泳ぎに行ったら
帰りは雨だった。
おとといはいい夕焼けだった。今日もなかなかに良かったのだが、疲れ果てていた。見る余裕すらなかった。
ガマ合戦の方は、昨年観察を引き継いでくれると言っていたグループが結局やらないので、今年もやっている。でもこうまた疲れていると、これもまた救いになる。
今までの経験では、北水の池の近くのウチワノキの花が咲けば、もう終わりということになっている。色々指標となりそうな花や木を探しているのだが、開始に関してはこれといったものが見つからない。だが終わりに関しては、ウチワノキだけが指標になりそうだ。
何に疲れているのかといえば、人に疲れているのだ。この4日間でのべ3000人以上の人の顔を見ているわけだ。しかも写真なのでそれなりに見ている。
ただ不特定多数でもあり、多様だ。中には判然としない敵意をむき出しにするものがいるし様々だ。そういったのに晒されるのは慣れているのだが、最も弱いのは善意をむき出しにされてくる人だ。つまり何と言おうか本当は誰か専門家が診断しないとわからないのだが、行動障害と言おうか思ったことをすぐ口にしてしまう人だ。敵意の方がまだコミュニケーションが取れるのだが、このタイプは取れない上に思いっきり突き刺さってくる。
そしてなのだが、撮影に集中したい時に担当から電話がかかる。まあこれが疲れるのなんのって。とはいってもこれってSOSの電話なので無視もできない。頭の切り替えが必要なのだが会話が困難になっているので、これまた難しい。
電話がきつかったな。
今、脳が腫れた感じになっている。この状況で仕事を続けるといわゆるゾーンに簡単に突入できるのだが、ただでさえ社会性が怪しいと世間から言われているカメラマンとして、逆に私がむき出しになってしまうのは避けたい。社会性を失うと言おうか、暴言を吐き出しまくる状況になる。これをさらに越えると、なんと言おうかCPUがオーバーハングしてGPUのみで動いているような世界に突入するのだが、多分これが土門拳のいう「鬼が来た」という世界なのだが、世界に全く意味のなくなった状況というのは怖いものがある。スーパーフラット。人もカラスも自動車も動いているものとしか認識できない世界。その中で自由に動けるのだ。残念なことにそうなった頃には体がボロボロなのでそこまで自由にはなれないのだが、そこで写真を撮れば森山大道風の写真がいくらでも撮れるのだが、仕事にならない。
月を見る。
カッコよく終わらせてくれよぉ。難しいね。