東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

叶福助とみみずく

2019-04-06 01:37:15 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 隣の町内に作業場として借りているアパートの作り付けの下駄箱は余り使っていない割型やまだ決断できないやりかけの型などが入っていて、整理していたら久しぶりに出会ったという感じだったのがこれら「叶福助」(かのうふくすけ)と「みみずく」でした。「叶福助」は20年前くらいに作った割型で当時10個くらい抜き出して作って以来しまったままだったもの。これは、我が家にある江戸時代と思われる古い今戸の「叶福助」があり(以前このブログで採り上げました)それを手本に型を起こしたもの。今更説明するまでもなく、京都の伏見人形の型の人形が全国各地に伝播してそれぞれの土地で模倣して作られた代表的な型のひとつで、どこの産地でもこの構図の福助は伝わっていたのではないでしょうか。今戸で作られた「叶福助」も大小かなりあり、別の「福助とお福」の対となるずんぐりした型とは別に都内の近世遺跡からも出土していますし、「大丸百貨店」の創業の物語とも絡んで人気があったのでしょう。久しく作っていないのでちょっと抜き出してみています。

 

 同じ下駄箱にはこれもやりかけとして型にして保存しておいた「みみずく」の割型がありそれを利用して今回手を入れて初めて型抜きして作ってみようと思います。「みみずく」の人形や笛仕立てにしたものはいくつかの産地に散見するかと思いますが、江戸や浅草で「疱瘡除け」の赤物玩具として練り人形や張り子で作られた伝世品の人形もあり、錦絵や「疱瘡除け」の赤絵に描かれた作品も結構あります。わが家にも練り物製のみみずくや戦前の張り子製の起き上がりみみずくがあります。しかし(江戸東京ローカルの)土人形のみみずくの色の残っている古いものは観たことはありません。

 現在作っている「丸〆猫」(嘉永安政風型)のお手本となった新宿「水野原遺跡」出土の丸〆猫を遺跡報告書の巻末の出土物をどっさりひと山に撮影されている画像の一部に見かけて、報告書の内容にはそれについての遺物としての記載が一切なく、気になって閲覧申請をして実物を観てはじめて背中の「丸〆」の陽刻を確認できた頃(遺跡のご担当の方々には興味のないことなのは仕方ありませんが、実物に接して感激して、これはこういうものです、とご説明しても立ち合いの学芸の人には響くものなない様子でしたが、その直後、NHK「美の壺」招き猫のディレクターの人が我が家を訪ねてきた際、この話をしたら、すぐに新宿区の歴史博物館に撮影申請して番組で紹介されたといういわくがありますが、それ以降急に出世して廃校の地下室のパン箱のひとつにまとめて収納されていたものが、博物館の重要資料庫に納まったというお話)、、、、これと同じ時期に閲覧申請して出会ったのがこの「みみずく」のお手本です。バランス的に難しくて、ああだこうだとモデリングしていたのですが、そのやりかけを保存していた割型から今回抜き出して、もう一度手直しした抜き出したのが画像のものです。

 配色がわかりませんが、赤物であったであろうと考えています。錦絵や赤絵に描かれている「みみずく」は耳の形状から張り子か練り人形のようで、描かれたものに「これは土だ」と思われるものは記憶にありません。また創業300余年の浅草橋「顔がいのちの 人形の吉徳さん」に伝わっている 天保3年の「玩具聚図」という人形玩具の配色手本帖にはみみずくが描かれていますが、形といい文様といい、浅草の練り人形の古い伝世界品と瓜ふたつです。

 これから乾燥させて素焼きして塗っていきますが錦絵や伝世品練り人形なども参考にしてやってみたいと思います。

9年前にアップした「叶福助」の記事→