どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

大快晴で桜の撮影が忙しい

2017-04-25 01:06:23 | 日記

 

今年の桜は、冬の気温が平年並みだったにもかかわらず、確かに急激に気温が上がったと言うのもあるが、それにしても桜の品種間の差が少ない年だ。オオシマザクラ以外はほぼ一斉に咲いた。原因としては気温よりみぞれが多かったので地温がその平年に比べて低くなったのではないのかと推察される。ただ撮影するとなれば、その品種間の咲き頃がばらついてくれた方がありがたい。撮影スポットが分散するからだ。スポットごとに時間もかけられる。しかし一斉に咲いたとなれば、すべてのスポットを一気に回らなければいけない。

今日大快晴で、そのチャンスがきた。秋田駒ヶ岳が綺麗に見える。

 

 

一週間前から、だいたいこの日だろうと目処をつけていた。そして危ぶまれた黄砂の影響もかなり少ない。PM2.5の数値もかなり低い。大快晴は予想されていたのだが、見事な晴天になった。確かに春霞というもやはあるが、黄砂の黄色やPM2.5の黒さはない。

朝一番から撮影しまくりだった。風景撮って桜撮って人撮って建物撮って、延々とそれを繰り返す。頭の中は分刻みのスケジュールがあるが、上手くいくはずもなく変更して修正して、延々と繰り返す。特に午前中は花の生き生きした時間だ。ここの遅延は許されない。

移動はほぼ自転車なのだが、それでも12659歩歩いた。携帯の万歩計は自転車のペダリングを計測しないので、どれだけ歩いたんだとなれば、8.9キロ。自転車分を入れると何キロなのだろうか。

姫神山も良く見える。

 

 

奥羽山系の山々も良く見える。真昼岳とかその辺りだろうか。

しかしだ、こう言ったムチャクチャな撮影になると、絞りとかそう言ったことは一切考えない。逆に失敗しない方法にする。今回は絞りはよっぽどでない限りF8固定にする。絞りを下手に変えるとそのままで撮影してしまうことがある。それを避けるためだ。

ただデジタル時代になってレンズの解像度がかなり良くなった。理論値には決して達しないが、現実的な最高解像度に近づいている。そう言ったレンズを撮像素子という物理現像系で扱うと、絞りの回折効果、光が波なので小さな穴を通った時に干渉しあって結像が甘くなる、しかも絞りの羽を薄く作るのに限界がありすぎてさらに起こりやすくなる、それが起きる。つまり絞りを絞ると像が甘くなるのだ。シャープさが薄れてゆく。

用意した一番明るいレンズがF1.8、一番暗いレンズがF4というのか鍵だ。レンズ交換を頻繁にするのに、この暗いレンズ?に合わせたということなのだ。明るいレンズの性能は活かせないかもしれないが、暗いレンズでの失敗は避けられる。そうすれば全体の品質はまあまあ安定するということだ。

絞りとか考えない方が、いい場合が多い。

 

 

早池峰山も良く見える。

写真の仕事で一番大切なのは、普通を押さえることだと思う。この場合は失敗しないことだ。そして要求された写真をキッチリこなしておかないと、ちょっと遊んでみました〜とかそう言った写真を撮りたくとも撮れなくなってしまう。彼らの普通を取りながら、その上を常に念頭に入れておく必要がある。

そのために手段は限定したりするのは、変なことではない。だが今日一日で要求されている基本を全部撮らなければいけなかったのは、かなりきつかった。

毎度のことだがね。

 

 

岩手山も山頂の鷲形がクッキリと浮かび上がっている。

とりあえず明日からは仕事に遊びが入れられる。ここからが楽しいところなのだが、現実的には桜は散り始めるし、明後日は雨の予報だ。今日の頭真っ白の撮影がベストなのだろう。

残念ながら。

 

 

蓬莱島に亀がいた。縁起がいい。