今日夕方体がだるいと思って体温を測ったら、37度8分もあった。予兆はなかったのかといえば、あった。昨日はかなりハイだったのだ。写真の納品があったし、アンウッシュド・ナチュラル製法のくっさいコロンビアコーヒーを使っての産地偽装実験の材料を買ったり、それでいて仕事もしたし、響きにも行った。材木町のよ市で、慇懃でしめやかに執り行われた結婚式も見た。そして米山にも行った。卵も20個買った。
ただよ市の頃から少し気温が寒いとは思っていた。ただまあこんなもんだろうと思っていた。そして米山で、タバコが切れた。そこでたまにはアメリカン・スピリッツでもと買って飲んだのだが、何かおいしくない。多分ここからおかしかったのだろう。
今朝は比較的寒かったが、まあそうでもない。食欲もあるし多少の二日酔い以外は全く問題はなかった。ただアメリカン・スピリッツはやっぱりおいしくなかった。まあ嗜好品なのでよくある話なのだと思った。ただそれだけだった。違和感はそこだけで、ゆぴあすに泳ぎに行ってしまう。
なんかえらく感覚が研ぎ澄まされた感覚があった。水の流れがよくわかるし、キャッチからプルのコントロールがものすごくよくわかるのだ。だが何故かタイムはそうでもない。こういったときはものすごく速いのだが、なんか変だなと思う。でもやっぱり仕事の疲れもあるし、昨夜飲み過ぎたというのもある。そして結果としてはそこそこに仕上げることができたわけだ。
ストレッチを入念にして帰ったわけだ。帰りのバスで左の一番前の席に3歳程度の女の子が座っていた。その後ろに座ったのだが、少し困った。急ブレーキを踏むとこの子は飛ばされて、手すりに激突する席なのだ。何故親が私の席に座らないのかはよくわからんが、いざと言うために警戒しなければいけない。最初っから子供を支えたりすれば、多分この世の中では変態だと思われるだろう。イザとなったらどうしようかともうそればっかり考えていた。その上その子はおねむになってしまったのだ。大変まずい状況だ。子供に、「ここになんて書いているかわかる?」と聞いてももう眠たい。書いているのは「小さなお子様がひとりで座ってはいけません」。
もう首が座んなくなってきてどうしようかと思っていたら、親が飛んできた。
なおバスの到着は3分遅れた。バスの運転手もかなり緊張しただろう。ものすごく無理のない運転だったが、おねむの子供はもうそれでも支えられない。
周囲の反応から、とりあえず私はロリコンではないと思われたと思うのだが、やっぱりこの辺りを考えなければいけない世の中というのは、嫌なものだな。
そういったことばっかり考えているのも、熱があったということでもある。余計なことしか考えない。
やっぱり自粛するべきだったのだろうか。まあそんなことはないな。
全然書いていないが、熊本の震災はとても心配している。だがそれに対して何か自粛するべきだという動きがあるようだが、それはどうなのだろうか。
私は幾つかの自粛を経験している。まずは昭和天皇の崩御だ。このときは凄まじかった。年末から始まってお正月商戦がパタっと止まった。バブル崩壊と関係があるんじゃないのかというほど消費が落ち込んだ。特にエビ問屋は苦境に立たされたようだ。おめでたいことはすべてなし。すべてしめやかに行われた。多分これ以上の自粛というのはないのではないのだろうか。あのときは本当に空気が異様だった。ただ本当に昭和天皇は、あれを望んでいたのだろうか。私には疑問だ。
次が阪神大震災だ。確かにこのとき私は神戸と大阪を見比べて憤慨していた。大阪も梅田の夜だったが、まあ例のごとくだ。だが大阪人曰く、「ひとがいない」という。こんなもんじゃない。大阪も被害があったのだ。だがたった40キロ程度で雲泥の差は東北人としてはどうなんだと、本当に思った。
だが神戸のガストで強烈にまずいが、復興がんばれみたいなステーキを食べたときに、考えが変わった。牛モモのステーキ400gだぞ。そう物流が止まって大変だったのが、少し緩んだときにこんなステーキが出てきたのだ。そう、今欲しいのはコレなんだと。質より量、それよりも今ステーキを食べられるという幸せだ。でも自粛では被災者は悲惨であり続けなければいけないの?この特価2000円のまずいステーキを食べてはいけないの?
ただ神戸の震災は、本当に気が狂いそうになるほどのコントラストだった。だがこれが戦後初めての新しい形の震災であった。
東日本大震災は、超広域であって実際は北海道から関東圏までかなりの被害があった。岩手や宮城の話ではない。1000年に一度の津波と福島第一の事故さえなければ、無難にすんだ震災だった。
なんちゃって被災者に成ってしまった。でも日常をこなせられるわけだ。沿岸はものすごいことになっていたが、神戸と新潟の震災以降震災に対する対応はあったし、方法もできていた。できていなかったのは行政だけだった。壊滅した町村があったのだ。対応できる主体がないという状況もあった。余りもの広域で人出は常に不足し、機材も不足した。
で、多分なのだが昭和天皇の崩御以降最大の自粛があったのだ。テレビは震災一色でCMもACの「あいさつの魔法」しか出てこない。そういった状況に誰もが疲れてしまった。花見はなくなり行楽地へ向かう人もいなくなる。そういったのは予震があるからやらないのではなく、自粛であった。それは東北人としてはおかしいと感じていた。確かに援助はありがたい。だがそちらの生活を変えるのはおかしくはないのか。
他人の幸せが、救いになることもあるのだ。我々によって自粛で不幸になる人がいたら、私らは全くの不本意だ。そして震災は不運なのだ。
なんちゃって被災者だったが、悲惨な状況であればあるほど、下手くそな同情ほど嫌なものはない。自粛という形は全く意味がない。それは心にも寄り添わないのだ。僕らのために自粛するのは、一体誰のためなの?
記憶にある最大の自粛は、昭和天皇の崩御だ。だがそれは陛下のためになったのか?その議論は当時もあった。だがなぜ自粛に向かったのか?
それが楽だからだ。あとは色々いう気が起きない。
楽なところからの発言は簡単だ。
それを自覚していればいいのだが、被災者の中の多くは私らのために不幸になってほしくないと考える人の方が多いのだ。被災者に対して差別やヘイトスピーチを投げつけるより、我々に罪を押し付ける罪を犯しているように感じる。
それでは熊本の話は、私にはいっぱいいっぱいで、自粛できないです。申し訳ない。
自粛でも心に寄り添うのでもなく、ただ単に知って欲しい。日本に住む限りこの悲劇はあるわけで、そこを自覚して欲しい。それ以外は、いらないのだよ。