先月末に型抜き(成形)のお手伝いに行った千葉県の飯岡(旭市)のドガミシモの木地が無事乾燥し、素焼きも済んだという連絡をいただき、続く工程のお手伝いに出かけてきました。
素焼きはなるべく昔の人形の感じに近くなるようあまり高温にせず焼いてもらいました。土色といい、手取りの感触や重さなど地元の「かべと土」独特の風合いがあるように感じました。
木地を軽く磨いてから、胡粉で地塗りをしてみると、「あまざけや」さんに残っている一対の裃雛(ドガミシモ)と同じような肌合いになりました。面描きをはじめとする彩色は全て地元の有志の皆さんにやってもらいました。その起動力はすごいです。40セット弱の人形の磨き⇒地塗り⇒彩色⇒ラベル作り⇒ラベル貼りの作業が1日半で終わりました。
古い飯岡人形を直接触るという機会が余りなかったので、これまで知らなかったこと、今回改めて気が付きました。
収集家のコレクションに含まれている古い飯岡の裃雛(ドガミシモ)の多くには群青色部分に細かい銀粉(アルミニウム粉)が蒔かれていることが多いように思っていたので、お手本となった今戸人形が金の砂子を蒔くのに対して銀粉を蒔くことが飯岡の特徴なのだと思っていました。新潟の三条の土人形と今町の土人形の作行が似ている中で、三条では金の粉や砂子、今町では銀粉が使われているという話に似た現象ではないかと思っていたのですが、実際地元に残っているものには金の粉や砂子を蒔いている人形が少なくないことがわかりました。そのため、当初銀の粉を蒔けばよいと思っていましたが、「あまざけや」さんの一対に準じて金粉を蒔くことになりました。
底には即席に彫った版でラベルを刷り、ひとつひとつに貼りました。
出来上がった人形の群像。すごいと思いませんか。
地元の「かべと土」を採取して細かく砕き、練り込んで作られ、地元の人々の手によって仕上げられた人形たち。上の画像の一対だけは銀粉を蒔いてもらいました。
昭和戦前には廃絶した人形ですが、今回地元の人々の意志と労力によって復活された人形たち、魂の通った飯岡の人形であることには間違いないと思います。
これらの人形は3月4日に開催される「飯岡文学賞」一般公募の入選者の皆さんの表彰式でお披露目されたのち、受賞者に記念品として贈られるのだそうですが、来年に向けて、また作られる方向だそうです。
昨年末からお話をいただいて、実際に間に合うのかどうか正直心配でいましたが、余裕で完成して何よりです。地元の皆さんの意志と実行力には本当に感心させられました。