どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日も平凡で結構おかしい

2016-09-06 01:25:16 | 日記

 

今日は泳ぐ。2000メートル泳いだ。盛岡市のクリーンセンターの排熱利用施設のゆぴあすなのだが、最近まで国体の影響がなかったと思う。夏の間に都南の屋外にいたのでその点はわからないのだが、7月上旬までは影響はなかったと思う。だが戻ってきてみると、何か少しだけ影響が出ている。総合プールの人がチラホラといる訳だ。そして今までのゆぴあすのお客さんがいる。

まあこの2回は早い時間に来ているので比較はできないのだが、客層が少し動いている。今まで見たことのない人がいるのは当然だが、真面目な人が増えたのは間違いない。

今日は泳いでいて、コースに入ってきたおじいさんがいたが、考えられないほど遅い。25メーター1分以上のクロールというのはどうやればできるのか。しかも、ずっと泳ぎ続けるのだ。インターバルで泳ぐにしても、休む時間が長くなりすぎる。さてどうしようかと追いついて足を触ってみるが、気が付かない。それでは肩を触っても泳ぎ続ける。久し振りのあるあるだった。公共プールのお約束は追い越し禁止だ。二人しかいないと思っていても突然誰かが入ってくることがあるからだ。

ということで、隣のコースに移るが、すると競泳経験者が登場してタイムアップしてしまった。隣のコースで休み休み泳いでいた昔のお嬢様ははじき出されて、25メーター1分のコースに移るがどうしてもタイミングがつかめず、上がってしまった。

こちらは若いのと張り合ってクタクタになるが、それでも互いにタイミングを合わせられる。25メーター1分のコースには、そしてしばらく誰も入れなかった。そこに現役マスターズの選手が入ってきた。最初は戸惑っていたがガンガン追い抜くようになって、でも当惑していた。

遅い人はダメだという訳ではない。早い人は逆に遅い人に合わせてトレーニングメニューを変えるべきだと思っている。だがどうこうしても全く合わせられないのだ。だから一緒に協調して頑張りましょうと行きたかったんだけど、全く無理だった。

ただこれだけは言いたい。25メートル1分では運動にはなっていないし、逆に体を冷やす。それをどんなに長時間やっても、健康には良くない。裸に近いという心理作用の方が大きいくらいだ。そして古くなったがケネス・クーパーのエアロビクス理論を大きく誤解していると思う。

ただ、25メーター1分で2000メートル泳ぐ自信はない。その点は完璧に認める。実はそういった泳法も身につけていたのだが、最近進化してどうもそれでも無理になってきた。

個人的にお年寄りでもインターバルの方が効率はいいと思う。技能習得の練習方としてもそっちの方が早いと思う。

 

 

クルト・ワイルばっかり聴いているのは前回書いた。

その少し前に、ジャズの影響を受けたと思われるクラシックを探して聞いていたのもあって、少し感慨深いものがある。以外と歴史に沿った聞き方なのかもしれない。

第一次世界大戦はヨーロッパを、特に人中心だったヨーロッパを荒廃させた。そこに入ってきたアメリカ軍が持ち込んできたのがジャズだった。もちろんそれ以前にラグタイムとかは入っていたが、多分なのだが直接的に入ってきたのはこの時なのではないのだろうか。ドビッシーの曲でラグタイムを使った曲があるが、かなり違うものになっている。譜面だけで影響されたとも思う。それがストラヴィンスキーの兵士の歌では明確にラグタイムになっている。

ジャスの影響は私の考える範囲で、相当に広い。

ただインプロビゼーションの手法は、パイプオルガンの即興演奏が先にあり、バーバーがそういった曲を書いたとしてもおかしくない。それをキース・ジャレットが引用したとしても別に不思議ではない。また全員が独立して考えたというのが正しいのかもしれない。だがね、あのグルグルは神秘主義者の技法でもある。パイプオルガンに関してはまさしくそうだ。神からの霊感を受けた演奏なのだから。

 

 

実はここで、シェーンベルクを考えなければいけない。理由はヨーロッパクラシックの異端児だと思われているが、正確に言えば改革者だ。音の響きと音楽を追求して行けば、最後には無調に成るというのを手法と実践で追求した。なのでこの世界には追随者がいっぱいいる。

ではこれがメインストリームだとして、なぜジャスという調性と変拍子可の世界に惹かれたのだろうか。

多分これを読み解く鍵が、チューリッヒ・ダダだと思う。ヨーロッパ中から逃げてきた芸術家が中立国のスイスににげてきたのだ。そこで既存の芸術というのを破壊するべき行動が、否定されなかったのだ。いやもちろん今で言うところのハプニングでひどい目にあった観客もいるだろう。

だが否定されずに、逆にダダはヨーロッパを席巻した。アカデミズムの否定というのは長く続いた闘争だったが、ここでもはや終戦とそのゴタゴタで、アカデミズムの存在が難しくなった。

ヨーロッパの音楽史の嫡子たる無調は、この間有名曲を編曲し直して観客を集めつつ自作を発表する。それは嫡子たる証明であり義務だった。だがヨーロッパを否定する作家が出たわけだ。それがクルト・ワイルだった。

だがその前に共産主義がある。究極的には世界に富が偏在しないようにすれば世界は平和になるし、国家も安定するという考えだ。ヨーロッパ的な王族と豪商がいる世界のアンチテーゼであり、実際ドイツでは共産革命が起きた。

ブレヒトは共産主義だ。

惨憺たる第一次世界大戦後に二人が出会ったのは奇跡だろう。二人とも一次大戦前を全部否定したいた。そこで注目したのがアメリカの音楽だった。すなわち当時だとジャスだ。ヨーロッパでない音が必要だったのだ。

 

 

神秘主義がなぜこの時代にいきなり消えるのかといえば、人が大量に死んだためだ。しかも機械のためにだ。

時代の端境期だったのだと思う。

ジャズというのは必ずしも自由な音楽ではない。だがそれに惹かれ影響された曲がある。

旧来の体制が崩壊した時に、しかも峻烈な時の、ジャスは強烈な印象だっただろう。これだけは確かだ。