本法寺は、日蓮宗京都十六本山の一つで本阿弥作光悦の枯山水庭園「三つ巴の庭」で知られる。
光悦は、宮本武蔵に登場するので興味を覚えた。本阿弥家は、代々刀剣の鑑定や研磨を業とする家系。
展示館では長谷川等伯筆による「佛涅槃図」(重文:総丈約10m)の大きさには、曼荼羅図のことを識る以前だったから驚かされた。寒い中だったが、雪舟の絵も展示していて飽きなかった。
境内の摂社の狛犬が、猪だった。御所の脇の護王神社に雌雄一対の狛イノシシは、其処唯一というのに此処にもあったため記憶にある。
一条戻橋の袂に立って日親上人が辻説法を始めてから9年目に建立されたのに始まる。
本法寺には、人形寺から北に表千家と裏千家を通ると直ぐ。なお、東隣に妙顕寺(尾形光琳墓)がある。
本法寺から堀川通りを渡った所に、次に案内する妙蓮寺がある。
妙蓮寺は、日蓮宗で日像上人(日蓮上人の孫弟子)が開山した。
この鐘楼だけが、天明の大火から生き残った建物。境内は自由に歩ける。
10月頃から翌年の4月頃まで御会式桜が咲き続ける桜の名所といい石庭「十六羅漢の庭」も好いという。
此処には人形家から歩いて3分。さらに西に歩くと、本隆寺に着く。
本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で西陣の地にある。
1788年の天明の大火では西陣一帯が焼け野原となったが本堂・祖師堂・宝庫は類焼をまぬがれたので、『不焼寺』(やけずのてら)とも呼ばれ、子供の夜泣きを止めるといわれる「夜泣き止めの松」等が有名。
お寺は、遠慮して町の外れに建てられたが、はじめて町中に建てられたのが日蓮宗だった。仏教が普及して町中に進出し、武士に支持を得た。
<注> 写真は、15年ほど前にiinaが撮ったもの。
・・・ひょっとしたら、ブタとか馬、うし、たぬき、きつねなんていうのもあるんかな?
日蓮宗→南無妙法蓮華経→江戸の牙→故天地茂
という構図となります。(私の中)
本法寺の日親上人の信念の強さには驚きます。
そう言えば、茶道千家流の祖師となった千利休も信念に基づき、秀吉の逆鱗に触れて切腹を命じられましたね。
昔の人は武士に限らず皆さん信念を持っていたのですね。
それに引き換え現在は・・・。
念願の柴又帝釈天に行く予定です~
自転車で友達と計画中^
記事中の赤字「護王神社」をクリックください。
狛猪の説明にリンクしてます。
キツネは、稲荷神社に狛狐となってますし、猿も京都の哲学の道の脇の神社で見たことがあります。
(ハイジ) さん へ
小説の世界での できごと ですか・・・
(らいちゃん) へ
ひとの気持をコントロールしようとする霊感商法や開運商法は危険です。
遠い昔、日蓮も迫害されたし、法然と親鸞も遠島の刑を受難しました。こころに忍び込む宗教は、
こころの支えにもなるし、お布施はこころのままであり当人の気持ち次第であるべきですが、・・・。
(ぼたん) さん へ
>昔はお寺は街中に無かったなんて知らなかったわ。
日本では、護国のために建てられた寺は飛鳥寺(法興寺)や斑鳩寺(法隆寺)、興福寺、薬師寺など、
平坦な奈良の町中に建てられました。
京都の東寺と西寺も、まだ国のために建てられます。
その後、人を救済する寺は町から外れた所に建てられていきます。
(tamirin) さん へ
ことしは 寺見学をせびって(セガール)、増上寺と柴又帝釈天が、たのしみですね。
これをセガールの陰謀ともうします。・・・そんなことはないか・・・
なるほど、東山借景と枯山水が美しいですから、行ってみたくなりました。
しかし、ご自分の記事に自分の記事をトラックバックするのですね。
文中にリンクすると見苦しさが緩和されるものですが・・・。
そうですか、本法寺と護王神社は、狛犬が猪ですか!
珍しいですね。
京都の泉涌寺は、皇室の菩提所として「御寺(みてら)」と呼ばれます。はい、神の総元締めの天皇家に仏事のお寺どす。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cd699650b0ee848e4199adbca5c85cf3
「そでふりの松」の伝説は、ロマンチックです。木曽義仲の巴御前が袖を振って枝をなぎ払ったとは・・・。剛腕(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie/e/485d5335810530851a218d7dc217065c
袖ふりといえば、奈良の吉野山の勝手神社で、大海人皇子に天女が袖を振ったので、その山を袖振山といいます。
また、此処は源義経の静御前が捕えられて舞を踊った地でもあります。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7a227c263a751ae1e218473adec7e6b6