どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

秋も深まりつつ

2014-09-21 04:18:01 | インポート
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いつの間にか気がついたら、日没が5時半頃になっていました。1時間半も短くなっています。今は電気があるとはいえ、出来るだけ日があるうちに片付けごとをしてしまいたいのが人情、この時間差は大きいです。





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小さいですが家庭菜園をやっていると、この時間がかなり大きくなっています。30分をどうとるのかが結構めんどくさくなっています。





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スコットランド問題が終結しましたが、株式はかなり現金なもので何か上がっていますね。確かに大きな材料でしたが、あまりにも合理的なし好に、少し辟易しています。もう少しくらい未来を予測しても良さそうな物なのですが。



ただ一世代後に、またこのイベントが起きるかも知れない。CNNの記事だ。



サモンド氏は以前、住民投票で独立賛成派が敗れた場合、独立の是非をめぐる新たな住民投票は今後1世代の間には行われないとも指摘していた。






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最近のアルカイダの動きで、ちょっとイヤなものがありました。最近インドに支部を作ったようなのです。これはインドのムスリムを救済するためとも言えますし、バングラディシュやパキスタンの応援とも言えます。ただ目標が余りにもズレています。「イスラムの地を建設する」はずだったのが、途方もないインド亜大陸の征服なのかもしれません。ただマトモには考えられない壮大な計画だと思います。



それがなんと、アルカイダ、パキスタン海軍艦艇の奪取図る 米軍へ攻撃狙いというなんか矛盾しかない作戦をやった様です。



艦船を奪取した後、インド洋での米軍艦艇への攻撃を画策していたという。アルカイダの最高指導者アイマン・ザワヒリ容疑者は今月初旬、インド亜大陸に新たな「支部」設立を宣言。SITEによると、艦船乗っ取り未遂事件はこの宣言後、同地域での最初のテロ攻撃となっている。





パキスタンは確かにアルカイダから見れば裏切った国家ですが、それでもまだ国内にはシンパは多いですし、敵対する理由もない所があります。それがこれやったら終わりと言う作戦で失敗したのです。




アルカイダによるインド亜大陸への進出については、イラクやシリアで支配地域を広げるイスラム教スンニ派の過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の台頭に焦りを覚えた末の措置との見方も出ていた。亜大陸の支部の報道担当者はツイッターで、ISISが樹立を宣言した「カリフ制イスラム国」の意義に疑問も呈した。





CNNの記事通りの分析だと思います。焦燥感かられてやってしまったのでしょう。






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ただこの失敗は余りにも大きい。計画が壮大であればあるほど、落差が大きくなるからだ。しかも911の壮大な模倣でもある。艦艇は旅客機よりシステムが難しい。「耐え忍ぶ」としても不可能だ。内部協力者がいたとしても、すべてのシステムを全部、パスワードからすべてを知っていてバーチャル訓練していても、相当無理がある。

理由は侵入者が少ないからだ。人数は伝わっていないが
襲撃の3人を殺害、別の7人を逮捕した
ということはかなりの少人数だったと言う事だ。







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私が一番驚いているのは、ビン・ラディンの死から現在のイスラム国までのあまりもの単純さなのだ。



そして日本ではこのあまりもの単純さを経験している。それは第2時世界大戦ではない。連合赤軍事件だ。


私は60年安保から70年安保までの流れを、単純な権力闘争だと思っている。いやもっと言えば、生理的権力闘争だった。だから70年安保で分裂してカルト化してしまったと思う。人間関係がかなり影響していたと思う。


もう少し言えば、人間関係しかなかった日本史を、一つにまとめ上げてしまおうという考えがあった。それは純粋な物だったが、それゆえに、人間を認める事が出来なかった。この単純さが余りにも浅はかに見えてしまったのが「浅間山荘事件」だったと思う。それを知っていれば、この世界的な運動の結末が見えてくる。そしてその
萌芽が見えて来ている。





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私には変な物が見えて来ている。アルカイダもISISも、なにか資本主義的な効率性を求めているように感じる。今回のパキスタンの事件だが、アルカイダが低迷しているのは資金力が衰えている事だろう。現在興隆のISISに資金が流れているからこういったことが起きるのだろう。


確かに喜捨と言う名目ではある。だがアルカイダからISISへ移るのは、勝ち馬に乗れという資本家がいるのだろう。そして今回の事件はコマーシャルだとすれば、いつしか見た風景があるだけにしか過ぎないように思える。



そして環境過激派の歴史的動向も、実は同じ事をしている。



確実に、社会変革のために現在の社会のシステムをつかっている。私にはそこが全く解らないのだ。


目標のためにはいくらでも他人が死んでもいい、そう見えるなにかが、全く解らない。