横浜に日米和親条約締結の地として有名な「開港広場」が大桟橋の付け根にある。広場横の開港資料館中庭の玉楠の木(タブノキ)は、この木の近くに設けられた応接所で日米和親条約が締結されたことで有名。
タイトル写真は、その往時を再現した人形の家内に置かれたジオラマ。
人形の家の入場券を貰ったので、見学してきた。昭和2年にアメリカから日本に送られた「青い目の人形」も展示されており、その答礼に贈られた市松人形は次の写真の右端に。
青い眼の人形 (野口雨情)
青い眼をした
お人形は
アメリカ生まれの
セルロイド
日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた
老舗のニュー・グランドホテルの旧舘と新館 山下公園
中華街で食事した後なので、好天の公園でベンチに座って波の音を聞きながら贅沢な読書をした。
岸壁に係留されているのは“氷川丸”でしたか?
眺めただけで船内の見学はしていません。
横浜はすっかり変わりましたね。
余りよく覚えていませんが、山下公園もこのような立派な公園ではなかったように思います。
横浜に行ったら必ずよっていました。。。
「人形の家」なんていうのができたことをまったく知りませんでした。
山下公園は氷川丸の船体が白かった頃、よく行きました。が、
大桟橋に"イプ船"号という船が停泊してたかどうか記憶が定かでありません。
いずれにしてもノラなかったことは確かです。
ここらへんは関東大震災のときの臨時瓦礫集積場となって、
その瓦礫を下敷きにして埋め立て工事をして土を1m積んで造成したのが、
山下公園なんですね。震災から7年後の昭和5年に開園して81年。今も
休日には人々の憩いの場としてにぎわってるようですね。ちなみに、
英語の"doll"(人形)という語は、
ギリシャ人名"ドロテオス"[女性形"ドロテア"](=神からの贈り物)の英語名
"Dorothy"のニックネイムのひとつ"Doll"が由来だそうです。
顔もみたくない程
あなたに嫌われるなんて
とても信じられない
愛が消えたいまも
ほこりにまみれた人形みたい
愛されて捨てられて
忘れられた部屋のかたすみ
私はあなたに命をあずけた
も良い風景ですね。
その人形が展示されてるんですね。
山下公園で読書なんておしゃれ~
2012年は、マヤ暦で行くと地球は滅ぶという映画がありましたが、ノストラダムスの予言と
同じく、何の根拠もないことに終りそうです。
しかし、日本では未曾有の大震災があったりと災いの多い年でした。講演会は、世界や日本
の情勢を識る場面でもありますから、彼方此方かじると多面的な情報を仕入れ面白いです。
山下公園をタイトルにしたブログを今日にアップしました。繋留されているのはご記憶とおり氷川丸
です。
(タミリン) さん へ
映画の「奥様は魔女」は、ニコール・キッドマンが演じたのでしたか。観てみたい・・・。
また、山下公園にお寄りください。
(鷲谷芝嵐) さん へ
キャベジンという薬があるくらいですから、キャベツは胃腸に効くのでしょう。
>市松人形の表情って、一抹の不安があるように私にはみえます。
異国に渡るというだけで、当時は人形であっても、感情移入して哀しく思えたのですね。
(passionbbb) さん へ
>横浜は市民だったことはないにしろ家があったこともある
単身赴任でもされて、住民票を移動しなかったのでしたか。
passionbbbさんの記事は長いので、斜め読みしたところ、「弾左衛門」がいたため奇縁と思い
iinaの記事をご案内させていただきます。↓
(URLを表示できなかったです? 残念? )
(656) さん へ
弘田三枝子の「人形の家」も懐かしいです。
先日、懐メロ番組で歌ってました。
(ハイジ) さん へ
横浜にでかけたのは、9/28でしたが、陽気もよく半そでで過ごせ、海からの風が
心地よかったです。
この界隈について残り2記事をアップします。
(イヴォンヌ) さん へ
冒頭の「クレーターレイク」は、摩周湖の雰囲気に似ています。
規模は此方のほうが大きいようですが、湖の青が印象的です。
この日は、最高の一日でした。
お昼を中華街で食べ、3時のおやつに今日アップした山下公園の眺望をたのしみながら
コーヒーを飲み、夕は野毛で呑みました。
バラ園がこんなに立派であったかを、すっかり忘れていました。
来年は、出掛けて見物したくおもいます。^^
おまけに、
薔薇の漢字より難しい108画の「ぼんのう」です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a3a7e0fe18567dc595e1838a78eb3445
(mannmo)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。