真面目に何にもできなかったゴールデンウイークだった。今日から仕事だ。体調は悪くはないがよくもない。
そういえば昨日はゴールデンウイーク明けなのに新幹線の最終まで満員御礼だったようだ。
ということは木曜日も休みにしている人がいるということだろうか。連休は二極化しているような句がする。それにしても市内はさっぱり人が消えたようだった。
真面目に何にもできなかったゴールデンウイークだった。今日から仕事だ。体調は悪くはないがよくもない。
そういえば昨日はゴールデンウイーク明けなのに新幹線の最終まで満員御礼だったようだ。
ということは木曜日も休みにしている人がいるということだろうか。連休は二極化しているような句がする。それにしても市内はさっぱり人が消えたようだった。
ゴールデンウイークはよく晴れた。雨の降ったのは1日だけ、しかも夕方から夜にかけてだ。一部では大変な雨になったようだが、盛岡では大したことがなかった。にしてもカラカラに乾ききっている。
野菜の種と朝顔の種を買いに行く。帰りに響きに寄る。ジュリアード音楽院のジャズバンドのCDがかかっていた。素晴らしいの一言なのだが、みんなでこの初々しさは意図的なのかどうなのか、あいつらならやりかねないとか、どうも穿って聞いてしまうが、一発録音の清々しさにみんなで感服した。
ウチの近所のジャズバンドもこの1割ほど出来たなら。
藤の花が咲き始めた。ということは春の終わりが近いということだ。
響に行くと、オープンリールの2トラック38㎝/secの音源がかかっていた。マスターテープの5代程度のコピーテープをさらにコピーしているいる最中で、コピーしている最中のテープを再生するという、オープンリールならではの作業中の音だった。
やはりというか、2トラ38は凄まじい。音の密度が違う。なぜか生々しく臨場感がある。中音から低音までの圧倒的な濃度が空間を震わせていた。
そう、これぞアナログです。物量で勝負の世界の、極北の音でした。2トラ38で代々コピーされてきたものらしく、それでもLPより音がいい。これぞ2トラ38、王者です。
実際の所オーディオのアナログvsデジタル論争の初期を私よく知っていまして、最近のLPブームでウンザリしています。もうこの極北の音を聞いてしまえば後はどうとでもなれと思うわけです。ただなんで対立するのかがわからない。
そもそもオーディオからでている音は劣化しているのだ。どんな高級オーディオでもそれは録音されたもので、再生されたものにはなんらかの変化がある。この定義がないと、本当のピュアオーディオというのはあり得ないのではないのかと思うのですが。結局好みの問題だと。
そう思ってハイレゾ音源を手に入れてみたが、あの肉厚としか言いようのない2トラ38ではない。もちろん録音も違うし、技術的には確かに全く違うから比較するのが問題だが、人にとって心地よい音というのと理論的に正しいものとは違うというのが、とてもよく、改めてわかった。
さてここからは新進気鋭の指揮者ばかりです。1番手はサー・サイモン・ラトル1955生まれですから、22歳の録音です。1977年の古い録音だと思っているとビックリ、多分春の祭典録音最年少記録でしょう。グレートブリテン・ユース・オーケストラでの録音です。74年プレイザー国際指揮者コンクールで優勝、そこから世界中から客演依頼が来るほどだった。それが80年から98年までバーミンガム市交響楽団に居てこのオケを有名にした。94年にはナイトになる。サーをつけなければいけない。2002年から18年までベルリンフィルの音楽監督を務めます。
さてイギリスの指揮者といえばどういったイメージがあるでしょうか。ストコフスキーはポーランド移民です。サー・バルビローリもイギリスとフランス人の間の子です。純粋にイングランドやウエールズ、スコットランド人となるとバロック指揮者が多くなります。そうイギリスはどちらかといえば保守的です。これは古典派の有名作曲家にイギリス人がいないということもあります。イギリス人指揮者のイメージも、中庸で品のあるジェントリーなイメージがあります。それが結果として曖昧模糊で、深い沼を見ているような霧の中にいるような、そんな演奏のイメージがあります。作曲家もハーバーやディーリアス、ブリテンにホルスト、はっきりしているんだけどエルガーのイメージがあります。
とはいえプロムスのオープニングコンサートのわけのわからない熱狂はなんなのでしょうね。ドレスコードがないらしいのですが、それだけでロックコンサートみたいな大騒ぎになるわけで、イギリス人って判りにくい。
こういったイメージはサー・トマス・ビーチャムが悪い。「イギリスの生んだ最後の偉大なる変人」ですが、イギリスのいざとなったら作曲家から演奏家まで買ってくればいいという発想と戦ったんですから偉大です。演奏家とオケを育成して作曲家まで育てたのです。ビーチャムがいなければ多分ラトルも生まれていなかったでしょう。
また悪い癖で著名指揮者にナイトの称号を与える代わりにイギリス人にしてしまうという手口もあるわけで、サー・ゲオルグ・ショルティからは「悪いけどドイツ語の方が得意だから、ジョージって呼ぶのやめてくれない?ゲオルグにして!」とまで言われています。
サー・コリン・デイヴィスは頑張った方だと思いますが、どう考えても品が良すぎる。現代音楽も新古典主義までではないのかと。
そこに突然変異かミュータントかといった具合で現れたのが、サー・サイモン・ラトルです。小柄ですがルックスもいい。デビューする前から話題の指揮者です。話題沸騰、そしてその後の身の処し方もかっこいい。ということでこのパターンが最近の指揮者です。その嚆矢がサー・サイモン・ラトルです。この演奏はユースオケというのもあるのですが、それでも清々しくキチっとまとまっています。この解釈パターンはじつは63年カラヤンバージョンとにていますが、全然違うものです。いい演奏です。
予言しよう。彼は春の祭典を再録音するだろう。もうしていてもおかしくないが、それも多分素晴らしいものになるだろう。
1952年生まれセミョン・ビシコフです。奥さんはマリエル・ラベック、あのピアノデュオのラベック姉妹の姉さんです。1973年にラフマニノフ指揮者コンクールで優勝したようです。ところがイロイロあって1980年アメリカのグランド・ラビッツ交響楽団の音楽監督に就任。83年にアメリカ国籍を収得。現在BBC交響楽団の音楽監督になっている。
彼もまたカラヤンに私淑していると言われているが、音が素晴らしい。
ヴァレリー・ゲルギエフ1953年生まれ。ロシアのオセット人です。レニングラード音楽院在学中にカラヤン指揮者コンクール2位、全ソ連指揮者コンクール1位。卒業後キーロフ歌劇場助手兼指揮者、1988年には芸術監督になる。
ということでソ連崩壊後のオソロシイ時期に劇場を立て直すというとんでもないことを成し遂げたわけです。92年からはキーロフからマリインスキー歌劇場と名前は変わりますが96年から総裁に就任して今日に至ります。
この中では叩き上げに入ります。よくあるパターンはラトルのような華々しいデビューと無名楽団の立て直し、そしてメジャーへの進出でしょうか。デビット・ジンマンもその中に入るでしょう。ただ叩き上げにしては、時代が時代でした。師匠がいなかったわけです。楽団を立て直すためにも真剣にお客に向かなければいけなかったのです。
この演奏も少しクセはありますけどいい演奏です。
エサ・ペッカ・サロネン1958年生まれのフィンランド人です。じつは現代音楽の作曲家だったのですが、多分その演奏会の指揮が話題になったようで1983年にマイケル・ティルソン・トーマスの代役でロンドンフィルでデビュー。スウェーデン放送交響楽団やロスアンジェルスフィルハーモニーの音楽監督を務めていた。現在は作曲活動に専念したいということで客演以外はしていないようだ。
シベリウスなどの北欧20世紀作家の演奏に定評があるが、現代音楽の指揮者として確実な地位がある。
そのサロネンの春の祭典は、いい演奏だ。だが少し弱い。とは言っても単純な弱さではない。ハンガリアンのバーバーリズムも、カラヤンの美しさも、ブーレーズの細部が見えてくるような演奏の、それらの欠点を克服しようとしている。
実のところラトル以降、この問題をどう克服するのかというのがこの50年代生まれの指揮者の課題でもあった。もしかするとマイケル・ティルソン・トーマスはそれに取り組んだのだろうが、いい出来ではなかった。そしてそれ以前の指揮者は悩みっぱなしだったり、ハンガリアンのバーバルに客が慣れていた。ブーレーズの完璧さも問題だった。それをうまくつかんできているのが、ここで取り上げている指揮者たちだ。
韓国人登場です。1953年生まれのチョン・ミョンフンです。姉は高名なバイオリニストのチョン・キョンファです。もう一人の姉ミョンファとピアノトリオもやっています。
古典的なデビューでした。ジュリアード卒業後ジュリーニのアシスタントから始まって、副指揮者、首席指揮者となり、パリオペラ座の音楽監督になります。イロイロあってフリーランスに成って、2005年にソウル市立交響楽団の芸術監督になります。ドイツグラモフォンとの本人との契約のみならずソウル市交響楽団も専属契約を結んだというのは画期的なことです。
とはいえその後韓国でよくありがちなスキャンダルがあって、まあ本当に儒教思想と近代国家との相性の悪いこと。
そういったのはありますが、チョン・ミョンフンの噴火するような指揮というのはすごいものです。本当にすごい指揮者です。ただこの録音ではかなり抑えているような気がします。とても真面目な人なのはよくわかります。その底に溜まったマグマ感を感じていただければいいと思うのですが。
そしていきなりの1981年生まれのグスターヴォ・デュダメルです。ベネゼエラ人です。2010年の録音ですから29歳でしょうか。ラトルの記録はすごいものです。
さて気がついた人がいれば幸いなのですが、春の祭典の録音とオーディオの販売とは一致しています。あの60年代から80年代の録音数から行けばデッカとグラモフォンを合わせても減っているのです。派手な曲ですが難解です。その上CDだと時間が余りすぎてカップリングが必要です。その曲をどうするのかというのもあります。なので簡単にリリースしにくくなっています。ハイレゾ音源とかでネット配信の方が適合していると思います。
そう、わざわざこの難解な曲を聴きたい人はいないわけです。オーディオチェックのリファレンスディスクとして買ってハマった人が多いのではないのでしょうか。最強のダイナミックレンジと凶悪な低音、咆哮する金管と絶叫する木管がポリフォニックでポリリズムになってゆがんで行くのは、まさにオーディオリファレンスです。クラシック界のヘビメタと言われていますが、ヘビメタの人たちが逃げるリズムです。そういった音楽に新味をどうつけるのかですら困難なのに、販売すらも期待できない状況にあるわけです。それがデッカグループでも如実に表れているわけです。
さてデュダメルですが2004年のグスタフ・マーラー指揮者コンクールで一位になりました。そこから現在驀進中でして、ユースオケの音楽監督というのは書く必要がありません。ラトル以降の大スター登場です。この演奏もユースオケです。その音質でオススメです。完璧でないとダメな人にはオススメしませんが、春の祭典というのは、こういった抜けが必要なのかもしれません
まとめです。ストラヴィンスキーの春の祭典は、初演時はフランスだったのでフランス系の一人勝ち。それでも現在につながる構造解析まではした。そして変拍子が得意なハンガリー人たちがこの曲のバーバリズムを最大に引き出した。また曲解釈が安定していないからいろんなことができたが、ブーレーズの解析と実演で難しくなった。右往左往しながらも演奏しは続くが、その間に指揮者のマイスター制度が崩壊。指揮者コンクール出身者が強くなる。そういった彼らも初期では先輩たちに遠慮していたのだが、今ではあまり遠慮はしていないように感じられる。引き継いで発展させたというべきだろうか。
次に大きいのはオケのレベルが上がったということだ。オケのバイオリンは30年前だっったらソリストになれたレベルまで上がったと思う。大体の演奏者が音大卒業で大学院レベル。19世紀初頭とは比べ物にならないほど演奏技術習得が開かれた場所に移ったのだ。この結果演奏レベルが上がった。マイナーな楽団でもある程度頑張れば、団員の資質は悪くないから上がるわけだ。オーマンディの頃のフィラデルフィアと比べても簡単だったと思う。
なぜラトルがバーミンガムに行ったかといえば、可能性があったのだろう。そして話し合う時間と作り上げる時間が欲しかったのだろう。それはカラヤンのベルリンフィル騒動から導かれたことだった。信頼を失った理由は、対話がなかったからだ。オケのレベルが上がってなんでもできるようになると、指揮者の資質がさらに問われるようになる。カリスマで帝王のカラヤンですら失敗した。指揮者たちもそれはよくわかっている。新進気鋭の若手が一つのオケでじっくり取り組むというのは正しい方向性なのだろう。ここではでていないがデビット・ジンマンもその方向にある。次のNHK交響楽団の首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィも団員の意見を聞きながら仕事を進める指揮者だ。最近のNHKとの演奏では、NHKから自主性を引き出した積極的な演奏を聴かせてくれた。
更にだ、最近は各オケの財政事情が厳しくなっている。寄付金の低迷、CDの売り上げも低迷、デヴィット・ジンマンなんてトーンハレを立て直すために50枚もCDを出した。とにかくお金を稼がなければいけなかったのだろう。配信系もクラシックとMPEG3はもともと相性が悪い。ハイレゾ音源もあるが敷居が高い。お金が入らないのだ。そこでお金のかかるマエストロの仕事を減らして、団員も古参の給料の高い人を若手に入れ替えている。大規模なイベントもそうそうやれない。そこでデュダメルのような新進気鋭の指揮者はとても重宝されるのだ。安くて話題になってチケットも売れてCDも出せる。そういった状況も今ではある。
最後に、この項目ではユダヤ人がほとんど出てこない。私が知らないだけなのかもしれないし、ユダヤ系だと名乗る必要の無くなった時代になったのかもしれない。ハンガリー人もいない。クラシック音楽の広がりというのが見えて来る。
オマケ マイケル・ティルソン・トーマス
何かパッとしなかったトーマスの72年録音。1944年生まれだから28歳の録音か。ボストン交響楽団。
それがですね、96年のサンフランシスコフィルとの組み合わせでは、グラミーです。解釈も特に変わったことをしているわけではないが、精緻でそれでいてバーバルはのこしつつ緊迫感のある演奏に仕上がっています。ちょっとオケがオケだからでしょうか、音が少し明るいのと金管群の線が細いような気がします。とはいえいい演奏です。LP用の録音と、ハイレゾ音源との差はあると思いますがそれにしてもずいぶん違うものです。
いやはや、やっぱり彼には保守的な東海岸は相性が悪かったのでしょうか。それでも開放的なボストンですら、彼には合わなかったのでしょうか。
なお春の祭典のイントロダクションは、長いと退屈な気がしていましたが、ここを巻いて演奏すると後半がボケた印象になるということです。購入する際にはここが目安になると思います。逆にイントロダクションの演奏が練られていないとじっくり演奏できないわけで、やはり指揮者の力量が問われるわけです。
最後に、ここで取り上げたディスクのうち好みはあると思いますが、買わないほうがいいのはカラヤンの63年録音とトーマスの72年、オザワの79年でしょうか。50年代以前の録音は歴史的なものであって、2枚以上買う場合に選択したほうがいいと思います。2回以上録音しているものは2枚目が無難。ドラティは2枚目はスリルとサスペンスが欲しい方にはオススメですが、普通は3枚目でしょう。ブーレーズはどっちでもいいです。歴史で見るなら一枚目です。
以上の条件で1980年以降の演奏は、大体オススメ出来ます。バーンスタインとサロネンは好みが分かれるかもしれません。
ゴールデンウイークも後半となりました。残念ながら前半戦から風邪でどうしようもありません。溜まっていた仕事をかだつけたいのですが、これもままなりません。一番大きいのは太ったような気がすることです。怖くて体重計に乗っていませんが、多分太ったでしょう。
さすがに風邪も治ったと思ったのですが、まだ怖くて泳ぎに行けません。
盛岡で、ゴールデンウイーク中にリンゴの花が散り始めるとは。
風邪で動けなかった時間、季節が異常に早く過ぎたように感じます。
なぜか体温が上がりやすい。暑いからだろうか。
公園にシバザクラを植えたか。管理が面倒なのにな。
このおたくの庭は、上空から見たら絵になっているとかになっているのだろうか。
ボタンが咲き始めた。
春の祭典演奏史では、決して忘れてはいけない人たちがいます。ハンガリー人です。民族音楽に変拍子が多いことから、ハンガリー人指揮者は変拍子が振れるのです!フランス人たちが知的に攻めて行き、ドイツ人が頑張って、イギリス人が半ば諦め、アメリカ人ですら悩んだことが平気でできるわけです。
楽勝でできるわけですから曲の解釈も音の構築も楽勝です。ですがなぜかバーバルな方向に走っちゃうのもハンガリー。音楽は重機とか戦車に例えられるくらいに重厚で破壊力があります。
その一人、1912年生まれゲオルグ・ショルティの1974年版です。大変な苦労人で、リスト音楽院卒業後、伴奏ピアニストとして地道に苦労。30歳にしてジュネーブピアノコンクールで優勝する。その前からトスカニーニに(また出た!トスカニーニ伝説!)認められており、それまで指揮もしていたが1946年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督になり1969年にシカゴフィルの音楽監督になる。
ショルティのピアノの伴奏もそうだが、リズムがとても正確無比。シカゴフィルの精度はシカゴの自動車産業より精度は高い。アンセルメが「スイスの時計技師」とすれば、ショルティは宇宙ロケット技師か、やっぱり戦車か。
世界最強と謳われたシカゴのブラス軍の咆哮が楽しめます。
74年がカッ飛びでしたが、そうは感じなかった人が多いと思います。そこまでも重厚でパワフルで精度の高い演奏でした。デジタル録音になった91年では少し遅くなり最後の選ばれた乙女ではかなり遅くなっています。これはデジタルに伴う音の変化があると考えられます。さらに重厚になっています。
版が不明というのが残念なところです。
1914年生まれのフェレンツ・フリッチャイです。54年の録音です。31歳でハンガリー国立交響楽団の音楽監督ですから、かなり恵まれたスタートです。とはいえ白血病で48歳で死亡しました。
ハンガリアンの中ではおとなし目の演奏ですが、名演です。
カっ飛びドラティです。アンタル・ドラティ1906年生まれです。18歳で指揮者デビューしています。戦争もあってアメリカに移住します。
ショルティとともにイギリス女王からサーの称号を賜っています。そして互いに凶暴な春の祭典指揮をしております。ドラティの方が破壊力がありますね。だからオーディオマニアのリファレンスディスクとして人気があり、互いに規格が変わるたびに録音しております。モノラルLP時代も含めて3枚のディスクはドラティのみ。彼なら誰もが納得の演奏で、売上も見込めたのでしょう。
そしてステレオLPで新記録を達成します。30分を切っています。このタイムで振れるのがドラティです。版は不明なのですがカット無しでしょう。とにかく凶暴なのが聞きたい方は、ぜひこのディスクをどうぞ。ティンパニー奏者はきっと巨漢なのでしょう。このスピードでこの音量で叩き続けるのですから、体力が大変です。腱鞘炎になりそうです。
同時代の他の録音と比べて聞くと、フランス系以外が物足りなくなってしまうのはドラティとショルティのせいです。特に凶悪なドラティは精神にくるようです。
そのドラティもデジタルになると普通になります。ショルティの時もそうだったのですが、デジタルに成って低音の響きをたっぷり取れるようになったのが大きいと思います。その響きをスピードで補っていたのではないのかと考えられます。
すごく厳しい人たちに感じますが、実は客のことをしっかり考えて録音していたのではないのかと思います。作品はお客さんのステレオでかかって成立するという当たり前のことをしていた、そう考えています。
まあ多少は、他の奴らにできるか!コイツを!といったところもありそうですが。
ハンガリアン最後の指揮者は、凶悪凶暴とは誰もが思わなかったオーマンディです。1899年生まれです。ユダヤ系ですね。ショルティもそうでしたが。
ものすごい苦労人です。19歳で王立音楽院ヴァイオリン科主任教授に就任するほどのバイオリンの腕前でしたが、21歳の時アメリカへ演奏旅行に行って、マネージャーに騙されて無一文になってしまう。
ユダヤ人は教育熱心で有名です。ここでも音楽教育が役立ちました。ニューヨーク・キャピトル劇場オーケストラになんとか潜り込みますが、あっという間にコンサートマスターで独奏者にまでなってしまいます。そうこう苦労しつつキャリアを積み重ね。1936年にフィラデルフィア交響楽団の音楽監督になります。
その華麗なサウンドで有名になりましたが、なんというかアメリカ人の好みそうな音です。キャピトル劇場やCBSラジオの指揮者などを経験したせいでしょう。軽いという向きもあるのですがどちらかといえば、サービス精神が旺盛だったというべきなのかもしれません。全ての録音を聴いたわけではないのですが、オーマンディは人を楽しませることに夢中だったと思います。アメリカのご家庭には必ずオーマンディのディスクがあると言われるほどの人気でした。
しかしだ、この演奏最速記録です。あのドラティを上回っています。それでいてフィラデルフィアサウンドはビクともしておりません。しなやかで最強というべき録音でしょう。
それにしてもハンガリー人はアメリカと縁があるな~というかそれが時代だったんですね。第2次世界大戦後、東欧諸国は共産圏に入っていましたから、一度出て仕舞えば帰れなかったということです。