチ壊しにするのはいけません。
ただ実際いじめにあって自殺している子の共通点は、真面目だと言う事です。なので子供社会で起きた問題を自分でなんとかしようと努力します。しかし真面目だからこそ親の状態を考え躊躇してしまうのでしょう。
子供の自殺と、大人の自殺は実は同じようにも思えます。自分で何でも抱えてしまった事で自殺に至ってしまう。


さて子供社会と大人社会という二つが存在している、ところが本来はそういった区別が無いはずだ。地域社会で統合されているはずだ。大人社会が上位で子供社会が下位であるはずが、今は違う形で成立している。
この点を誰も言わない。地域の子供を叱るおじさんがいなくなった。というか叱れなくなった。学校の先生は、手を挙げるのはもちろんの事、言葉を荒げるのもだめだ。そもそも子供が貴重になった。大切に育てなければ行けない。
社会が子供を中心に動いている部分がある。
本来はおとなの社会があって子供社会があるのだが、大人社会に子供社会がかぶさるように影響を及ぼしている。
子供に関する事に対して、大人のルールが変わってしまったのだ。
大津市の件で、フライデーが校長と担任に直接インタビューしていた。かなり悪い態度だったが、あんたこれ解決できるの?という開き直りに感じるのは私だけだろうか。この学校はとんでもない学校だ。アンケート調査やクラスの他の子からの指摘、自殺した子供の訴えも、その父親からの相談も全部無視している。さすがにこれは無い。
この学校はいじめた子供たちに乗っ取られていたのではないのか。



さていじめが深刻化している最大の理由なのだが、子供の世界が大きくなっていると言う事だ。社会に対しての比重は、少子高齢化で子供を守る方向にある。これが子供の世界を大きくしている。
だが一番大きいのは、子供社会における欲望の拡大だ。学校現場ではこれを出来るだけ避ける方向にある。欲望の肥大を避けるために、学校では制服や校則などので制限を作っている。これが時代遅れだと批判されているが、いじめの件で言えば悪い事ではない。
子供社会の欲望の肥大、これは親だったら全員解るだろう。子供がいなくともよく解る。ある持ち物がクラスでに流行し標準装備みたいなニュアンスが出来たら、子供のいじめ予防のために親は買ってあげなければ行けない。
この欲望を満たすためにお金が必要だが、親から貰うには限界がある。また特別な事が無い限りアルバイトは禁止だ。それでも欲しいものや食べたいものはいくらでも増えてゆく。お金はいくらあっても足りると言う事は無い。
そのためにいじめをする構図がある。しかも抜け道を子供社会は理解している。
子供社会を拡張させるものに、インターネットの問題がある。特にSNSだ。ネットでは、参加制限は無い。そもそもそのように作られているからだ。子供でも出来る。
いい情報も悪い情報もてんこもりのインターネット上で、欲望が広がってゆく。SNSでは、悪い大人との接点が出来てしまう。そもそも子供は「秘密」が大好きなのだ。SNSでどういじめるのかが話し合われていたり、悪口が書かれていたりする。




いじめを無くする決定的な方法は、実は無い。これは大人がよくわかっている事だ。そりが合わない人と仕事をする苦痛は誰もが知っている。子供世界と違うのは生活がかかっていると言う事と、犯罪になると言う事を知っているだけだが、大人なので軋轢を回避する手段もある。
それに社会からの目がある。場合によっては会社の価値を毀損させてしまう。限界はある。
子供の場合、限界がよくわからない。例えば子供は喧嘩するものだと思われている。大人に至るための過渡的な問題だと思われている。大人の世界では手を出す喧嘩は、御法度だ。なぜなら殺してしまう可能性があるからだ。子供だと力が弱いので、そこまでは無いと思われている。子供だと許される領域が広がるのだ。
処罰も少年法の範囲だ。実際更正のためにある法律だ。子供たちが勘違いして、なめてしまう。だがいじめは立派に刑法で禁じられている事ばかりだ。

いじめを軽減する方法はある。子供の世界に大人のルールを適用する事だ。例えば物や金銭の貸し借りのルールを作るとかだ。この場合担当の先生の前で貸し借りを行い書面に残す事、などであろうか。これを逸脱した物はすべていじめになる。こういった事が必要になっている。
次に大人社会は子供社会との関係性を見直すべきだ。子供は「守り」「育てる」ものだと言うのは当たり前だが、「守る」に比重がかかりすぎてはいないか。「守り」が話しを難しくしている。「育てる」がどこに行ったのか。「見守る」と言う言葉もある。こちらが適切なのではないのか。「守り」ったあげく大きな子供を作っては意味が無い。
現在いじめられている子供にアドバイス出来るとしたら、ICレコーダーを毎日持ち歩くべきだろう。情報を収集して記録し、整理して来たるべき反撃に備えるしか方法は無いのだろう。この場合プレゼンテーションの為に切り貼りをするが、原盤は残しておく事。でないと証拠にならなくなる。
大津市の事件は、裁判になるだろう。暴行について警察が捜査を始めた。いじめと言うのも今後明快に犯罪となる可能性がある。いや今までだって犯罪なのだが、軽く思われていた。


いじめられた子がトラウマを背負うのは誰もが解る。そしてそれを傍観してきた子供にも影響する。それではいじめっ子にはどう影響するのかは、よくわかっていない。いじめの成功体験がもとで犯罪者になるかもしれない。大阪の事件は、そうなった事例でもある。そうならないかもしれない。私の知っているいじめっ子のボスは、現在学校の先生をしている。
だが今後いじめっ子が刑事告発されるようになると、いじめが発生した段階で全員がトラウマを負う事になる。これが理由で学校の先生たちが、いじめ問題に手をつけられない原因になっている。だがそれでいいのだろうか。今後は早期発見と早期解決を目指す方向で動かないと行けない。躊躇していると、大量の犯罪者を作り出してしまうのだ。



最後だが、中国でもいじめはあるそうだ。だが自殺に至る事は無いという。これがなぜかと言うのが傑作だ。忙しくていじめ続ける暇がない、と言うものだ。直感だが韓国もそうだろう。ともに受験戦争が苛烈な国だ。
ゆとり教育というのは、そのストレスを軽減するためでもあった。いじめはストレスの結果だという考え方があったからだ。しかしよりいっそうストレスのきつい中国でなく、ゆとり教育の日本で起きるのか考えた方がいい。根本的な問題があるのだ。制度の問題ではない、むしろ封建的な何かなのだ。


PS これ以上書く体力が無くなった。曖昧な所ばかりで申し訳ない。