どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

岩手大学工学部正門前

2015-10-23 01:10:59 | 日記

 

岩手大学工学部前の木がバッサリと切り倒されていた。しかも46号線から4メーター離れた木は全部切られるようだ。おもいっきりスカスカの風景になった。道路拡張計画のようだ。

岩手大学がなんらかの問題で木を切るたびに、市民から強烈なクレームが来る。がさつな剪定や樹冠をバッサリ切り落とし高さを調整したりすることもある。切り倒すのもある。それらには老齢になったとか、ウロが大きくなりすぎて風で倒れる可能性があったり、枯れていて倒す場合もある。なんらかの理由はあるのだが、そこは市民感情。なぜそうしたのかというのは全く考えない。たぶん今回も、木が作る日陰がなくなって渋滞の時に暑いおもいをするとか、そういったクレームが来るのだろう。46号に対して北側に木があるからそんなことはないのだが。ただ寂しくなるのは確かだ。

私としてはとても感慨深いモノがある。まず国道46号線終点部での最大の問題、大渋滞が起きる場所がこの岩手大学工学部正門前なのだ。雫石から秋田への山越えはまだしも、街中でも部分3車線の広さ、あとは大体4車線なのだが、ここだけ2車線なのだ。ここと館坂橋の2車線が原因で大渋滞が起きる。特にイオンが出来る前から、土・日は凄まじいことになっていた。そこで館坂橋の4車線化もした。ただ中央通りの北大橋延長計画がウヤムヤになってしまった現在、あまり効果のある事業ではなかった。

それではなぜ岩手大学は拡張のための土地を売らなかったと言えば、特には理由はない。それこそ独立行政法人化になってからも、国交省と仲の良い学長がいたりもした。多分なのだが文科省VS国交省というアングルだったのだろう。国立大学だったし、独法化しても文科省の言いなりなところはある。国交省は岩手県から盛岡市まで動員してまでも拡張したかっただろうが、省庁対立というのは無きにしも非ずだったのではないのかと思う。私はリアルに国交省の役人から聞いたことがあるので、まあそんなものだろう。

そして少し面倒なのは、このエリアの南側には民家が7件ある。そのうち一件はアパートを新築した。その上盛岡市立体育館もあるのだが、道路拡張に対応して建設されていない。つまりここはもう拡張しないということになる。国交省は民官の土地と盛岡市の土地は買う気がなかったのかもしれない。現実にその土地を手に入れると、館向町のカーブがきつくなりすぎる。事故を誘発しやすくなるからだ。

それではなぜ岩手大学は土地を売る気になったのだろうか。これは想像するしかないのだが、まず落ち葉問題。秋になると46号に面した木からの落ち葉がすごいことになる。職員が集めるのだが24時間体制ではない。次に木が古くなりすぎたということだ。倒木の恐れのある木が増えすぎた。46号が倒木で封鎖となったら目も当てられない。いったい誰が損害賠償を払うのかという問題がある。当然国交省は岩手大学のせいにするだろうし、そのため調べつくしていたようだ。倒木の恐れのある木はこれだけあると。

搦め手で、陥落したのだろう。

だがこのエリアは2車線が決定している。アレ?渋滞回避のための拡張だったはずなのに、なぜ2車線のままにするのか?交差点近くを今より広い部分3車線にするにしても、中途半端だ。

自転車道を作るために拡張するのだ。とはいえ自転車道にしてもかなり広い自転車道だ。なぜそうなるのかといえば、岩手大学には推定3000台以上の自転車が通勤通学で交差する。その上高校生の通り道でもある。この自転車道のプランでは岩手大学は拒否できないわけだ。

その上工学部と他の学部を分けているのがこの46号線なのだが、ここをたった30分で500人が横断する。教養科目と専門科目との組み合わせで起きる現象なのだ。ただそれが起きる時間帯はほとんど渋滞とは関係ない時間なのだが、4車線化することで横断する時間が延びて、逆に渋滞が発生する可能性すら存在するわけだ。それでは歩道橋を作ればいいと思われる方もいると思う。ただそれでは利用されないだろう。少し緩い坂でインターチェンジみたいな構造でないと自転車も歩行者も、そして工事や消防車両が入れる形にはできないだろう。でもそこまで敷地は広くない。ということで2車線現状維持しかないと国交省が妥協した可能性はある。大体そんな工事費は出せないわけで。

国交省は将来に向けて大幅に妥協し、大学は国交省の粘り腰にやられたのだろう。私はここに長い歴史を感じる。

ただもっと感慨深いのは、今現在の切り倒された木が散在しているのはともかく、これが設置時に一番近い風景だということなのだ。今岩手大学は巨木で覆われているが、設置時には木はほとんど小さいものばかりだった。その上工学部にはほとんど木がなかった。仕事柄、工学部の風景写真はかなり見てきたが昭和40年あたりの風景はこれにかなり近い。もちろん木造建築物が相当残っていたはずだが、正面からは大体こんな姿だったはずだ。建物は変わってもかなり近い。

以前見た写真が、目の前にあるわけです。これ以上の感慨深さは、写真家としてはないわけです。過去と現在が交錯するスポットです。

なお正面の桜は惜しかったのですが、弱り過ぎていて倒木の可能性はありました。原因は桜に対する無知だけなのですが、致し方なかったなと思うわけです。今後景観のために植樹するとなるはずなのですが、その際にやっぱり桜はやめてほしいのですね。理由は桜はきちんと育つところでないとダメな木です。いや他の木でもそうなのですが、バラ科の植物特有の根の浅さがありまして、広々としたところで育てないと本来の力を発揮できないのです。

木を植えないというのが一番いいのですが、たぶん市民のクレームで桜を植樹することになるのでしょう。ただそれはいいことではないのです。