最低気温が5.5度と寒い朝だった。その代わり1日ほぼ快晴だった。とはいえ1日家に引きこもっていた。
ルガーノフェスティバルでのアルゲリッチのCDを聞きまくっていたからだ。やっぱりこのオバサンはすごい。どうすごいのかといえば、なんとなくなのだが一時期とても演奏が悪くなったと思う。FMでライブ録音を聴いて痛々しくなることがあった。だがルガーノ音楽祭の中でアルゲリッチが音楽監督をするコーナーが出来てから、何か一気に花開いたように感じるのだ。
そもそも天才というのはこういった人なのだという珍しい例だ。オフシーズンはバッチリ休んで子供と一緒にずっと遊ぶのが習慣という。その間ピアノに触れないという徹底ぶりだ。それが何を意味するのかは、誰もが分かることだろう。3ヶ月だぞ。ピアノのために生まれついた人である。
そういった人なので、インスパイアされる人としか組まない傾向がある。ギドン・クレーメルが中心だったロッケンハウス音楽祭も中心人物だったが、ロッケンハウスそのものが当時からオッソロシイ天才集団で、最高に尖っていた。だがやっぱり天才たち。内紛だらけで大変だったようだ。そこからルガーノ音楽祭の間にイロイロあったのだろう。
多分その頃の演奏だと思う。聴いて何かおかしいと思ったものだった。歳かなとも思った。
だがルガーノで、天才的な後輩たちと「遊ぶ」という形で、マジメに遊んでいるんですね。そうして若さを保っている、そんな演奏がギッシリで面白いです。
そういった意味ではマジメ一点張りで、超つまらない日本の中村紘子さまですが、最近病気で休養中です。でも実のところ、この1年この方オソロシイ演奏をしております。71歳ですか。ライブ録音を放送で聞いたときに驚きました。
中村紘子さまは、ある意味不幸な星の元に生まれたところがあります。日本でクラシックが認識されていない時代に、ショパンコンクール入賞という輝かしい成績は、彼女の音楽性を伸ばす方向にはならなかったかもしれません。むしろ国内との戦いがあったかもしれません。一点の曇りもないテクニックと男に負けない強烈な音、それでいながらフツーの解釈。その矛盾が中村紘子です。
昔、谷川俊太郎との対談を読んだことがあるのですが、天才少女としてひっっぱりだこだったのだが、地方に行けば訳のわからない要求があって辟易したと言っておられた。和服でピアノを弾けと言われたエピソードは記憶に残っている。いやそれだけではない。足を外したピアノで弾けと言われたエピソードもあったと思う。
そういった無理解という状況と合わせた演奏をせざるを得なかったのが、中村紘子という存在だったと思う
だから彼女は完璧でなければいけなかったし、強くなければいけなかったのだ。そして日本を引っ張るという気概もあったのだ。
だが病魔に冒され、気がついたのだろう。自由でいいんだと。
アルゲリッチと中村紘子を並列にするのを嫌がる向きはあると思うが、実はアルゲリッチは1941生まれ、中村紘子は44年生まれなのです。それでは過去にこの年齢で現役の女性ピアニストがどの程度いたのかという話になります。多分かなり少ないでしょう。コンチェルトをやるレベルになると、相当いない。しかもこのレベルで。ここは注目されるべきだと思う。
中村紘子を再評価しつつあります。
岩手山は雪をかぶった。
アルゲリッチはオソロシイ。