先週土曜から開催中の、べにや民藝店さんでの拙作の作品展。残すところ明日あさっての2日間となりました。巷での厳しい状況のなか、はるばる足を運んでくださるお客様、何度も足繁くお越しくださった方もおいででありがたく感じております。毎日更新される新規感染者数、猛暑などおもえば、そんななかお越しくださったみなさん、本当にありがとうございます。開催中には目の前のことで頭がいっぱいで開けた展示の様子など、この場でご紹介を、と思っていたのですが、叶いませんでした。申し訳ありません。
開催前の記事でこういうものを完成させて出してみたいと記したもののうち、「与市兵衛」とか「火の用心」と巷で呼ばれている型の人形については、一番あとまわしになってしまって、先ほどやっと試し塗りしたところです。「与市兵衛」として塗ってみました。本郷、東大の構内あたり「真砂町遺跡」からこの型の色のとれてしまった人形が出土されているので、今戸でも作られていたのであろうという思いが先走りしていました。箱根山の西側にはご縁が薄く、これまで出かけたこと、指で数えるくらいしか機会がなく、郷土玩具、郷土人形についても箱根山の向こうのものには接する機会がないので、知らないことばかりですが、どこかの古民具の催事で大きなサイズのニス塗りされた「与市兵衛」らしき人形が並べられていたのを見た記憶がありましたが、稲畑人形かどこかのものかと思っていました。
真砂町からみつかった人形にはどんな彩色がなされていたか皆目わかりませんし、相良人形で「火の用心」として作られていたものや伏見人形らしきものも見かけたことがありますが、芝居好きとしては、忠臣蔵5段目に出て来るお軽のお父さんとしてのなじみから、「与市兵衛」として塗ってみました。実際の舞台に登場する与市兵衛は羽織を身に着けておらず、裾をからげています。錦絵に描かれている姿ではまっ茶色(弁柄のような色)の着物に描かれていることが多いですが、実際舞台で観ている姿は絵の具の「代赭色(たいしゃいろ)」みたいな色なのでそのように塗りました。婿の勘平の為にお軽の身売りの代金を受け取りに出かけるので羽織を羽織ったりする礼儀で黒の羽織か?という勝手な推測。手にする小田原提灯は舞台では無地だったような気がしますが、試しに「与」の字を書いたもの、もしかすると大文字屋で借りた提灯なら「大文字屋」か店の紋入りでも…と空想したもの、あとひとつ、知り合いで舞台の小道具関係の人から聞いた話で院本狂言の世話屋台に掛けられている暖簾によくある早蕨みたいな文様が提灯に描かれている例もある、ということなので、そのようにも塗ってみました。
あくまで空想して塗ったもので、「火の用心」の人形として塗るならば、もう少しカジュアルなお爺さんになるのだろうか?などと空想はつづきます。
試作として塗った3体だけなのですが、毎度ご贔屓にしてくださるお客様が観てみたいというご要望なので、ご覧いただこうと思っています。
台風通過の予報もありますが、明日は、店内の木机の上でひねり鳩の彩色をしてみては?というご提案をいただいたのでそうしてみようと思っています。
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