今日はどうしようかと迷っていた。シン・ゴジラをもう一度見たいし泳ぎにも行きたい。だが両方は時間的に難しい。悶々としていたら、山車の人が寄付金集めにやってきた。これでなんとなく水泳は止めになった。
シン・ゴジラを見に出たのだが、すると今度はお祭がきになる。なるようになると思っていたら、もう見る気力がなくなっていた。そう、あの映画は疲れるのね。さすがに2日連続はきついというのがよくわかった。
ということでシンゴジラから逃げて、喫茶渡辺による。
結果今日は何もしなかった。喫茶渡辺にメニューがあったというのを発見しただけだった。
でもシンゴジラの面白さは、多分あの情報量の巨大さなんだろうな。整理しない。あえて言うならばありすぎて整理できない。特に映像でそれをやってるもんだから意図的にやったとしてもわからないところが多いだろう。そう、見る側にとってはだ。だが関係者の数から行けばコントロールがかなり難しかったはずだ。だからある部分はアバウトな指示で作られていたのもあるのかもしれない。何しろ撮影だけで5班ある。
そしてなのだが、言葉がとても早い。情報量が多いから仕方がない。そしてなのだがカメラワークが早い。えらく早い。例えば冒頭の「春と修羅」が映るシーンだが、後で写真で出てくるのでわかりやすい伏線だし、中でも少し尺が長い。でも春と修羅で中身を思い出した時点でもう話は先に進んでしまっているのだから、えらく大変なことになっている。
だからレビューを書いている人たちは、いったいどういった集中をしてみていたのだろうか。
そういえば日経BPでゴジラ続編を期待する、という方がいた。北野武監督を期待しているという。この記事で重要な情報は「牧悟郎博士の写真が一度出てきますが、これは先にあげた国難映画『日本のいちばん長い日』の1967年の旧作を作った岡本喜八監督なんですね。」だろう。春と修羅の「「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」と重ね合わせて論考しています。
これはこれですばらしい論考です。
ただ北野武監督のゴジラとなると、彼が考えているようなものではなくなるでしょうね。再開発でヤクザが暗躍するバイオレンス東京と、兵器として欲しがる世界の列強との狭間でもがき苦しむ庶民、完全生物であるゴジラの細胞から生まれた魚のようなものを育てている、誰か。そう言った話になってしまいそう。
だから私は、10年後に誰がやっても構いませんがリメイクだけでいいです。続編は今現在だと悲惨すぎますので。だって、今回のバージョンで世界各国にゴジラの遺伝子情報がバラマカれて、サンプルも流れてしまったのですから。ゴジラの遺伝子情報は壮大すぎて遺伝子改良は難しいと思うのだが、うまく飼育して行けば人類並みに知能がアップすることも可能で、世界中の研究所で飼育されていたゴジラ細胞の中からそういった実験が行われる。そこに太陽バーストで起きた強力な電磁波で幾つかの施設からミニミニゴジラが脱出してしまう。あるものは原発の核燃料プールに入り、あるものは海底にある投棄された核物質に向かう。共生関係でゴジラの再生を促していた細菌群が個々に違うために撃破しやすいゴジラと、しにくいゴジラが起きて世界は混乱する。通常兵器でも倒せるゴジラがいて、核を落としたが故に強大化するゴジラがいる。やればやるほどゴジラは多様に進化して行き、対応できなくなる。
まあこういったときに日本の血液凝固されたゴジラが目覚めて世界を救うというのがいいところなのだが、日本のゴジラがもっと進化してしまうのだ。そらそうだ。それしかないだろう。ということで、人類は南極に押し込められるのだ。
で、世界中をゴジラが荒し回ってそれを倒しまくった日本のゴジラはエネルギー量が異常になり形態を維持できなくなり大爆発を起こして地球軌道すら動かして、人類は滅亡するのだ。でもなんとかした。裏側にいたゴジラに打てる核爆弾を全て打つのだ。
そしてこれを決断したのは、ゴジラ遺伝子を導入した新人類だった。
設定上、そういった話しか考えられないのだが。
まあそのときに月はどこにいるのだろうか。