本記事はすべて憶測で出来ています。ほぼ直感です。グズグズです。ご注意ください。
最近右翼が今までの教科書に載っている歴史を、「自虐史観」といって攻撃している。また若い人たちの間でも、そういった声が聞こえる。
中国との戦争や、従軍慰安婦の問題で日本は歴史をねじ曲げているのではないのか、それを教育の現場(特に日教組)や左翼の大学の教授らが押し進めている、と彼らは考えている。
だが、なぜこうなったかと言う視点が無いように感じる。
元はと言えば、日本がファシスト国家と見なされていたからだ。第一次世界大戦の日本参戦から、列強は何じゃこいつと思いはじめていた。それが軍縮会議以降日本国内に起きた様々な事件や、その後の進展を注意深く見守っていただろう。満州事変や日華事変などどんどん拡張主義になってゆく日本を、どう考えていいのか解りかねただろう。そこにドイツ・イタリア・日本の三国同盟が決定づけた。ドイツ・イタリアはヨーロッパなので、言語の問題は少ない。翻訳者はいっぱいいた。彼らと同盟を組んだと言う事は、彼らと思想的に近いと、誰もが考えただろう。熱烈な愛国主義なのかファシストなのかは、南京事件ではっきりとした。
もちろん南京事件は、中国国民党のプロパガンダだと言う説も知っている。だがこのプロパガンダ説を言っている研究者もあった事は否定していない。だがアメリカが第2時世界大戦に参戦する切っ掛けになった問題でもある。
蛇足だが中国は南京の事は大きく言うが、731部隊問題と万人坑の問題はあまり言わない。両者とも当時国際認知されていないからだと思う。万人坑に関しては、正直な所、何か変だとは考えている。疫病で死んだ人に対して、合理的な解決をしすぎたかと思う。どちらにしても、理解出来ないほどの事をしたのは間違いない。
すべてが揃った。個人崇拝、言論の弾圧、軍国主義、優性主義、そして他民族への弾圧と虐殺だ。
さてこの時点で日本はファシスト国家指定になり、第2時世界大戦に突入して敗戦となる。
アメリカは駐留直後から、この日本のファシズムを払拭すべくありとあらゆる事をした。占領政策の中で最も重要な事だったからだ。ただ彼らもかなり辛抱強かったと思う。ドイツのように解体したりはしなかった。天皇制は妥協したし、憲法もそこは留意した。
なぜ妥協したかと言えば、その後の冷戦が予想出来ていたからだ。
だが、その中で教育が特に大きく変わった。歴史教科書は戦前のものは一切否定され、客観的なものしか載せられなくなった。
更に教科書を書く人たちが変わった。公職追放を受けた戦前の教授らはいなくなり、新たな人が書きはじめた。左翼系だったかもしれない。だが彼らはよくわかっていたと思う。今後日本がファシズムと言われる可能性がある、だから教育はリベラルで、現時点で完全に解っている事のみを記載する、そうしたのだろう。
これを誰もが喜んで受け入れたとは思わない。だが軍事独裁に疲労した人たちが圧倒的に多かった。それどころではなかったのだ。
しかし、戦中の研究はそうとう難しかった。この理由は簡単で、まず日本の書類がアメリカに接収されていた。次に終戦直後に日本は重要書類を焼いてしまった。学者としては文献が無いのにどうすれば良いのかとなる。アメリカがまとめたものはある。社会学的な聞き取り調査もあるが、裏が取れない状態だったと思う。伝聞が多すぎるのだ。
更に80年代までの左翼的な傾向が、日本にあったことは否めない。学者としても北一輝や大川周明あたりは研究出来ても、まあ間違っても鈴木倉三や簑田胸喜あたりは研究する事すら認められなかっただろう。この二人の評伝がでたのは平成になってからだ。
むしろ戦中に弾圧された人たちの研究が進んだと思う。
左翼思想もあると思うが、80年代までは明らかに嫌戦派が日本の最大だった。この中で、家永裁判が大きくでてくる。この裁判の過程で、歴史教科書の検定がかなり変わって来たと思う。
学者よりも、作家やジャーナリストが本を書いている。しかし彼らだって相当文献を当たったり聞き取りをしてかなり努力している。だが裏が取れないものでもある。確かに真実に近いのだが、主観的なものとして扱われていた。
特に聞き取り調査で、国内に戻れた軍人と、国外に抑留された軍人とではかなり違うと思う。特に中国で裁判を受けた日本人軍人は、‘洗脳された’ としてその証言は右と左で扱いが大きく違う。私見だが、彼らが「囚人が白米を食っているのに、彼らはコウリャンを食べている」という発言が多い。もしかすると食生活の違いを勘違いしたものかもしれないが、正しい儒教の使い方を、中国がした例かと思う。洗脳ではないと思う。
さて日本の教科書は、こういった様々な事を踏まえて書かれている。
研究も1945当時接収された書類は、1995年以降アメリカの公文章が公開されてゆくので今は様々な議論が展開出来るようになって来た。また昭和天皇の崩御も大きい。戦争責任の問題を回避出来るようになった。議論も展開しやすくなっている。
自虐史観はなぜ必要だったのか、と言う事を考えてもらいたい。家永裁判でもそうだが、自虐史観否定派も文部省にいた訳で、だから裁判になったのだ。この長い裁判は結果として‘自虐史観’ を法的に支えている。実際教科書検定も、この裁判中に変わって来ており、裁判の影響がある。
まとめると、日本は対外的に見てもファシスト国家になった。第2時世界大戦でアメリカが日本を占領し、ファシズムが今後起きないように教育制度を変えた。これを受けて歴史教科書が変わった。その後左翼思想の興隆や、反戦思想もあり、更に家永裁判が大きな影響を与えた。
自虐史観は当初GHQのファシスト国家日本改造の一つだったが、終戦後の軍事アレルギーもあったし、左翼・リベラルの思想の流れもあった。
最後だが、この自虐史観は何か役に立ったのだろうか。愛国心を毀損してまで続ける事だったのだろうか。
実は役に立って来た。日本はファシスト国家ではなくなることの証明だったからだ。これが国際社会に出るために必要条件だった。
逆に今の愛国運動は、その過去のファシズムを想起させる事が多く、弊害が多い。逆になぜ戦後日本を愛する運動が出来なかったのかが不思議だが、多分愛国者たちは社会主義や共産主義が嫌いだったからなのだろう。だが戦前の軍国主義は「赤い将校」たちが練り上げたものだと言う事を忘れてはいけない。
さて自虐史観だが、現実にどう教授されているのだろうか。多分誰もが教わっていないと思う。日本近代史は日露戦争まで、あとは右や左がめんどくさいからテキトーになっている。特に詳細に習うはずの高校では、大学センター試験に出ないからスっ飛ばしているのが大半だろう。今はそれでもかなり良くなっていると思うが、何のための教科書検定か全く意味のない状態だ。
私は自虐史観の方がまだ正しい日本近代史だと思う。だが誰も読んでいないのだから意味が無い。
そして自虐史観と言いう愛国者たちなのだが、私には簑田胸喜の亡霊にしか見えない。
最近右翼が今までの教科書に載っている歴史を、「自虐史観」といって攻撃している。また若い人たちの間でも、そういった声が聞こえる。
中国との戦争や、従軍慰安婦の問題で日本は歴史をねじ曲げているのではないのか、それを教育の現場(特に日教組)や左翼の大学の教授らが押し進めている、と彼らは考えている。
だが、なぜこうなったかと言う視点が無いように感じる。
元はと言えば、日本がファシスト国家と見なされていたからだ。第一次世界大戦の日本参戦から、列強は何じゃこいつと思いはじめていた。それが軍縮会議以降日本国内に起きた様々な事件や、その後の進展を注意深く見守っていただろう。満州事変や日華事変などどんどん拡張主義になってゆく日本を、どう考えていいのか解りかねただろう。そこにドイツ・イタリア・日本の三国同盟が決定づけた。ドイツ・イタリアはヨーロッパなので、言語の問題は少ない。翻訳者はいっぱいいた。彼らと同盟を組んだと言う事は、彼らと思想的に近いと、誰もが考えただろう。熱烈な愛国主義なのかファシストなのかは、南京事件ではっきりとした。
もちろん南京事件は、中国国民党のプロパガンダだと言う説も知っている。だがこのプロパガンダ説を言っている研究者もあった事は否定していない。だがアメリカが第2時世界大戦に参戦する切っ掛けになった問題でもある。
蛇足だが中国は南京の事は大きく言うが、731部隊問題と万人坑の問題はあまり言わない。両者とも当時国際認知されていないからだと思う。万人坑に関しては、正直な所、何か変だとは考えている。疫病で死んだ人に対して、合理的な解決をしすぎたかと思う。どちらにしても、理解出来ないほどの事をしたのは間違いない。
すべてが揃った。個人崇拝、言論の弾圧、軍国主義、優性主義、そして他民族への弾圧と虐殺だ。
さてこの時点で日本はファシスト国家指定になり、第2時世界大戦に突入して敗戦となる。
アメリカは駐留直後から、この日本のファシズムを払拭すべくありとあらゆる事をした。占領政策の中で最も重要な事だったからだ。ただ彼らもかなり辛抱強かったと思う。ドイツのように解体したりはしなかった。天皇制は妥協したし、憲法もそこは留意した。
なぜ妥協したかと言えば、その後の冷戦が予想出来ていたからだ。
だが、その中で教育が特に大きく変わった。歴史教科書は戦前のものは一切否定され、客観的なものしか載せられなくなった。
更に教科書を書く人たちが変わった。公職追放を受けた戦前の教授らはいなくなり、新たな人が書きはじめた。左翼系だったかもしれない。だが彼らはよくわかっていたと思う。今後日本がファシズムと言われる可能性がある、だから教育はリベラルで、現時点で完全に解っている事のみを記載する、そうしたのだろう。
これを誰もが喜んで受け入れたとは思わない。だが軍事独裁に疲労した人たちが圧倒的に多かった。それどころではなかったのだ。
しかし、戦中の研究はそうとう難しかった。この理由は簡単で、まず日本の書類がアメリカに接収されていた。次に終戦直後に日本は重要書類を焼いてしまった。学者としては文献が無いのにどうすれば良いのかとなる。アメリカがまとめたものはある。社会学的な聞き取り調査もあるが、裏が取れない状態だったと思う。伝聞が多すぎるのだ。
更に80年代までの左翼的な傾向が、日本にあったことは否めない。学者としても北一輝や大川周明あたりは研究出来ても、まあ間違っても鈴木倉三や簑田胸喜あたりは研究する事すら認められなかっただろう。この二人の評伝がでたのは平成になってからだ。
むしろ戦中に弾圧された人たちの研究が進んだと思う。
左翼思想もあると思うが、80年代までは明らかに嫌戦派が日本の最大だった。この中で、家永裁判が大きくでてくる。この裁判の過程で、歴史教科書の検定がかなり変わって来たと思う。
学者よりも、作家やジャーナリストが本を書いている。しかし彼らだって相当文献を当たったり聞き取りをしてかなり努力している。だが裏が取れないものでもある。確かに真実に近いのだが、主観的なものとして扱われていた。
特に聞き取り調査で、国内に戻れた軍人と、国外に抑留された軍人とではかなり違うと思う。特に中国で裁判を受けた日本人軍人は、‘洗脳された’ としてその証言は右と左で扱いが大きく違う。私見だが、彼らが「囚人が白米を食っているのに、彼らはコウリャンを食べている」という発言が多い。もしかすると食生活の違いを勘違いしたものかもしれないが、正しい儒教の使い方を、中国がした例かと思う。洗脳ではないと思う。
さて日本の教科書は、こういった様々な事を踏まえて書かれている。
研究も1945当時接収された書類は、1995年以降アメリカの公文章が公開されてゆくので今は様々な議論が展開出来るようになって来た。また昭和天皇の崩御も大きい。戦争責任の問題を回避出来るようになった。議論も展開しやすくなっている。
自虐史観はなぜ必要だったのか、と言う事を考えてもらいたい。家永裁判でもそうだが、自虐史観否定派も文部省にいた訳で、だから裁判になったのだ。この長い裁判は結果として‘自虐史観’ を法的に支えている。実際教科書検定も、この裁判中に変わって来ており、裁判の影響がある。
まとめると、日本は対外的に見てもファシスト国家になった。第2時世界大戦でアメリカが日本を占領し、ファシズムが今後起きないように教育制度を変えた。これを受けて歴史教科書が変わった。その後左翼思想の興隆や、反戦思想もあり、更に家永裁判が大きな影響を与えた。
自虐史観は当初GHQのファシスト国家日本改造の一つだったが、終戦後の軍事アレルギーもあったし、左翼・リベラルの思想の流れもあった。
最後だが、この自虐史観は何か役に立ったのだろうか。愛国心を毀損してまで続ける事だったのだろうか。
実は役に立って来た。日本はファシスト国家ではなくなることの証明だったからだ。これが国際社会に出るために必要条件だった。
逆に今の愛国運動は、その過去のファシズムを想起させる事が多く、弊害が多い。逆になぜ戦後日本を愛する運動が出来なかったのかが不思議だが、多分愛国者たちは社会主義や共産主義が嫌いだったからなのだろう。だが戦前の軍国主義は「赤い将校」たちが練り上げたものだと言う事を忘れてはいけない。
さて自虐史観だが、現実にどう教授されているのだろうか。多分誰もが教わっていないと思う。日本近代史は日露戦争まで、あとは右や左がめんどくさいからテキトーになっている。特に詳細に習うはずの高校では、大学センター試験に出ないからスっ飛ばしているのが大半だろう。今はそれでもかなり良くなっていると思うが、何のための教科書検定か全く意味のない状態だ。
私は自虐史観の方がまだ正しい日本近代史だと思う。だが誰も読んでいないのだから意味が無い。
そして自虐史観と言いう愛国者たちなのだが、私には簑田胸喜の亡霊にしか見えない。