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本法寺

2012年02月15日 | 歴史街道

本法寺ほんぽうじ
は、日蓮宗京都十六本山の一つで本阿弥作光悦ほんあみこうえつの枯山水庭園「三つ巴の庭」で知られる。
光悦は、宮本武蔵吉川英治のに登場するので興味を覚えた。本阿弥家は、代々刀剣の鑑定や研磨を業とする家系。
展示館では長谷川等伯筆による「佛涅槃図」(重文:総丈約10m)の大きさには、曼荼羅図のことを識る以前だったから驚かされた。寒い中だったが、雪舟の絵も展示していて飽きなかった。 

境内の摂社の狛犬が、猪だった。御所の脇の護王神社に雌雄一対の狛イノシシは、其処唯一というのに此処にもあったため記憶にある。
一条戻橋の袂に立って日親にっしん上人が辻説法を始めてから9年目に建立されたのに始まる。
本法寺には、人形寺から北に表千家と裏千家を通ると直ぐ。なお、東隣に妙顕寺(尾形光琳墓)がある。
本法寺から堀川通りを渡った所に、次に案内する妙蓮寺がある。



妙蓮寺みょうれんじ
は、日蓮宗で日像上人にちぞうしょうにん(日蓮上人の孫弟子)が開山した。  
この鐘楼だけが、天明の大火から生き残った建物。境内は自由に歩ける。
10月頃から翌年の4月頃まで御会式桜おえしきざくらが咲き続ける桜の名所といい石庭「十六羅漢の庭」も好いという。
此処には人形家から歩いて3分。さらに西に歩くと、本隆寺に着く。




本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で西陣の地にある。
1788年の天明の大火では西陣一帯が焼け野原となったが本堂・祖師堂・宝庫は類焼をまぬがれたので、『不焼寺』(やけずのてら)とも呼ばれ、子供の夜泣きを止めるといわれる「夜泣き止めの松」等が有名。

お寺は、遠慮して町の外れに建てられたが、はじめて町中に建てられたのが日蓮宗だった。仏教が普及して町中に進出し、武士に支持を得た。

 <注> 
写真は、15年ほど前にiinaが撮ったもの。 
   


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9 コメント

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狛猪とは・・・ (鷲谷芝嵐)
2012-02-15 11:09:35
猪とはビックリ、どういういわれで猪なのかな?
・・・ひょっとしたら、ブタとか馬、うし、たぬき、きつねなんていうのもあるんかな?
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こんにちは。 (ハイジ)
2012-02-15 11:29:32
そうなんですか。
日蓮宗→南無妙法蓮華経→江戸の牙→故天地茂
という構図となります。(私の中)
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信念 (らいちゃん)
2012-02-15 12:45:28
>日親は危険人物と火あぶり・鞭打ち・焼き鍋を頭に被せるのどの拷問を受け、改宗を迫られたが信念を変えることは無かった。
本法寺の日親上人の信念の強さには驚きます。
そう言えば、茶道千家流の祖師となった千利休も信念に基づき、秀吉の逆鱗に触れて切腹を命じられましたね。
昔の人は武士に限らず皆さん信念を持っていたのですね。
それに引き換え現在は・・・。

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Unknown (ぼたん)
2012-02-15 14:47:41
昔はお寺は街中に無かったなんて知らなかったわ。
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Unknown (tamirin)
2012-02-15 16:13:43
今年は増上寺と
念願の柴又帝釈天に行く予定です~
自転車で友達と計画中^
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commentに m(_ _)m (iina)
2012-02-16 09:55:04
(鷲谷芝嵐) さん へ
記事中の赤字「護王神社」をクリックください。
狛猪の説明にリンクしてます。
キツネは、稲荷神社に狛狐となってますし、猿も京都の哲学の道の脇の神社で見たことがあります。



(ハイジ) さん へ
小説の世界での できごと ですか・・・



(らいちゃん) へ
ひとの気持をコントロールしようとする霊感商法や開運商法は危険です。
遠い昔、日蓮も迫害されたし、法然と親鸞も遠島の刑を受難しました。こころに忍び込む宗教は、
こころの支えにもなるし、お布施はこころのままであり当人の気持ち次第であるべきですが、・・・。



(ぼたん) さん へ
>昔はお寺は街中に無かったなんて知らなかったわ。
日本では、護国のために建てられた寺は飛鳥寺(法興寺)や斑鳩寺(法隆寺)、興福寺、薬師寺など、
平坦な奈良の町中に建てられました。
京都の東寺と西寺も、まだ国のために建てられます。
その後、人を救済する寺は町から外れた所に建てられていきます。



(tamirin) さん へ
ことしは 寺見学をせびって(セガール)、増上寺と柴又帝釈天が、たのしみですね。
これをセガールの陰謀ともうします。・・・そんなことはないか・・・
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TB(乱鳥の書きなぐり) さん へ (iina)
2012-02-17 09:21:13
左京区にある寺院では、詩仙堂を見学しましたが、真如堂は知りません。
なるほど、東山借景と枯山水が美しいですから、行ってみたくなりました。

しかし、ご自分の記事に自分の記事をトラックバックするのですね。
文中にリンクすると見苦しさが緩和されるものですが・・・。

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初めて知りました (更家)
2014-12-18 09:58:54
”狛犬が猪”があるというのは、初めて知りました。
そうですか、本法寺と護王神社は、狛犬が猪ですか!
珍しいですね。
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(更家) さん へ (iina)
2014-12-18 11:41:41
「御殿(みどの)」と呼ばれたから「三留野(みどの)」の地名になったのでしたか。
京都の泉涌寺は、皇室の菩提所として「御寺(みてら)」と呼ばれます。はい、神の総元締めの天皇家に仏事のお寺どす。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cd699650b0ee848e4199adbca5c85cf3

「そでふりの松」の伝説は、ロマンチックです。木曽義仲の巴御前が袖を振って枝をなぎ払ったとは・・・。剛腕(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie/e/485d5335810530851a218d7dc217065c

袖ふりといえば、奈良の吉野山の勝手神社で、大海人皇子に天女が袖を振ったので、その山を袖振山といいます。
また、此処は源義経の静御前が捕えられて舞を踊った地でもあります。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7a227c263a751ae1e218473adec7e6b6

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