初めは一気に書こうと思ったのだが、どんどんメモ書きになってしまった。時間がかかったからだ。おまけに中間で大阪市橋本市長の発言があったりしてかなり混乱している。マトモな文章でないのはいつもの事だが、今回は特にマトモでない。
ファシズムと言う言葉の日本語訳が見当たらない。ファンダメンタリズムが「原理主義」と翻訳があるのに対して、少し不思議な気がする。
私はこの方面には暗い。だから直感で書く。
この理由は多分ドイツのファシズムが典型的なファシズムであって、日本には存在しないから訳語が当てられていないのだろう。実際ウイキペディアの「ファシズム」の項を見ると、このファシズムの定義そのものがよくわからなくなってくる。まあウイキだからそうなるのだろう。何でもかんでもあり過ぎでよくわからなくなる。だがこう考えれば簡単かもしれない。「発展的復古主義」であったということだ。
基本は「復古主義」つまり極右だ。ただ昔に帰れば良い訳ではない。何らかの科学的手法を持って「発展」させると言うのがポイントだ。例えばヒットラーは前半戦社会主義的であったしケインズ学派でもあったように思えるが、後半は全くそういった所のない「復古主義」に固まってしまった。
ユダヤ人虐殺も「復古主義」の中で、「科学的」な「発展」の方向とされたのだろう。彼らは障害者や社会主義者や、ロマまでも虐殺している。「科学的な」優性主義がこの暴走を生んだと言える。逆に「アーリア民族の優位」って何なのかを考えていないような気もする。インド人まで優位と言う事なのだろうが、そうは言っていない。
「偉大なドイツ」を言い換えるとこうもかっこ良くなると言うだけだろう。
そもそもファシズムの語源が、ローマ時代の執政官が引き連れた護衛の持っている斧のことらしい。これをファッシと言うのだが、これを言い出したのがムッソリーニだった。統一されたイタリアで、ローマ帝国の復活を目指した、その力の象徴であった。
正直な所ファシズムの定義は、おおざっぱなものでしかない。独裁・狂信・個人崇拝・多様な意見を認めない偏狭性・情報操作と警察国家、民族の優位性を主張する上での異民族の迫害、侵略戦争を引き起こした等々あると思う。ただファシスト国家と言われているのは第2時世界大戦以降ない。ソ連や毛沢東時代の中国はこの条件に当てはまるが、連合国側だった事もあるがファシズムとは言われていない。別な共産主義であったからだ。
イラクのフセインもこの中に入ると思うが、独裁者であってファシストではない。シリアのアサドもそうだ。だが彼らは大シリア主義だったはずなのだが、リアリストでもあったのだろう。復古主義には至らなかった。
現代で「ファシスト」と呼ばれた指導者は、セルビアのミロシェヴィッチだろうか。しかし民間で言われた程度で国際的には独裁者となっている。
多分なのだが、「ファシズム」や「ファシスト」と言う言葉は、浴びせかけるのがためらわれるほどの言葉になっており、めったやたらには使わない言葉になっている。そのせいもあるのかもしれない。
ただこの言葉が使われる国が、二つ、ドイツと日本だ。ドイツはネオ・ナチがいるから使われている。ただそれだけだ。日本には中国がたまに使う。イタリアでこの言葉が滅多に出ないのは、やっぱりムッソリーニを公開で吊るし首にしてしまったほど、ある意味狂信からほど遠いと思われたのだろう。
なぜ日本がファシスト国家だったと思われたかと言えば、現実に日中戦争以降の行動が国際的にそう見えていたと言える。しかもこれには伏線がある。明治政府が当初神権政治を目指していた所があるからだ。明治神祇官制度だが、あっという間に廃止された。それが急進的だったと言う事と列強からは怪しまれた上に、キリスト教徒の弾圧も行った、と言うのが理由だろう。だがこれが教部局になり社寺局になり、神社局と他の宗教を扱う宗教局が内務省の中におかれているように、国家による宗教管理が残っていた。
だがそれでも日本は神道による宗教国家ではないと、対外向けにはずっと言って来た。しかし国内向けには天皇制と神道は一致していた。
それでも民間信仰はある程度自由だったが、ロンドン軍縮会議あたりからきな臭くなる。天皇崇拝が強調されてゆく過程があり神道も強調されてゆく。新興宗教の多くは弾圧されてゆく。
この中で有名なのは、宗教ではないが東大の美濃部教授の「天皇機関説」に対する弾圧だろう。天皇は政府機関の一部門であると言う考えで、昭和天皇も認めたものだったが、天皇崇拝者からは全く認められないものであった。
この頃から「226」や「515」の軍部クーデターが起きる。この意味は、いろいろあるが「機関」としての天皇ではなく「主権者」としての天皇を取り戻すクーデターであった。だが天皇が拒否したのは有名だ。
脱線した。
日本人が日本をファシズムと思わない理由は、多分このダブルスタンダードだろう。対外向けと国内向けだ。すべてがもっともらしく説明されている。そしてそれは軍部の詭弁であって、我々は騙されたと言う考えがある。だから今の私たちはファシストではないと考えている。言論の自由もある。
更に軍国主義をファシズムと解釈する向きもある。これも軍隊の暴走説になるが、憲法の規定で自衛隊は軍隊でないから今後暴走も起こらず、ファシズムに陥らないと言う考え方もある。だから憲法9条護持でもある。
ダブルスタンダードの良いとこ取りも出来る。やむをえず戦争になったと言う考え方の中にそれがある。だが実際には大新聞から雑誌まで協力して国民運動になった、あそこからまだ抜け出していないとも言える。
海外から見た日本のファシズムとは、天皇制と軍国主義の熱狂だ。そして当時日本人だった朝鮮人への差別や、中国人への暴掠が余りにも強い印象になっている。
そして戦後、天皇制を残した事によって天皇崇拝が高まる可能性があると考えているフシはある。
日本人にとって、天皇制とは近代の話しだ。明治初期に全国配布された伊勢神宮の御幣が、川に流される事件が相次いだ。復古主義の悪い所が出た事件で、初期神道政治が民間信仰に否定された事件だった。キリシタン弾圧もあった。それが時間をかけて天皇熱狂まで至った。
それはそれで歴史だ。だが近代史は余りにも重層的で単純に勝ち負けみたいにはいかない。
そう考えているのは国内だけなのだが。
5/16追記
これを書いているうちに、安倍総理が航空自衛隊松島基地で、助手席に乗った航空機の機体番号が「731」であったと言う事が問題になっている。これは悪名高い旧関東軍の部隊でもある。中国と韓国だけだとこじつけとしか思えないが、これが現在アメリカでも話題になっている。
特に安倍総理は極右に近いと、日本人でも思うくらいだからかなり注目されている。
つまらない事と思うかもしれない。こんな細かい事でも問題になるのが現在の日中韓だが、これをもって日本は今でもファシスト国家だと、言われる材料を与えただけの、配慮ミスだった。
ファシズムと言う言葉の日本語訳が見当たらない。ファンダメンタリズムが「原理主義」と翻訳があるのに対して、少し不思議な気がする。
私はこの方面には暗い。だから直感で書く。
この理由は多分ドイツのファシズムが典型的なファシズムであって、日本には存在しないから訳語が当てられていないのだろう。実際ウイキペディアの「ファシズム」の項を見ると、このファシズムの定義そのものがよくわからなくなってくる。まあウイキだからそうなるのだろう。何でもかんでもあり過ぎでよくわからなくなる。だがこう考えれば簡単かもしれない。「発展的復古主義」であったということだ。
基本は「復古主義」つまり極右だ。ただ昔に帰れば良い訳ではない。何らかの科学的手法を持って「発展」させると言うのがポイントだ。例えばヒットラーは前半戦社会主義的であったしケインズ学派でもあったように思えるが、後半は全くそういった所のない「復古主義」に固まってしまった。
ユダヤ人虐殺も「復古主義」の中で、「科学的」な「発展」の方向とされたのだろう。彼らは障害者や社会主義者や、ロマまでも虐殺している。「科学的な」優性主義がこの暴走を生んだと言える。逆に「アーリア民族の優位」って何なのかを考えていないような気もする。インド人まで優位と言う事なのだろうが、そうは言っていない。
「偉大なドイツ」を言い換えるとこうもかっこ良くなると言うだけだろう。
そもそもファシズムの語源が、ローマ時代の執政官が引き連れた護衛の持っている斧のことらしい。これをファッシと言うのだが、これを言い出したのがムッソリーニだった。統一されたイタリアで、ローマ帝国の復活を目指した、その力の象徴であった。
正直な所ファシズムの定義は、おおざっぱなものでしかない。独裁・狂信・個人崇拝・多様な意見を認めない偏狭性・情報操作と警察国家、民族の優位性を主張する上での異民族の迫害、侵略戦争を引き起こした等々あると思う。ただファシスト国家と言われているのは第2時世界大戦以降ない。ソ連や毛沢東時代の中国はこの条件に当てはまるが、連合国側だった事もあるがファシズムとは言われていない。別な共産主義であったからだ。
イラクのフセインもこの中に入ると思うが、独裁者であってファシストではない。シリアのアサドもそうだ。だが彼らは大シリア主義だったはずなのだが、リアリストでもあったのだろう。復古主義には至らなかった。
現代で「ファシスト」と呼ばれた指導者は、セルビアのミロシェヴィッチだろうか。しかし民間で言われた程度で国際的には独裁者となっている。
多分なのだが、「ファシズム」や「ファシスト」と言う言葉は、浴びせかけるのがためらわれるほどの言葉になっており、めったやたらには使わない言葉になっている。そのせいもあるのかもしれない。
ただこの言葉が使われる国が、二つ、ドイツと日本だ。ドイツはネオ・ナチがいるから使われている。ただそれだけだ。日本には中国がたまに使う。イタリアでこの言葉が滅多に出ないのは、やっぱりムッソリーニを公開で吊るし首にしてしまったほど、ある意味狂信からほど遠いと思われたのだろう。
なぜ日本がファシスト国家だったと思われたかと言えば、現実に日中戦争以降の行動が国際的にそう見えていたと言える。しかもこれには伏線がある。明治政府が当初神権政治を目指していた所があるからだ。明治神祇官制度だが、あっという間に廃止された。それが急進的だったと言う事と列強からは怪しまれた上に、キリスト教徒の弾圧も行った、と言うのが理由だろう。だがこれが教部局になり社寺局になり、神社局と他の宗教を扱う宗教局が内務省の中におかれているように、国家による宗教管理が残っていた。
だがそれでも日本は神道による宗教国家ではないと、対外向けにはずっと言って来た。しかし国内向けには天皇制と神道は一致していた。
それでも民間信仰はある程度自由だったが、ロンドン軍縮会議あたりからきな臭くなる。天皇崇拝が強調されてゆく過程があり神道も強調されてゆく。新興宗教の多くは弾圧されてゆく。
この中で有名なのは、宗教ではないが東大の美濃部教授の「天皇機関説」に対する弾圧だろう。天皇は政府機関の一部門であると言う考えで、昭和天皇も認めたものだったが、天皇崇拝者からは全く認められないものであった。
この頃から「226」や「515」の軍部クーデターが起きる。この意味は、いろいろあるが「機関」としての天皇ではなく「主権者」としての天皇を取り戻すクーデターであった。だが天皇が拒否したのは有名だ。
脱線した。
日本人が日本をファシズムと思わない理由は、多分このダブルスタンダードだろう。対外向けと国内向けだ。すべてがもっともらしく説明されている。そしてそれは軍部の詭弁であって、我々は騙されたと言う考えがある。だから今の私たちはファシストではないと考えている。言論の自由もある。
更に軍国主義をファシズムと解釈する向きもある。これも軍隊の暴走説になるが、憲法の規定で自衛隊は軍隊でないから今後暴走も起こらず、ファシズムに陥らないと言う考え方もある。だから憲法9条護持でもある。
ダブルスタンダードの良いとこ取りも出来る。やむをえず戦争になったと言う考え方の中にそれがある。だが実際には大新聞から雑誌まで協力して国民運動になった、あそこからまだ抜け出していないとも言える。
海外から見た日本のファシズムとは、天皇制と軍国主義の熱狂だ。そして当時日本人だった朝鮮人への差別や、中国人への暴掠が余りにも強い印象になっている。
そして戦後、天皇制を残した事によって天皇崇拝が高まる可能性があると考えているフシはある。
日本人にとって、天皇制とは近代の話しだ。明治初期に全国配布された伊勢神宮の御幣が、川に流される事件が相次いだ。復古主義の悪い所が出た事件で、初期神道政治が民間信仰に否定された事件だった。キリシタン弾圧もあった。それが時間をかけて天皇熱狂まで至った。
それはそれで歴史だ。だが近代史は余りにも重層的で単純に勝ち負けみたいにはいかない。
そう考えているのは国内だけなのだが。
5/16追記
これを書いているうちに、安倍総理が航空自衛隊松島基地で、助手席に乗った航空機の機体番号が「731」であったと言う事が問題になっている。これは悪名高い旧関東軍の部隊でもある。中国と韓国だけだとこじつけとしか思えないが、これが現在アメリカでも話題になっている。
特に安倍総理は極右に近いと、日本人でも思うくらいだからかなり注目されている。
つまらない事と思うかもしれない。こんな細かい事でも問題になるのが現在の日中韓だが、これをもって日本は今でもファシスト国家だと、言われる材料を与えただけの、配慮ミスだった。