7月10日、鶴岡市長はじめ多くの皆様にご臨席頂き、竹田浩洋先生の旭日双光章受章祝賀会が盛大に行われました。実行委員長さいあつを引用し、報告とします。
竹田先生ご夫妻、この度の受章誠におめでとうございました。
鶴岡地区医師会の誇りとするところです。
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本日は、竹田浩洋先生の「「旭日双光章」受章祝賀会に、大勢のみなさまのご出席を賜り、心から厚くお礼を申し上げます。
実行委員を代表して一言ご挨拶を申し上げます。
この度、竹田先生は、永年にわたる地域の医療・保健・福祉活動、医師の地位向上などに誠心誠意ご尽力されたご功績により、平成27年春の叙勲において、めでたく旭日双光章を受章されました。心よりお祝い申し上げます。
また、この度の栄誉の影には、ご家庭を守り、先生が心おきなく職務に専念できるようにご苦心された奥様の「内助の功」もあったかと思います。心から敬意を表するものであります。
竹田先生の業績については、お手元のしおりに掲載されておりますので、ご覧頂ければと思いますが、昭和48年に内科医長として荘内病院に赴任し、平成7年4月には荘内病院副院長に就任され、その後、平成13年3月から当会が管理運営する鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院の院長をつとめられました。
その間、山形県医師会では、監事、副議長、勤務医委員会、呼吸器検診委員会委員、信用組合監事などを歴任されました。また、鶴岡地区医師会においては、19年という長きにわたり、理事、副会長として活躍され、会員の指導的立場で、当地域の医療・保健・福祉活動に多大なる貢献を頂きました。
これら多くの要職を務めてこられた竹田先生ですが、最大のご功績は、皆様ご存知のとおり、平成13年に鶴岡市から委託された鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院の初代院長職にあるのではと思います。病院を立ち上げるには、われわれの想像を絶する苦労があったのではないかと思いますが、病床を転換したり、365日リハを導入したり、病院機能評価を受審するなど、常に時代の先をみながら、健全な経営、また、病院機能の質の向上、維持に努めてこられました。急性期病院と生活の場である地域とをつなぐ“回復期リハビリテーション”という、地域包括ケアシステムにとっても重要な役割を担う施設の基盤を築いたことは大いに評価できる功績だった思います。
個人的には、竹田先生との思い出は、やはり地域連携パスです。今から10年程前、まだ、全国的にも地域連携パスが始まったばかりの頃、荘内病院では大腿骨近位部骨折の手術件数が多く、危機感をもった病院整形外科の医師たちが竹田先生に掛け合って、大腿骨近位部骨折地域連携パスが立ち上がったと聞いております。私も、記念すべき第1回目の地域連携パス研究会から参加していますが、毎回の会議で竹田先生の熱い思いが伝わってきました。医師会としても積極的にかかわりIT化も実現することで、荘内病院の大体骨近位部骨折患者の在院日数は大幅に短縮されました。さらに、その3年後、難しいと言われていた脳卒中地域連携パスも、すったもんだ、いろいろありましたが、見事に運用することができました。今では、庄内南部地域連携パス推進協議会を設立し、全国でも類をみない、IT化、全例登録、データ解析、集計表の発刊、最終的には疾病管理も目指すという、地域連携パスの先進地域に成長しています。これも、竹田先生の地域医療にかける熱い想いの賜物であり、先生のリーダーシップ、熱意なくしては実現しなかったことだと思っています。
竹田先生は、本日配布のしおりのなかで「私一人で成しえたことはほんとんどない、この受章は多くの方々のお陰です」と述べています。確かに、医療は一人では実践できません。多くの職種の方々の協力があってはじめて実践できるサービスです。一方で、多くの職種を束ね、同じ理念の下、組織として成果をあげるためには、リーダーの役割はとても大きいと実感しています。先生の今回の受章は、先生の真摯な地域医療への想いとそれを成果として実現させてきたリーダーシップが評価されたのではないかと私自身は思っています。
竹田先生は、湯田川温泉リハビリテーション病院を辞められた後も、さまざまなところから引張りだこで、忙しい日々を送っておられると聞いております。先生には、健康に留意され、益々のご活躍を期待するとともに、引き続きのご指導、ご鞭撻をよろしくお願いしたいと思います。
最後になりますが、竹田先生ご夫妻と本日ご臨席の皆様方のますますのご健勝を祈念し、甚だ措辞(そじ)ではございますが、実行委員代表の挨拶とさせていただきます。
本日は、誠におめでとうございます。