昨日の披露宴で感じたことに、飲んべえは東西問わずだらしないというものであった。まあそれはそうなのだが、パーティー形式の披露宴で、飲みホーダイを選んだというのもどうかと思うが、それで盛り上がったというのはある。盛り上がった新郎の友人が、まあアメリカ人とオーストラリア人が中心だが、ラストオーダーでここぞとばかりに酒を確保しようとしたのが最大の原因。彼らは日本のシステムの意味がわかっていないというのがある。ラストオーダー、終了30分前だが、頼んだものは食べ尽くし飲み尽くさなければいけない、その量を頼むのが日本人の流儀。大昔の飲みホーダイではその飲み残しと食い残しが意地汚いと思われ、誰もが回避するようになった。それをわかっている人たちだけではない。ということで出なければいけないとなって、がんばって酒を飲むのだが、やはり時間が足りない。そうこうするうちに記念写真が始まってもう大暴走。止まらない止まらない。リアルに文系大学の卒業謝恩会のヒトコマと同じ。
日本人たちは時間ギリギリで外に出た。時間厳守というのでは日本人らしいといえばそうなのだが、中ではしゃいでいる人たちを見ていると、どちらが正しいのかわからなくなってくる。私は職業上時間厳守でなければいけないが、パーティーを楽しむという意味では中ではしゃいでいる彼らの方が正しい。そして時間厳守で外に出た日本人たちは、真面目というより冷めた目でこのパーティーを見ていたと、そう思われてもしょうがない。
日本の披露宴では、両家の結婚式ということでミスがないようにプロの司会進行を用意して、新郎新婦はお飾りのようになる。だが少しおかしくも思う。もう少し新郎新婦はホスト役として振舞ってもいいのではないのかと考えていたし、そういった結婚式も見てきた。だが完璧に新郎新婦がホスト役だと暴走した時に止める人がいなくなる。
お客さんに楽しんでいただいた結果の大暴走だとすれば、さっさと出てしまう日本人というのはナニ?というところはある。
個人的に新郎の友人の方が正しい振る舞いだったと思う。だが結果タクシーを40分待たせ、2次会が正式に始まるまでの1時間中に、その店が貸切であることに気がつかないで入ろうとしたお客が10組程度、という損害を出してしまっていた。
そこにイライラするのが日本人だろうが、それもかなり違う。事業者としてはよくあるヒトコマでしかない。
何かが足りないのを感じた。
起きた時に、異常な疲れを感じた。昨日の疲れだ。会場が暗かったこともあって、明るく重いレンズを多用した結果だ。だがそれ以上にあの式を正しく撮影できたかどうか。まあそこの問題はある。とりあえずハグとキスのタイミングは全くわからなかった。
イエメンの結婚式場で、2回目の爆撃があったのは先週の話だったろうか。結婚式も出来るというのは、とてもいいことのように思えてくる。
夕方に雨が降り、寒くなった。