最高気温が14度を超えるようになってきた。明日からは27度以上にはなりそうだ。とても暖かい。春だといってもいいのだろう。いや春なのだ、しかしまだ何があるのかわからないのが東北。油断は大敵だ。
先日響の熱田さんから「以前千葉の住宅地で、下水管の定期清掃が必要で、業者に委託しているのだがその地域分担金を払わない家があって、そうなるとあの家が払わないならうちも払いたくないという家が出てきて困った」という話をした。そういったことでコミュニティを維持するのがえらく困難だったという。「東北だとまだそういった問題はでていないんじゃないんですかね」。
この話題は少しだけごまかした。ないわけではない。
ただ誤魔化さないといけない理由は実際に厄介な問題なのだ。日本的な情緒が無くなりつつあるというのはわかるが、なくなったと認めるのが本来は正しい認識だ。
まず日本では、一軒家を持つことが地域コミュニティ参加条件だ。長く住むということを前提にお付き合いをするというのがコミュニティの参加条件になっている。なので貸家やアパートの人間にはその町内会の仕組みとかはほとんど知らされていないのが実情だ。
もちろんうまくやっている町内もあると思うが、マンションのようにあまりにも密接なために、逆にコミュニティが発達しにくいというのもある。その代わり分担金の負担が居住の条件なので、金は払うがコミュニティーに参加しないということができる。そういったぶら下がりから一軒家に引っ越ししたら分担金が無くなるはずなので、それが新たに増えるのは理解しがたいこと位なのだ。町内会費はまだわかる。しかしなぜ下水で分担金なのかとなる。
で、ここからが厄介なのだが自治体によってこの辺りのシステムが違いすぎるのだ。盛岡で下水管の洗浄費の負担というのはない。水道局の下水料金に含まれているからなのだろう。だがそうでない自治体があったら、私でも面食らう。
そこには大抵歴史的経緯があるはずだ。例えばその千葉の住宅地では、標高差が取れずに汚水の流れが極めてゆるいので、下水管の洗浄が普通なのかもしれない。そして下水管利用料の請求がないのかもしれない(考えにくいが)。下水管はゴミと同じ考えで地域負担を考えたのかもしれない。そういった何かがあってそうなったのだが、それを説明できる人がいなくなった状況では、その町内会での分担金負担は難しくなる。
そしてここが問題なのだが、農村的コミュニティーを基本としたコミュニティはとっくの昔に崩壊していたのだが、誰もそれに気がついていないということなのだ。例えば地主がいるコミュニティとかだとその地主に任せっきりで、その地主がいなくなったあとそのままで継続していたとか、ニュータウンでほぼ同じ世代がほぼ同時に家を立てて町内会を作った場合とかで、そのまま高齢化してしまったのに新しい住民がはいってきた場合だ。
ただね、町内会組織がいつできたのかとかは言わないけど、戦後は基本的に子供を媒介してできていたと思う。少子化が本当の問題なのだが、それは今までのやり方では問題なのであって、解決する方法論を見出している自治体もある。
だが今あるのは、コミュニティ不全の状態で、コミュニケーションを忘れた人たちが増えている。老人問題だ。彼らは変化を拒否している。そして彼らの心を溶かすだけの労力をかけられないのがふつうだ。彼らは自分にとっていいはずの幼稚園建設まで反対する。
そういった町内会が何をするかといえば新参者の排除だが、さすがに最近は高齢化が進みすぎてそれもできなくなったというのが、明るい話ではないのだろうか。