東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

講演とやきとん

2013-11-11 00:03:13 | 日々

P1010002 とんだ長い間更新できずにいました。空白の1ヶ月ちょっとの間、北区の伝統工芸展だの三社様(被官様)への狐のお納めの今年一回目、お店への納め、干支つくりなどいろいろあって、その都度記事にしたかったのですが、実をいいますとデジカメを失くしてしまい、ずっと捜していたのですがみつからず、今日4台目のデジカメを買ってきました。

 

 画像は埼玉県川島町にある遠山記念館という美術館で現在公開中の土人形の特別展のチラシです。石井荘男さんは、郷土玩具やこけし、民芸品をこよなく愛されていらっしゃるデザイナー、イラストレーターの方で既刊の日本郷土玩具事典をはじめ民芸関係のムック本等の装丁などでご活躍されてきた方。このたび数十年に渡って蒐集され大切にされていた玩具や人形を遠山記念館に寄贈されたことを記念して同館で展示されています。

 

 石井さんとは25年くらい前から面識をいただいており、とくに、私の土人形作りに関しては、その都度いろいろお世話お骨折りをいただいてきました。このたびも、自分で人形を作っている立場から講演をしてみたら、、というご提案をいただき昨日、館内でお話させてもらってきました。

 

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自分で言うのも何ですが、いい年して怖がり、口下手で人前に出ると舌を噛みそうになったり膝ががくがくしたりです。それと大学の教授大先生とかどこかの大きな博物館の学芸員とか館長というようなアカデミックな畑に権威的に関わっているわけでなし、ただ単に「好き」な事に関して自然と観たり読んだり聞いたりして積もったネタ、実際に土から工程を踏んで体ごと感じている事をネタをお話する、ということでよかったら、、ということでお引き受けさせてもらいました。 仮題として「今戸人形ルネサンス・・・人形作りの目指すところ」という大風呂敷なのをつけてしまったのですが、要するに身の上話ですね。ただその前に今戸人形と今戸焼ってどういうものがあったのか、、今戸で焼かれていた生活道具やその他の嗜好的製品、そして最後の生粋の今戸焼の土人形作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった人形から遡って江戸時代の今戸人形について画像を観ていただきました。春吉翁までで絶えてしまった江戸時代からの伝承はどういうところにあるのか、画像などでお話したつもりです。あと自分が家でやっている作業工程の話でした。予定は1時間程度だったのですが終わってみて2時間弱になってしまっていたので申し訳なかったですが、同席いただいたみなさん最後までお付き合いくださってありがとうございました。

 

 

 

 次の土曜日には土人形を寄贈された石井さんご本人によるお話がありますので、ご関心のある方、お近くまでお出かけの方どうぞお立ち寄りください。遠山記念館のHPはこちら

終わってから川越に出て東上線で北上し、東松山のやきとんを食べて帰ってきました。この街のやきとんはお味噌にネギや唐辛子など各店秘伝の味付けの「ねぎみそだれ」を塗って食べるのが特色で、専門店がたくさんあるのですが、どこの店がおいしいとか予習していなかったので、昔懐かしい感じの煤けた感じのおばあさんひとりで切り盛りしている店に入ってみました。子供の頃は肉が苦手で食べられなかったのが、今ではだいたい食べることはできますが、普段食べ慣れていなかったせいか夜中お腹が張って寝付けませんでした。どちらかというと草食動物なんですね。でもおいしかったです。自分からアルコールを口にすることもほとんどありませんから、7杯飲んだレモンサワーのせいでお腹が張ってしまったのかどうか、、、。宵の東松山に寄って、、、そう遠いところではありませんが、束の間のローカルでほーっとできた時間でした。


お参り

2013-09-19 21:51:11 | 日々

P1011284お彼岸の入りは本当は明日20日なのですが、金澤家へは前もってお電話を入れて、一日早いですが、今日今戸までお参りさせていただきました。

数日前の台風では各地で大変な被災された方々のニュースを知りました。この場でお見舞い申し上げます。その台風のあとの天気が信じられないようなヨーロッパ風といったらよいかヨーロッパの真夏のような天気が続いています。空気が透き通っているので、日光は強くても湿気がないので日が沈むと寒いくらいな天気です。

墓地にお邪魔したのは午前中でしたが、日陰は涼しく、日向は刺されるように強い光線でした。ご墓所のお掃除をさせていただきお花とお線香をお供えして失礼してきました。

お寺のハスキー君もいい天気のせいか気持ちよさそうにまどろんでいました。

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サンダル履きの鎌倉

2013-09-13 21:18:41 | 日々

P1011263また暑さがぶり返してきました。

今朝、近所の工事現場からもらった粘土を何回か往復してからシャワーを浴びていたら、俄かに草花や木々の香りが恋しくなって、思い立って着の身着のままで湘南新宿ラインに乗って鎌倉へ出かけてきました。北鎌倉で下車して山越えのハイキングコースに沿って銭洗い弁天、佐助稲荷、大仏から長谷まで歩き、江ノ電で鎌倉駅へ戻り、湘南新宿ラインで帰途につく、というコースでした。

ハイキングコースは踏み固められた道で、雨でも振れば滑って危なそうですが、サンダル履きでも大丈夫です。木々や草の香りをたっぷり吸い込むというのも久しぶりです。平日ということもあり、山道ですれ違うった人も3人くらいでした。銭洗い弁天まで来るとさすが人がそれなりにお参りしていて、大仏の通りはさすがに観光地という感じです。

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1枚目2枚目はハイキングコースでの景色。木漏れ日の中は結構涼しい風が吹いて気持ちよかったです。スズメバチらしき大きな蜂が何度か近くに羽音をさせていたのがちょっと怖かったですが、何事もなくてよかった。

銭洗い弁天でご縁があるよう小銭を清めて、佐助稲荷からはお屋敷街を眺めながら長谷へ進みました。民家の間から大仏さまがちらりと見えるスポットを発見。正面から眺めるのと違って面白いと思いました。

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鎌倉に家を持つというのはかなりのステータスなんでしょうね。羨ましい、、。代々住んでいる感じの数奇屋風の大きなお屋敷もあれば、最近土地を分割分譲したような今風の家もあってサーフボードが立てかけてあったりするような家もありますが、それだけでも住むには相当の甲斐性がないと実現できないんだろうな、、と思いました。あと気がついたのですが、鎌倉近辺には駅近くに吉野家とか松屋のような安くて大盛りのチェーン店がないんですね。

「古都の懐石」とか「古都の手打ちそば」とか「古都の洋食」みたいな店はたくさん目に付くんですが、観光客としてそれなりにプレミアがつく食事処が多いような気がします。地元に住む人、働く人がワンコインくらいでがっつり食べる店というのがどこかにあるはず、、、、。と思うのですがわからないです。それとも鎌倉に住む人はお金持ちだから、もともと高い店でも平気で食事ができるんでしょうか?

神社のおじさんとお話していて、昔うちの母親が十代の頃、結核を患って鎌倉山の病院で療養をしていた。その頃鎌倉駅の近くの映画館で「ローマの休日」の封切りを観た。原節子さんを街中で観たことがある、、。という話をしたところ、原節子さんは現在も市内にご健在だという話でした。

鎌倉まで100㌔と離れてはいないので、日帰りで出かけるばかりで、案外夜までゆっくり過ごしたということもありません。旅館とか民宿とか安く泊まれるところがあったらいつか泊まって鎌倉の夜というものもじっくり味わってみたいです。地元の人が食べたりちょっと一杯やるような普段着の店があったら覗いてみたいです。

本当は江ノ島にも回ってきたかったのですが、江ノ島は猫さんたちの楽園で、あそこはまた別の時間をとって訪れたいと思います。


秋らしく?

2013-09-08 09:22:17 | 日々

P1011258あっという間にに9月です。連日、工事現場と自宅または仕事場の間を土運びで往復していたり、お納めすべき狐の型抜きや素焼きに明け暮れる毎日で、更新するのをうっかりしていました。

この数日いくらか過ごしやすい天気になってきているのでやっと秋らしくなったのかと思います。

わが家の朝顔の花の青みが真夏よりも深い青になってきているのが余計にそう感じさせてくれます。画像だと発色がよすぎるのですが、実際はもう少し藍色ががった落ち着いた青です。

「ゆく夏」とか「ラストサマー」とか素敵な言葉を耳にしますが、我が身のこの夏は「こんなのはじめて」と思うくらい厳しい夏でした。みっともないことを話してしまいますが、納品をしていたお店からの代金の支払いが滞っていたのでお金がない。困ってしまい、食べたいものも食べられず、どこへも行けず、ただただ土いじりに集中していたという感じです。もちろん十五夜さんや仕事場の周りのの猫さんたちにひもじい思いをさせたくないので、猫さんたちのご飯だけは自分の空腹を我慢して買ってきていました。こんな夏だったので、これまで当然のように享受していた夏の里山、夏の川、田圃とカエルの鳴き声を訪ねることもできませんでした。暑さのピークでのこうしたひもじさというのはきつかったです。

その後やっと支払われたのですが、臆病というのか、感情がうつろになってしまったというのか、お金を使うのも怖くなってどこにも出かけていません。ああこうしているうちに9月。これから例年のように忙しさも本格的になっていきます。

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冷房のため締め切っていることの多かった十五夜さんの部屋も窓を開けていられることが増えてきました。そとの空気や匂いは十五夜さんのためにも居心地のいいものだろうと思います。猫サラダの種を蒔いたのがまだ食べ頃にならないので、鉢植えのを買ってこようと思います。


道待ち草?

2013-08-02 12:50:11 | 日々

P1011244_2花のことで連続記事になってしまいますが、近頃になくびっくりしたことなので記してみたいと思います。

画像の歯車のような花をつけた植物。町内のご近所のお宅に玄関先に鉢植えになって咲いているのをみつけてびっくりしました。光線の加減で白く見えますが、実際は青紫色がかった白の花です。

ガーデニングに関してもそれほど熱があるわけではないのですが、この花は今では日本の植木屋さんなどで普通の流通しているのでしょうか?(ご存知の方いらしたらお教え願いたいです。)

なぜこんなに驚いているかというと、まだ若かった20代、30代の頃、ドイツの友達の家々を訪ねて滞在していた時代に現地でよく目にしていた花だからです。それも空き地とか荒野、麦畑の畦、鉄道の線路の脇などに自然に生えていた草で、それまで日本でみたことがなかったので珍しいと思っていたのです。

友達のお母さんに名前を聞くと、わからないということで図鑑を出してきて一緒に調べてくれました。名前は "Gemeine Wegwarte" とありました。直訳すれば "Gemeine"は「ありふれた」

"Wegwarte" は「道待ち」なので「宵待草」のように「道待ち草」のようなものでしょうか。

ドイツに限らす、中部ヨーロッパの乾燥した涼しい荒野に育つ雑草のようで、茎も葉も堅くて馬も食べないんだよ、と友達のお母さんが言っていたのを憶えています。現地では特別珍しがられもしない雑草でした。

種を記念に持ち帰って蒔いたこともありましたが、気候が違うのだから無理なんだろうな、、と思っていました。身辺の変化で家を離れることだけでも難しくなった現在、ドイツの友達たちのことを思い出すばかりで、もう一生友達たちに会える機会はないのかな、、と侘しい気分の昨今にあって、同じ町内のすぐ近くでこの花に再会したというのは単なる思い込みと言われるかもしれませんがびっくりでした。


朝顔とおみなえし

2013-08-02 12:17:00 | 日々

P10112458月に入りました。一年12ヶ月で単純に割れば、6月いっぱいで一年の峠を過ぎ、7月から下り坂にさしかかるということですが、気持ち的には夏休みのかかる7月8月が一年で一番元気いっぱいな峠道という感じを子供のころから持っていました。

現在の我が身の境遇を思えば、夏でも冬でも自由にどこかに出かける時間的余裕も経済的余裕もないので、家にいながら、昔味わったような里山に出かけたり、田圃の畦で遊んだり、川で水泳ぎしたときのようなときめきを持ちたい、、、、。そんな気持ちが玄関前の植木いじりにつながっているような気がします。

5月に種を買ってきて蒔いた朝顔がこんなに大きくなり、先週あたりから花をつけるようになりました。この種は蒔いてからしっかり水やりしていたにもかかわらず3週間くらいなかなか発芽せず、双葉を開いて本葉が出るまで、かなりスローでした。日当たりの関係もあるかもしれません。

蔓が庇より上にさしかかって以降はみるみる大きな葉とつけるようになり、蔓自体もかなり太い屈強な感じになりました。小学校のころ、夏休みの宿題であさがおの観察日記を書いた憶えはあるのですが、あさがおってこんな枝のつき方したっけ??と思うようなこともあるものですね。ひとつの根からは一本の蔓しか延びないものだと思っていたのが実際には勢いがあればところどころで枝分かれするんですね。

買った種の包装には水色の花が描かれていたのを選んでのですが、最初の3つか4つの花は「團十郎」のようなえび茶っぽい花だったのでがっかりしました。その後ご覧のとおり紫味のないすっきりとした水色になってうれしいです。

P10112462番目の画像は先月、チャリで神田神保町まででかけた折に、文京区の千石あたりの植木屋さんで偶然見かけて求めてきた「おみなえし」です。

子供の頃夏休みで出かけた山形の父の実家あたりは狸のいそうな里山に囲まれた田園地帯だったのですが、人が手入れして庭先に育てている「百日草」とか「松葉牡丹」や「芙蓉」「ダリア」なんかの色の賑やかな花とは別に

畦道や山道とか川原に勝手に咲いていた草花たちが好きでした。庭先の花ほど主張がなくともしっとりと咲いているのが好きでした。ミソハギやふじばかまは数年まえから根ずいて花をつけていますが、今年からおみなえしも加わってうれしいです。宿根草なので、水やりや手入れ次第で来年も花をつけてくれるよう気をつけたいと思います、


新築の歌舞伎座

2013-07-14 21:12:20 | 日々

P1011225 四月にこけら落しとなった新しい歌舞伎座。芝居好きのひとりとしては、行きたいと思いながらもチケットの景気のよさ(入手困難という噂)やら、現在の我が身の経済状況などから全く出かける機会がなかったのですが、昨日懇意にしていただいている方からご招待をいただき、はじめて中に入ることができました。

 銀座へも随分久しぶりで、人ごみの中が苦手でもあり、有楽町の駅から裏道を通って、辿りついたのでした。かねてより、新・歌舞伎座は前の建築とおりに新築すると聞いていましたが、なるほど外観はほぼそのとおりにできているんですね。客先に入って、一幕見や3階の座席からも花道の七三が見える様になったのはめでたいことです。ちょっと欲をいえば、せっかく昔の歌舞伎座を再現するのだったら、関東大震災後に建てられた当時のオリジナル型の中央の破風を再現したらいいのにと思いました。

 2階のロビーの吹き抜けも大体昔のような感じです。ただ今まで階段だったのがエスカレーターになって上り下りできるようになったのは便利ですが、昔の歌舞伎座を思い出すと、新場内にはまだ不慣れな感じがしました。

古典芸能だとか、伝統工芸とかの世界というのは、「昔はよかった」という価値観によって現役世代の人間がどれだけ昔のよさに追いつけるかという目標を持って精進する性格のものなので、役者さんも昔の名優と言われる役者さんは神格化されて、その役者さんの演出なり型を継承しつつ演じるのが正しい継承なので、いくら家柄の役者さんであっても、いきなり自己流に勝手に演じると変てこになってしまうんですね。観客の側にも「昔はよかったけど、、、」という言葉がつい出てしまうけれど、昔の良い芝居を観たというひとには敵わないです。

 私が歌舞伎座に通うようになった中学生の頃はまだ「団菊じじい」(9代目團十郎と5代目菊五郎を観た)という人たちはまだいました。またそのあとの世代の「菊吉じじい」(6代目菊五郎と初代吉右衛門を観た)という人がいました。

 ご招待いただいて見てきた出し物は「四谷怪談」の通し。菊之助の四谷さまは結構突っ込んで演じていたのであとで幽霊になるまでの無念さというものが思っていたより出ていてよかったと思います。「この恨み晴らさでおくべきや。民谷の家を根絶やしに、、。」という四谷さまの執念はそれなりに通っていたと思います。もちろん故・歌右衛門さんのような「疑着の相」レベルをというのは今後の再演を重ねてからの楽しみです。

 四谷様の芝居を観ていて、ふと我が身に重なって感じてしまい、ふと我に帰るということを繰り返していました。「日頃邪険な伊右衛門殿」ではなくて「てるこ殿」やら「秀樹殿」。「民谷の家を根絶やしに、、」ではなくて「小○の家」「堀○の家」を、、、、。こればかりは、「陥れられた立場」ならではの口惜しさ無念さ。四谷さまを観ていてこういう感情が湧いてきてしまう今日このごろです。


ききょうとみそはぎ

2013-06-22 20:01:10 | 日々

P1011191 梅雨らしくじめじめした日が続いています。今日は久しぶりにお天道さまに恵まれて素焼き前の天日干しなどをしているところでした。

 物干しに植えてあるききょうやみそはぎがいつの間にか花をつけています。日光の当たり具合で花の色がはっきりと写っていませんが、たくさん花がついています。

 

 わが家は路地の谷間に建っているので一階には冬場にはほとんど陽が当たりません。夏場は日光が縦方向に射すので時間帯によっては花や草にも当たってくれます。壁ひとつ隔てたとなりの部屋から草花を撮ったつもりが、ご近所の洗濯物までバッチリ写っているのでぼかしました。

 

 ネットが写っていますが、これは下のブロック塀に取り付けた鉢に朝顔を蒔いたので2階まで延びてきてくれるのを期待して張りました。

 

 できることなら、どこか遠くに出かけて山里とか田圃の近くでカエルの大合唱を聞きながら寝入ってみたいですが、現実的には厳しいのでせめてのどかな田園風景を思い起こすような花を身近に眺めて日々過ごしているという感じです。


桑の実

2013-05-27 00:09:24 | 日々

P1011168 このところとてもありがたい意味で忙しくなっています。急いでたくさんの型抜きをしたり乾燥させたりで朝から夜まで忙しいです。ちょっと息抜きを兼ねて荒川の川原にいい粘土でもみつからないかと出かけてみました。

 生憎粘土のよさそうなのはみつけられませんでしたが、今の時期、桑の木に実がついているんですね。これらの木はもともと上流から流されてきたものが根付いたものだと思います。天気がよいので、ジョギングとかサイクリングとかで川原を往来する人は少なくはないのですが、こういうものをみつけて喜んでいるのは私くらいのようです。

 早速熟れた黒い実を食べてみましたが、そこそこ甘味があります。熟していない赤い実はまだ酸っぱいです。もったいないので、近くのコンビニから袋を買ってきて、摘んで帰りました。

 うちの母は戦中学童疎開で群馬にいたそうで、桑畑から桑の実をもいでつまんで叱られたという思い出話をよく聞かされます。当時としては甘いものもなかったでしょうから、こうした実ひとつでも口福だったことでしょう。持ち帰った実を洗って早速母に味見させてみましたが、あんまり喜ばれないのでつまらないです。残りはひとりで食べてしまいましたが、お菓子を食べるよりはいくらかマシなのでは、と思いました。P1011169

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りんごの芽

2013-03-10 09:28:05 | 日々

P1011093 まだ油断はできませんが、厳しい寒さもひとまず過ぎて、春が来ていると実感できる今日この頃です。十五夜さんの部屋も日中明け放ってあげるようになりました。

 物干しのカップラーメンの鉢に芽が出ているのに気がつきました。このあいだには何も生えていなかったのに、、。変な「こだわり」のようですが、食べた果物の種を捨てないで鉢に埋めて置くということをよくやります。この芽は何だったか双葉だけではわからなかったのですが、真ん中に出てきた葉からりんごだろうと思います。種を埋めたのは去年のまだ寒くならない頃だったかと思いますが、水やりしても何の反応もなかったので諦めていたのですが、春の気配を感じて発芽するものなんですね。

物干しにはみつば(昔食べた根っこを埋めておいたもの)、ふじばかまなども芽をふいています。

十五夜さんも物干しに出て外を眺めています。

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お参り

2013-03-01 19:39:48 | 日々

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昨日は2月28日で今日は3月1日。今戸焼土人形の最後の作者、生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年から昭和19年)のご命日は2月29日で、今年の暦にはありません。昨年暮れにお亡くなりになられた春吉翁のお孫さんの武佑さんと春吉翁を今日お参りさせていただきました。春一番が吹いて、ご墓所の花立てにお供えされたお花やしきみが風でぬけて落ちていたりしましたが、お掃除させてもらい、お花とお線香をお供えしてお参りさせていただきました。お寺の境内の紅白の梅も花開いていていつの間にかの春なんだな、、と感じました。お寺のシベリアン君にお目にかかるのも久しぶり。秋のお彼岸以来ではなかったかと思います。冬場は寒いので屋内にいたように思います。

今日は上着で歩いているだけでも汗をかきそうな陽気でした。

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横浜行

2013-01-11 20:57:16 | 日々

P1011053昨日は定期的な通院のあと2ヶ月以上ぶりに横浜まで行ってきました。

目的は2つ。絵具屋さんと中華料理。どちらも関内駅から歩ける距離です。

絵具屋さんですが、一番よく行く店は神田の淡路町にありますが、時々違う店のものも入手してみて試しに塗っています。店によって似た傾向の絵の具であっても同じとは限らないものなので、横浜へ行くと、ここで買い物をします。今日は胡粉と面相筆数本を買いました。そのあと中華街に直行。

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いつも関帝廟通り付近で食べます。

いつもながら貧乏くさいかもしれませんが、1980円で食べ放題という店に入ります。一番の目的は2つ食べたいものがあるのです。

ひとつは点心で湯葉で具をくるんだものを揚げてからおつゆとともに蒸して出てくる料理。もうひとつは海老のすり身を団子にして衣をつけて揚げたもの。このふたつはわが家の近所でやっている店がないので、はるばる食べにくるのです。本当は食べ放題にしないで食べたいものだけ注文するような店のほうがおいしいかもしれませんが、財布が心配で、、。悪循環になってしまいますが、こうしたお店に入ればあれもこれもと注文してしまうし、出てきたものはきれいに平らげないと気が済まない性分なのでいつも帰りはげっぷ状態で帰ってきます。浅ましいと思いながら、こうなってしまいます。

P1011055いつも帰りに食材を買ってこようと思っているのに腹いっぱいになって買い物をする余裕のなくなるパターンでした。

横浜だけではありませんが、近いようで案外近くない。横浜にもいろいろなところがあるはずで、最近行かなくなった弘明寺界隈とかまだ全然足を運んだことのない伊勢佐木町界隈も観てみたいとかねがね思っています。

二ヶ月ぶりの横浜でした。


皆さまよいお年を

2012-12-31 20:54:43 | 日々

P1011040慌てて夕方に仕事場から運んできて窯詰めしたものがようやく500°になりつつある画像です。このあと蓋を完全に閉めました。

どたばたしていてしっとりと年の流れを味わうという感じがしません。いろいろあったけれど振り返るとあっという間のようです。いろいろりましたが、ひとつよかったことというと鉄砲狐のことでしょうか。実際に並ぶまでにはまだ時間がかかるかもしれませんが、実質的に被官様での授与奉納物としての実用に扱っていただけること。これは自己満足ではありますが、大きな進歩のような気がします。

その鉄砲狐ですが、2月の初午前に3度目の納めをすることになっているのでそれに間に合うよう、それと何度も書いておりますが干支のほうは今年は引越しのため大幅に遅れていました。年明けにお渡しできるよう努力していますが、どうかお時間お許しください。

毎度のことですが、元旦は私の誕生日で、今回は五十路という大きな段差を感じます。なってしまえばどんなものかわかりませんが、、でも年をとるのはうれしくないですね。特に自分の場合年齢と中身のギャップというものを大きく感じています。

明けて自分を含めて、父や母家族の体調がどうなるか一番目先の心配ですが、まずはこれから志茂2丁目の「天富士」さん(赤羽の名店です。)から買ってきたかき揚げでお蕎麦を食べてから夜更ししないで寝ようと思います。

ブログにお越しいただいた皆様、暖かいコメントをいただいた皆様お世話になりました。来る新年もどうか引き続きお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。皆様よいお年をお迎えくださいますよう、、、。

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大晦日の救急受付

2012-12-31 20:28:48 | 日々

P101104429日に王子向けの招き狐をお納めに行ってやっと一段落でもないですが、その夜は何もしないで寝ました。晦日の昨夜は一日中雨足の強い天気だったため、仕事場で乾燥させたままだった干支や丸〆猫などを自宅の窯まで運んで素焼きすることができず、十五夜さんとのんびりとしていたのでした。

そして今朝、、、、。父に朝食を運んでいったところ何やら吐き出した形跡、、、話を聞けばお腹を下している様子。これはやばい、、、。急いで区役所に隣接する休日の医療相談に電話して、赤羽北にある病院が救急扱いでのみ診療を受け付けているのを聞いて、問いあわせ、タクシーで病院へ向かいました。受付には既に大勢の患者さん待ちになっていて赤ちゃんからお年寄り、海外の方まで順番を待っているのでした。やっと父の番となり問診の後血液検査と点滴とを受けることに、、。点滴は心臓に負担の少ないようにということでゆっくりペースで3時間かけて、そばで付きそうようにという指示。3時間というのは正直びっくりしました。院内にロビーの空きスペースのソファーに座って点滴を受けるのもしんどそうなら見ているだけというのもしんどかったです。午後になって点滴も済み、血液検査の結果で腎臓の機能が健康な成人レベルに比べてかなり低くなっているので、今日は整腸剤と下痢止めをもらって水分補給をしっかりと、おしっこができないと心配なことになるので2~3日様子をみてまた来院するようにということで帰宅しました。無理にでも食べ物を食べてもらい薬をのんでもらって床に入ってから時々トイレは?と聞くと、おしっこは出た、と言うのでそれを信じて様子を見ながら、古いしめ縄を氏神様に納めてきたり、薬局でピューレックス?(消毒液)を買ってきてトイレや吐瀉のあった辺りを拭いたりするうち既に夕日に。しつこくトイレの様子を尋ねて、合間に仕事場から乾燥した干支等を自宅の窯へ運び込み窯入れ、素焼きをはじめています。 仕事場の空のコンテナボックス(鉄砲狐用)を棚や冷蔵庫に積み上げてスペースを空け、掃除機と雑巾をかけて一年ぶりにストーブを点火できるようにはなりました。仕事場でやるべきことはまだまだありますが、今日はへとへとなので家に戻って父に夕食と薬を撮ってもらい確認して十五夜さんとひと息というところです。

年末年始に救急の外来を受ける機会というものが今までなかったので、今朝は舞い上がってしまったのですが、同じ赤羽に救急受付の病院があり、診てもらえたということだけでもありがたいこと。この時期シフトで動いていらっしゃるスタッフの方々も大変ですが、これがなかったら、と想像するだけでも恐ろしいです。それとたくさんの急患の方、、おそらく仕事納めまで無理して我慢せざるを得ないような状況のケースもあるんだろうなと思いました。病気は当然のことながらいつくるかわかりませんね。父の様子を見守りつつ、母も調子がよくないので場合によっては明日でもあさってでも一緒に救急でお願いしなければ、、?と考えています。私自身も心配の種、、今年はまだ忙しくてインフルエンザの予防接種を受けていなかったので、もしかすると病院でお年玉をもらってしまったのかも??気のせいか夕方からかすかな寒気を感じるのですがどうなることやら、、。

猫さんには影響はないようにどこかで読みました。一日中出たり入ったりしていたので2階から悲しそう声で呼んでいる十五夜さんでした。

みなさんもお体気をつけてくださいね。

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近頃での贅沢

2012-12-22 15:47:31 | 日々

P1011030何年ぶりの国立劇場でしょうか。歌舞伎だの大好きなんですが、数年来足が遠のいていました。一番最後に劇場に足を運んだのが歌舞伎座で三津五郎さんの「六歌仙」の通しが出た時だったか、同じ三津五郎さんの「道成寺」が出た時、または吉右衛門さんの「河内山」が出た時だったかのいずれかです。公演の宣伝がでればチェックをしいきたいなあ、と思っていても目の前の雑事だの体の不調の理由でなかなか動くことができなかった自分に言い訳していましたが、今回の吉右衛門さんの鬼一と大蔵卿の二役は配役を聞いた時から後悔しないよう絶対にいかなければ、、と思っていたのでした。一昨日、人形玩具学会での芝居好きで懇意にしていただいている方お二人とご一緒させていただきました。本当に久しぶりのことでもあり、吉右衛門さんのお役であるということだけでも折紙つきであることは確かなので奮発して一階の七三脇をとりました。(ドブ側ではなくて正面側!)やっぱり行ってよかったのひとことに尽きます。決して悲しいあらすじではないのですが、吉右衛門さんのセリフと動きの滋味に嬉し涙がでてしまって、、いい年したおじさんが恥ずかしいですが、、本当によかった。梅玉さん、魁春さんも失礼ながら厚ぼったくなっていてよかった、十二単を着る役って位取りが大変だと思いますが、ちっとも衣装負けしないでしかも大きくて。梅玉さんの虎蔵も年輪がニンに染み付いて柔らかくてよかったです。生意気ですが、梅玉さんには世話物の路線でも独特の役柄(例えば忠七とか)見せてもらいたいなと思いました。

先日の勘三郎さんの訃報を聞いて、これからの歌舞伎の楽しみが大きく崩れ落ちてしまったような気分になりましたが、今月の国立は(個人的にも)昔ながらの劇場で昔ながらの役者さんたちでこれだけ楽しかったのだからまだまだ先は楽しみだ、、と感じました。

ここで書いたところでひとりの我儘に過ぎませんが、今後の興行の演物と配役など、「またまたかの関」ばかりでなく早く演さないと本当に演なくなってしまうようなものもきちんとしてやって欲しいです。

観たいもの、、、、「競伊勢物語」(吉右衛門さん)、「宇都谷峠」、「朝顔日記」、「法界坊」(吉右衛門さんでもう一度。最近の変な演出ではなく)、「新版歌祭文」(母もだして)、「妹背山」(お三輪の通し)、「長町女腹切」、「寿門松」、「桂川」、「天の網島」、「日蓮上人」(大昔歌右衛門さんがやっとというもの)、「志度寺」、「三十三間堂」「乳貰い」「とんとんの三吉」「宿無団七」、「佃夜嵐」、「五大力」「三五大切」「本町糸屋の娘」「双蝶々」の通し(昔国立で上演したというかたちで)、、。初演から100年以上上演されていない台本の復元というのも意味はあるかもしれませんが、むしろそれよりは明治大正戦前までは時々上演されていたのに最近全くでないもののほうが観たいですね。古すぎる台本の復元上演で現代の感覚の楽屋落ちとかギャグがはいるのは俳優祭のような場での「そそり」ならいいでしょうが、本公演では見ていてちょっと痒くなってくるような気がします。

芝居がはねてから新宿まで出て、西口の飲み屋さんでおいしいものをつまみながら芝居の話三昧の夕べでした。楽しかったなあ、、。

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