どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

リゲティを聞いて引きこもる

2016-09-25 00:57:20 | 日記

 

今日はよいちと買い物以外では外に出なかった。昨日届いたリゲティの9枚組のディスクを聞いていたからだ。まあ面白い。まず今年はリゲティ没後10年だからなのか、FMでもかかることがある。それもピアノ曲とか「ある意味」小品なのが特徴だ。「ある意味」というのは短くてピアノ一台でと考えれば小品なのだが、演奏がえらく難しくてその困難さを考えれば大曲でもある。とてもチャーミングな曲もあるし、バリバリ実験音楽もある。オラァハンガリアンだべぇといった民族丸出しの曲はバルトークより明るく、まあそれ以上のめんどくささなのだが、なぜかユーモアーを感じてしまうのだ。

今までは管弦楽の大曲がFMでかかることが多かったが、音質の問題は大きかった。現代音楽はその響きがどうしてもLPやFMでは伝わりにくいところがあって、CDになってかなり改善したところがある。リゲティのトーンクラスターなんかはもうどうこうしてもFMやLPのダイナミックレンジに収まらないところがある。それがまだなんとか聞ける状態にあるというのは感動ものだ。

FMで聞いていた時にはあまり感じなかったが、スピードのある曲が多い。もしかするとリゲティの書いた時より演奏者のテクニックが上がってきたからかもしれないが、このスピードがあるから、若い人にもひっかかるのかもしれない。

 

 

国体にちなんで、河南地区で「わんこくたい」というイベント群が行われる。わんこそばを食べるイベントでもあるが、各種いろんなイベントがある。この中で注目したいのは10/7・8日の旧石井県令亭を使った物販イベントだ。ここでの注目は建物がすごすぎるので物販がどう出すかだ。entwineさんもイロイロ考えているようだ。建築物とのコラボという感じになればいい。でもやっぱりこの建物の中にはいるのはこういった機会でなければ入れないので、皆様是非。

これは絶対行こうと思っているのは、明治橋のたもとの徳清倉庫の「岩手アートプロジェクト2016」で、9/30〜10/7までやっている。ここも建築物としては盛岡でも有数のものなのだが、なかなかに公開されない。まあ現在も使っている建物なのでこれは仕方がない。むしろ誰も住まなくなった保存建築物の惨憺たる有様を考えれば、公開日数が限られた方がいいのかもしれない。

10月7日が建築物を見るには一番いいかもしれない。中の橋の岩手銀行赤レンガ館と、盛岡賢治青春館は明治末〜大正期の建築物。旧石井県令邸は明治初期のオランダ人設計日本人建設の完全洋館、徳清倉庫はその建物によっても違うと思うが、基本的に明治20年以降の商家の建築物だ。時間があれば原敬記念館に行くと江戸後期の農家風の武家屋敷の最高のものを見ることができる。

 

その宣伝のために酒を出して、牛肉を焼いていた。大体生換算で250gを焼いて、500円。アメリカンビーフだけど大体格安。おいしかったです。

 

 

お祭りでみこしが出る予定だったのだが、よいちからここで帰る。少し寂しい。

 

 

築地の豊洲市場移転問題だが、幾つか合理的にわかる部分も出てきた。逆に不明になるところも出てきた。

まず汚染土壌を除去して、他所から持ってきた土を盛って造成した。ここは間違いがない。なぜなら建物を建てるところ以外の盛り土というのはあり得ないからだ。基盤整備なので均一に仕上げる必要がある。そこに部分的に盛り土をしないとなれば、設計予定の建物に合わせたコンクリートのピットを作ることになる。柱の予定場所にパイルを打った上ででっかい箱を鉄筋コンクリートで作らないといけない。でないと盛り土の強度に問題が出てしまうのだ。ただ単に穴を開けて盛り土をしただけではどうしようもない。なので均一に盛り土したところに穴を掘ったのだ。設計上も建設上も自由度は高い。

なぜ地下構造物が必要だったかといえば、配管に必要だったからだ。これはこういった建物では常識の構造だ。どうも重機が入ることを前提としていたらしい。だから通常より空間としか言いようのない高さになったようだ。だがなぜその床を防水シートや鉄筋コンクリートで固定しなかったのかということだ。多分これは建物が動くことを前提としていたと考えられる。稼働してから不具合を解消しつつ直すための地下ピッドだったが、そこが今裏目に出てしまったと。

ただこの上の建物の設計をした、設計会社だが、彼らがなぜ合理性のない設計をしたのかがわからない。彼らはいつもなら徹底的に利用調査する。住み込んで調査する。その上で動線管理から全部設計するはずなのだ。今ならビデオデーターを使った解析も簡単だ。いや10年前だって楽勝だ。でも彼らはやれなかったのではないのかと思う。

建設ありきで、最初の計画案から外れないようにしてしまったのだ。その上で反対運動があって、計画案の変更が、ここは恐ろしいのだが出来なくなった。最初の計画案は不完全だった。だがそのまま進行してしまった。多分ここで大きかったのは予算削減だ。正確に言えば、土盛りの予算拡大で、後が全部圧縮されたのだろう

だから金のかかる設計会社の調査はやめて、行政からのデーター提出で設計させたのだろう。

 

ゴジラVSニッポンのITインフラ:ネット編

自然発生的なインフラの方が実は厄介だったりもする。