ぐっと寒くなってきました。今日はストーブをつけてしまいました。とはいってもほんの1時間でしたが。
さて10CDーCOLLECTIONのショスターコービッチを聴き終えました。交響曲5番と7番以外は掘り出し物です。でもデジタルとアナログの音の差の激しいこと。なんでこうなっちゃったのかと思うほどですね。とはいえ46年と47年のベルリンフィルの差を聞き分けるとか、ものすごくピアノがうまかったショスタコーヴィッチと、天才だったギレリスとの同じ曲の聴き比べとか、盛りだくさんでした。
実は途中で疲れ果てて、ジュリーニ・ウイーンフィルとミケランジェリ、ピアノですね、ベートーベンのピアノ協奏曲5番を聴いたのですが、素晴らしい演奏です。ですが、完璧という言葉はこの演奏のためにあるんじゃないのかと思うのですが、ですが、つまんない。最悪のショスタコーヴィッチに毒されてしまいました。
最悪な方に心惹かれるというのは、すでにおかしい。
この前NHKの今日は一日ラジオドラマ三昧でかかった「グランドマンガミュージカル『ブンとフン』」に感動して、宇野誠一郎作品集ⅡのCDと小説版「ブンとフン」を買った。作品集には「ブンとフン」で使った音源が入っている。それを聴きながらあのドラマを思い出した。これで少しはショスタコーヴィッチの毒が抜けたように感じる。
小説版の方は、なんというかあのラジオドラマを聞いた人にとっては単なる水増しにしか感じないだろう。まだ全部は読んでいないが、それでもまだ読んでいるのは、あのラジオドラマと同じセリフがあるからだ。ところどころのそれを見つけて喜んでいる。
ただ井上ひさしの奇想天外の侮れないところは、ドケチで有名な金持ちがトイレットペーパー代をケチろうとして豪華なトイレを作ったというくだりだ。「西洋式の腰かけ便器で、ボタンを押すと、美しい音楽が鳴りひびき、水がしゃーっと出ておしりを洗うのである」ウオシュレットじゃないか。音楽機能は連動してはいないが、せせらぎと鳥の声が混じった森の風景の音を流すというのが今でもある。音姫というのだがね。これまた節約の発想の物だった。女性は便器に座って小便をする時の音が嫌いで、水洗トイレのレバーを下げて水を流しながら用を足すことが多くなった。そしてなのだが人によっては小便の時間は違うわけで、何度も何度もレバーを下げる女性もいた。ということで小便の音をごまかすために、近くて遠い音を出すというわけのわからない物が普及した。
井上ひさし、恐るべし。これを出版したのは1974年だ。ラジオドラマ台本は1969年だから、想像力は未来を捉えていたということになる。なおウオシュレットは、この本に触発されて開発されたわけではない。便器の換え代え需要発掘のために新機能として開発されたものだ。
もうそろそろ50になろうとしているのに、成熟とか円熟というのが肌に合わないようだ。
ブルックナーの8番を聴きながら書いている。ジュリーニ・ウイーンフィルだ。さらなる毒消にはいいのだが、あのショスタコはもう一度マジメに聞かないといけない。安もんだからとは言えないあざとさがある。
するとまた毒を貯め込むわけだ