どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

どうも疲れているようだ

2015-10-24 00:56:58 | 日記

 

3日間仕事だった。大したことではないのだが、寝不足と待ち疲れのせいかえらく体が重い。1日3食食べていたのだから重いと言えばそうだ。トイレに行ってかなり軽量化したが、それでも重い。体重を測ってみると太ってはいないようだ。

やはり疲れたのだ。カゼ気味だったし、寝不足もあったし急に寒かったし、今朝は霜も降ったし、朝起きるのがしんどかった。

ぼ~っと過ごすと、郵便受けに「モノタロウ」のカタログが入っていた。ハァ?Eコマースの「モノタロウ」のカタログ?

ああここは日本なのだ!カタログでないと、安心して買い物できない人が多いのだ。そういえばモノタロウは、オフィス用品の「アスクル」がライバルと豪語していたが、課長から決済をもらうとかそういったときにはやっぱりカタログが必要なのだ。カタログを見せてオッケーもらってから、パソコンで注文する、悪夢のような光景だ。

種苗会社もネット通販をやっていて、カタログは辞めたがっているフシはある。でも農家さんとかなればパソコンに強い人は多くないだろうし、パソコンを立ち上げる時間を考えれば、カタログの方が早い。

まあそんなものだろう。

 

 

このままダラダラと過ごそうかと考えたが、泳ぎに行くのが正しい答えだった。だがダラダラしたい。そのせめぎ合いで重い腰を上げた。やはり松園への坂はきつく感じる。

よく思うのだが、心が疲れると足にくるのはなんでだろう。足が重い、ペダルが重い、腰が重い、下半身ばかり重く感じる。腕も思いが、それでも指は動いてくれる。

なんでだろう。

 

 

1000メートルで帰ろうと思う。だから最初からユルユルと泳いでいたつもりだったのだが、実は結構なペースで泳いでしまった。時間が余った。だからもう500メートル泳いだ。するとさらにピッチが上がって行く。

心が疲れているのに、体は喜んでいる。まるで2重人格のようだ。

まあ1日3食というのが実は良かったのだろう。

 

 

とはいえ帰りはボワ~んとしてしまった。まるで酒を少しひっかけたような気分だ。全てが疲れてどうでもよくなってしまった。

響によってコーヒーを飲むとさらにボーっとして行く。

 

 

久しぶりの1日2食だ。何かこちらの方が体に馴染んでしまっている。食後少し横になっていると、電話がかかってくる。ええ、次々と。まったく。

 

 

白鳥はまだ池には来ていないようだが、上空を何羽か通過していった。

 

 

オマケ

ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲全集に、Made in Germanyの文字があった。なんでこんな強調するのかわからない。2006年発売のディスクであることと、本体にはMade in EUと書かなければいけないが、フランス製とは書きたくない何かがあるのだろうか。

VWの事件があったから空々しく感じるが、実のところCDを作れる国はそうそうない。ポリカーボネートの精密な射出成型機があればどこでも作れる。中国でもインドでも作れる。だがもう一つめんどくさい問題がある。射出成型した盤にアルミ蒸着させる工程が厄介だ。埃が入ってはいけないのだ。埃が原因で蒸着面に穴を開けたりする。つまり可能な限りクリーンルームで射出成型機を含めて作らなければいけないわけだ。そうなると電力供給の安定している国しか作れないということになる。我が家のディスクでは、西ドイツ、ドイツ、フランス、オーストリア、オーストラリア、ロシアがあるようだ。そうそう、日本製はかなりの数だ。我が家ではクラシックばかりなので、たぶんこういったラインナップになるのだと思う。電力供給さえしっかりしていれば中国製やインドせいもあってもおかしくはない。電子部品を安定的に作れる国なら、どこででも作れるのがCDだ。

そういった話を響で話したら、「アメリカ製のCDってあるの?」と聞かれた。実は我が家にない。Printed in USAはある。なおこのPrinted inというのが多いから、わざわざMade in Germanyと書いたフシもある。

我が社の責任で製造みたいな書き方もある。なので産地がわからないディスクがある。たぶんそういったディスクが多く流通しているのだろう。それではそこに音の違いがあるのかといえば、たぶんない。あるとすれば、再版した時に工場が違った場合だろうが、大抵再版した時にはリマスターしたとかそういった言い訳がつく。

ただ一番大きいのは、射出成型用の金型の成型技術のような気がする。精密金型なのであまり移動させたくないものだ。それをそこで作るのかが問題になると思う。この辺りは日本のお家芸だと思う。でもそれではドイツの金型技術はどうかといえば何か別な哲学があるように感じる。日本はクッキリハッキリ、CDのドットを刻んでガチっと蒸着しないと気が済まないような感じに見えるのだが、ドイツ製はなにかユルイ。特に西ドイツ製は緩すぎる。CDの干渉縞を見るたびにそう思うのですよ。蒸着ムラもまだあるし、ドイツの優位性というのは、あるのかどうか。

CDは初期から日本製がキチっとしていると思うのですが、それで音がどう違うの?という問題には答えられないわけです。工場ごとに同じ金型を使ってCDを作って競争するということがなければいけないわけで、その上で読み取りエラー率がどうなるのかという数値で判断するしかないわけです。

それは製品規格であって、音とは関係ない。製品規格を無視するほどの粗悪なものを見たことがないのでよくわからないが、CDに関して言えば、製品規格通りのものを作るのがドイツ流だと思う。

私が白々しく思うのは、初期の西ドイツ製のCDがあんまりのものだったからだ。もちろん今ではかなりよくなった。ピンホールはまったくなくなったし、蒸着ムラもあるけど減った。要はCDの規格がタフだったから鳴っていただけなのだ。それだけなのだ。

とはいえこの項を書くために、CDを見ていたら面白いものを見つけた。CDの読み取り面に放射線状に線がある。いや傷ではなくて、反射面から出てくる光だ。あまりにも変なのでよく観察した結果、これはMDから直接金型を起こしたものではないのかというとんでもない結果になった。MDのセクターと酷似していたからだ。で、なぜかこのCDはかかるのだ。たぶん変な蒸着ムラだろう。そうとしか言いようがない。

音とかそういった前に、CD規格のタフさ加減には驚いた。これではピュアオーディオの人たちが嫌がるわけだ。

PS Maid in USAのディスクがありました。

 


岩手大学工学部正門前

2015-10-23 01:10:59 | 日記

 

岩手大学工学部前の木がバッサリと切り倒されていた。しかも46号線から4メーター離れた木は全部切られるようだ。おもいっきりスカスカの風景になった。道路拡張計画のようだ。

岩手大学がなんらかの問題で木を切るたびに、市民から強烈なクレームが来る。がさつな剪定や樹冠をバッサリ切り落とし高さを調整したりすることもある。切り倒すのもある。それらには老齢になったとか、ウロが大きくなりすぎて風で倒れる可能性があったり、枯れていて倒す場合もある。なんらかの理由はあるのだが、そこは市民感情。なぜそうしたのかというのは全く考えない。たぶん今回も、木が作る日陰がなくなって渋滞の時に暑いおもいをするとか、そういったクレームが来るのだろう。46号に対して北側に木があるからそんなことはないのだが。ただ寂しくなるのは確かだ。

私としてはとても感慨深いモノがある。まず国道46号線終点部での最大の問題、大渋滞が起きる場所がこの岩手大学工学部正門前なのだ。雫石から秋田への山越えはまだしも、街中でも部分3車線の広さ、あとは大体4車線なのだが、ここだけ2車線なのだ。ここと館坂橋の2車線が原因で大渋滞が起きる。特にイオンが出来る前から、土・日は凄まじいことになっていた。そこで館坂橋の4車線化もした。ただ中央通りの北大橋延長計画がウヤムヤになってしまった現在、あまり効果のある事業ではなかった。

それではなぜ岩手大学は拡張のための土地を売らなかったと言えば、特には理由はない。それこそ独立行政法人化になってからも、国交省と仲の良い学長がいたりもした。多分なのだが文科省VS国交省というアングルだったのだろう。国立大学だったし、独法化しても文科省の言いなりなところはある。国交省は岩手県から盛岡市まで動員してまでも拡張したかっただろうが、省庁対立というのは無きにしも非ずだったのではないのかと思う。私はリアルに国交省の役人から聞いたことがあるので、まあそんなものだろう。

そして少し面倒なのは、このエリアの南側には民家が7件ある。そのうち一件はアパートを新築した。その上盛岡市立体育館もあるのだが、道路拡張に対応して建設されていない。つまりここはもう拡張しないということになる。国交省は民官の土地と盛岡市の土地は買う気がなかったのかもしれない。現実にその土地を手に入れると、館向町のカーブがきつくなりすぎる。事故を誘発しやすくなるからだ。

それではなぜ岩手大学は土地を売る気になったのだろうか。これは想像するしかないのだが、まず落ち葉問題。秋になると46号に面した木からの落ち葉がすごいことになる。職員が集めるのだが24時間体制ではない。次に木が古くなりすぎたということだ。倒木の恐れのある木が増えすぎた。46号が倒木で封鎖となったら目も当てられない。いったい誰が損害賠償を払うのかという問題がある。当然国交省は岩手大学のせいにするだろうし、そのため調べつくしていたようだ。倒木の恐れのある木はこれだけあると。

搦め手で、陥落したのだろう。

だがこのエリアは2車線が決定している。アレ?渋滞回避のための拡張だったはずなのに、なぜ2車線のままにするのか?交差点近くを今より広い部分3車線にするにしても、中途半端だ。

自転車道を作るために拡張するのだ。とはいえ自転車道にしてもかなり広い自転車道だ。なぜそうなるのかといえば、岩手大学には推定3000台以上の自転車が通勤通学で交差する。その上高校生の通り道でもある。この自転車道のプランでは岩手大学は拒否できないわけだ。

その上工学部と他の学部を分けているのがこの46号線なのだが、ここをたった30分で500人が横断する。教養科目と専門科目との組み合わせで起きる現象なのだ。ただそれが起きる時間帯はほとんど渋滞とは関係ない時間なのだが、4車線化することで横断する時間が延びて、逆に渋滞が発生する可能性すら存在するわけだ。それでは歩道橋を作ればいいと思われる方もいると思う。ただそれでは利用されないだろう。少し緩い坂でインターチェンジみたいな構造でないと自転車も歩行者も、そして工事や消防車両が入れる形にはできないだろう。でもそこまで敷地は広くない。ということで2車線現状維持しかないと国交省が妥協した可能性はある。大体そんな工事費は出せないわけで。

国交省は将来に向けて大幅に妥協し、大学は国交省の粘り腰にやられたのだろう。私はここに長い歴史を感じる。

ただもっと感慨深いのは、今現在の切り倒された木が散在しているのはともかく、これが設置時に一番近い風景だということなのだ。今岩手大学は巨木で覆われているが、設置時には木はほとんど小さいものばかりだった。その上工学部にはほとんど木がなかった。仕事柄、工学部の風景写真はかなり見てきたが昭和40年あたりの風景はこれにかなり近い。もちろん木造建築物が相当残っていたはずだが、正面からは大体こんな姿だったはずだ。建物は変わってもかなり近い。

以前見た写真が、目の前にあるわけです。これ以上の感慨深さは、写真家としてはないわけです。過去と現在が交錯するスポットです。

なお正面の桜は惜しかったのですが、弱り過ぎていて倒木の可能性はありました。原因は桜に対する無知だけなのですが、致し方なかったなと思うわけです。今後景観のために植樹するとなるはずなのですが、その際にやっぱり桜はやめてほしいのですね。理由は桜はきちんと育つところでないとダメな木です。いや他の木でもそうなのですが、バラ科の植物特有の根の浅さがありまして、広々としたところで育てないと本来の力を発揮できないのです。

木を植えないというのが一番いいのですが、たぶん市民のクレームで桜を植樹することになるのでしょう。ただそれはいいことではないのです。


風邪をひいたかもしれない

2015-10-22 00:52:33 | 日記

 

今朝は2度と冷え込んだ。朝から鼻水が出る。

 

 

仕事でずっと出ていたが、たまらず家に帰ってスパッツを履く。そして風邪クスリを飲む。

かなり良くなった。

 

 

モノタロウからアース棒が届いた。この前のナンチャッテアースより、本格的に長い。本当に打ち込められるのだろうか。不安だ。

まあモノタロウから買う日が来るとは思ってもみなかった。電材では日本で一番成功したEコマースと言われている。電材市場というのは、ものすごい商品数があり、しかも全て安いときている。小売でも商品管理が難しく、少し変わったモノだと在庫切れを容易に起こしやすい。ところがそういったモノに限って緊急に欲しかったりする。そういった隙間を狙ったのかどうかは分からないが、モノタロウは成功したと言われている。しかも送料がかかるので、近場の小売よりやや高くなるのでそのあたりの住み分けも出来ているらしい。

とりあえず、安い。

 

 

寝不足だ。


寒くなる

2015-10-21 01:10:23 | 日記

 

最低気温が4度を切る日が現れそうだ。すでにストーブは焚き始めている。

 

 

以前、サンマ不漁について三陸沖の水温が高すぎるために不漁となっている、そう書いた。その後中国がとっているという報道があって慌てふためいた。確かにそういった記事はある。そこで多少は匂わせることを書いたが、やっぱりそこまではと思う。

中国人だって、南の、型の小さく脂の乗っていないサンマを喜んで食べるだろうか。もちろん大型漁船で一気にとってしまって、大きい小さいの区別をつけないのかもしれないが、にしても変だ。JBPressの姫田小夏氏が「今か今かと待ちわびていた宮古のサンマが届かないワケ~日本の漁業を脅かす中国漁船の乱獲」という記事があった。記事の内容は、中国漁船が根こそぎ取っているというワケではないが、海洋資源保護の国際ルールを作らないとマズイという話を書いている。まあこれは大変なことを書いているのだが、本人は気がついていないようだ。日本の漁業が国際ルールから逸脱していて、沿岸漁業のルールすらも作れなくて資源保護という観点には至っていないという状況がある。その上で、日本がルール作りと中国へのその遵守というのは、まあ無理がある。日本が資源保護に取り組めていないのに、中国に守らせるなどというのは無理すぎる。まあそこを書きたいのだろうか。中に国立研究開発法人 水産総合研究センターの東北区水産研究所八戸庁舎のコメントがあった。

 

実際には外国籍の大型漁船による影響は限定的だという。「日本の船は多いときには1日当たり100トン以上の魚を獲ります。一方、外国船は40~50トンがせいぜい。中国船などが根こそぎとっているとは言えないでしょう」今年のサンマ漁の不振についても、次のように説明する。「サンマは海全体にそれなりに存在しています。それが沖にとどまるのか、あるいは日本近海にまで泳いでくるのかによって、その年の漁獲量が変わってきます。確かに今年は近海での魚影は薄かった」

 

魚体が小さいことと合わせて考えると、かなり深刻な状態になりつつある。過去にはニシン、ホッケの辿った道、サバとイワシとサンマは相関関係があると言われているが、その辿った道だ。過去にあったような資源量ではないのに、たまたま豊漁で取り過ぎてしまった後に起きる現象だ。本来個体数が少なければ型は大きくなる。それが個体数や群れが分散し型が小さくなるというのは、矛盾するワケだ。

大きい個体の方が元気で産卵量も多いと考えられる。小さい個体が増えれば産卵量も減り、結果激減するということになるのだ。

ただそういった解釈がされているだけで、現実にそうなるかどうかは分からない。海水温の問題や、炭酸ガスを含みすぎた海水の問題もあったりして絶対の言葉はない。ただ個体が少なくなり、型が小さくなると、その後に大不漁が来るというのだけは分かっている。

だからこそ、今年のような年には禁漁を含む対策が必要なのだが、それが行われている気配はない。

 

 

今年はまだサンマを食べていない。高いからでも型が小さいからでもない。食べてはいけない年なのだ。


よくわからんな

2015-10-19 22:32:01 | 日記

 

ビックバンドジャズは踊れるのが基本だと思う。いわゆる白人のジャズだね。でもそれ以外に踊れないジャスというのがある。モダンジャズだ。ここがどう分岐したのかがよく分からない。

その前に音楽は鑑賞するためにはない。それは私が痛切に感じているところだ。踊るためにある。聞くためだけの音楽というのは実は数少ない。クラシックというのがそうだ。ギリシャ時代からの伝統があって、バロックの対位法なんて神が作ったこの世界の理を、どう数学で、いや音にするのかというところがあった。

メロディーラインを反転させたり鏡像にしたり、追っかけっこさせたり、それでも常に調和が保たれている摩訶不思議なポリフォニーの世界だ。

古典から逸脱しつつ、ロマン派で発展し、拡大しきった現代音楽の世界は果たして宇宙かどうかというのも怪しくなった。

 

 

ただジャズの場合ブルース起源だとしても実によく分からない。

確実に言えるのは、ブルースでも即興演奏はあった。だが居酒屋での遊びはともかくとして、契約社会のアメリカでは、エンターティーナメントとしてのジャズの即興はかなりむつかしいものだっと思う。もちろん当時は契約もあいまいだったからできたこともあった。 

 

 

 

まあそんなところはジャズの歴史本でも読めばいいのだろう。たぶんビリー・ホリデーが歌でアドリブをやって受け入れられたという公式だと思う。

 

 

ただレコード以前に受け入れられていたとすれば、何があったのだろうか。

受け入れた先進的な人たちはどういった人なのだろうか。

たぶん誰かが詳細に調べているが、直感からたぶんそれではないだろう。