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必ずコメントに参ります by iina

島原城

2012年11月16日 | 
  有明海と島原駅→
島原城は1618(元和4)年に松倉豊後守重政が築いた。五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した安土桃山期の築城様式。
島原の乱(寛永14年1637)で、一揆軍が城を攻撃し、この城に籠城したと思っていたが、別にある原城に籠城したのだという。兵糧攻めにあい乱は鎮圧された。
訪ねると、城では家老や忍者が出迎えたが、キリシタン資料並びに藩政時代の郷土資料・民俗資料などを展示。

武家屋敷

島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼ぶ。島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居であったことと、隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷を見通せたので、その名がつけられた。ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が690戸あった。

道の真ん中に水路を流し飲料水として使い、「熊野神社」を水源として水奉行を置き厳重に管理した。







山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒
を無料開放している。

食事中と勉強している様子から武家生活が偲ばれる。

                                     つづく

  


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5 コメント

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何だか複雑な気持ち (更家)
2014-04-25 10:12:50
島原の乱は、悪政による一揆であった事を知ってから、島原城を観光して見て回ると、何だか複雑な気持ちになってしまいそう・・・
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TB (きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ))さん へ (iina)
2012-11-19 11:16:12
おや、友人の旅行記ですか・・・

島原は雨に降られましたが、翌日の熊本城は快晴でした。  どうにも、話がすんなり展開しません。

嵐山界隈のつづきの京都なら此方のスライド・ショーをご覧ください。まだ、連載してますから、この後も少し増えます。
http://blog.goo.ne.jp/photo/142612?fm=entry_s

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TB(オリオン村)さん へ (iina)
2012-11-16 21:05:30
入り上げたかなり詳細に充ちた島原城等々です。
iinaの住む神奈川に近い千葉からお出かけでしたか。レンタカーを借りて、熊本を拠点にカーフェリーで日帰り
した島原・雲仙でした。

お城をアップした今日に、奇しくも「のぼうの城」を観てきました。野村萬斎の「のぼうさま」は適任と思えました。
どんな奇策が展開されるのかと目をしっかり明けて観ましたが、萬斎の踊りは双方を楽しくさせるに十分な舞でした。

城アップを契機に、島原城につづき明日は熊本城を3日間取り上げます。m(_ _)m
のぼうの城でなく、ぎんなん城と呼ばれるようですね。

iinaもオリオン村さんのように、日本史が好きです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/c/16225685830bd0c66cbe943861e1a5f9
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(「のべR山会」のK)さん へ (iina)
2012-11-16 18:33:11
ことしは、まだ しっかりした紅葉を見ていません。
それなのに九州であるにもかかわらず、本格的な紅葉を見れて幸せです。
雲仙は、45年前も雨でした。やはり、長崎ですから雨に好かれるのでしょうか。そのときは、島原から天草まで
船に揺られ、よく晴れた天草五橋を通りました。

これから京都に向かわれるとのこと、紅葉に神社仏閣は似合います。iinaは、明日から頼まれて予定外の四国
に参ります。こんどは、新幹線で行きます。
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島原の旅 (「のべR山会」のK)
2012-11-16 14:17:37
九州の旅、次は島原ですか、
キリシタン弾圧や高い年貢に苦しむ民衆を率いて、幕府軍とたたかったのが
10代半ばの天草四朗
そういういにしえの歴史背景を考えると、この原城を拝見すると何かもの悲しく思えてきます。
私は未だ島原に行ったことが有りません。

普賢岳は、晴れた日には久住山系からも意外と近く感じるほどに良く見えます。
ご感想ありがとうございました。
美しい自然や山野草に巡り合うこと、山の楽しみはいろいろありますが
私としては山が一番美しいそして魅力的なのは一面の白い世界
そう~雪山です。
私が、山にはまったのも、初めて雪山に連れて行ってもらったのがきっかけです。
当宅で(過去記事・・)で、ささやかですが山を楽しんでくだされば幸いです。

これから京都に向かいますが、天候が心配です。
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