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昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

煮出し汁によるこけし絵付け

2015-01-09 20:58:36 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)


昨年秋に仙台の高橋五郎さんから新たに出版されたご本を賜り、ページを繰っていたら何と以前試しに塗ったこけしの画像と記事がありびっくり。子供の頃からこけしも好きですが、こけし会のような団体に属したこともなく、普通の街の本屋でも売っていたようなこけしに関する本を読みかじった程度の知識しかなく、あまりどうこう言うことはできませんが昔、五郎さんとお話していて、現在使われているような化学染料が登場する以前のこけしには何で彩色されていたのか興味津々でいたのでした。ちょうどその頃、江戸時代の古い今戸焼の人形にも植物の煮出し汁が塗られている作例を確認しているので、一度煮出し汁でやってみたいといくつかの人形に塗り始めていたのでした。
土人形や張り子の人形の場合、色を塗る下地に胡粉を塗り真っ白にして、その上から顔料なり染料なりを置いていくので、膠をつなぎとして煮出した「蘇芳」や「きはだ」(黄柏)に膠の厚みがつき、重ね塗りすることで透明で重厚な色味や照りが出てくることを身をもって実感できたのですが、こけしの場合、木地に沁み込ませるように塗るので余り色部分に厚みが出るのはおかしいのではないかと思いました。また、一回さっと置いただけではうっすらぼけた痕にしかなりませんから、はっきりと発色させるには、重ねる必要があります。ちなみに現在のこけし工人さんたちは「スカーレット」や「ローダミン」などの化学染料にアラビア糊を少しつなぎとして混ぜるように聞いています。試しに使った白木の記事は作並温泉に泊まったときこけし屋さんからわけてもらったものですが、明らかに素人の絵付け体験用の6寸くらいのこけしです。本の画像の右のは全くの白木に「蘇芳+きはだ」で描いたもの。左は予め「きはだ」で地塗りした上に「蘇芳+きはだ」で描いたものです。梅の花状のをタテに5段描いていますが、一番上は一回、その下は+一回重ねるという風に下にいけば行くほど赤部分は重ねてあります。また、緑の部分は藍とキハダを混ぜました。下に黄色があるのとないのとでは発色がかなり違います。これらのこけしではやっていませんが、「蘇芳」を何も混ぜないで塗ると紫色なので、赤とは別に紫として区別させることは可能だと思います。
私自身古い真っ黒になったこけしで、明らかに煮出しを使っているというものを観たことがありませんが、こけしが生まれた時代に既に三春や堤、相良そして今戸などで煮出汁で彩色されていたので、こけしも同じやり方をやっていても不思議ではないかと思います。また植物煮出し以外にも土人形で使われていた「鉛丹」や「べんがら」などの顔料が使われていてもおかしくないと思います、ちなみに五郎さんの所蔵されている「古い遠刈田こけし」にはかすかに顔料のような痕がみえたように記憶しています。
時代が下って、終戦直後から昭和30年代くらいまで、顔料で代用して描かれたこけしが残っており、収集家の人は「邪道」のように言うのを聞いたことがあるように思いますが、当時として手に入る色で塗ったということがその頃の生活そのものであったかもしれず、王道とか邪道とか傍で言うことでもないように思いました。

関連する記事として
「蘇芳(すおう)ときはだ」→

 

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2 コメント

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染料 (ウリ坊)
2015-01-12 02:01:10
確かに、化学染料が出現するまで、色々な彩色のためには、苦労が多かったでしょうね。
都度、同じ色が出なかったり・・・
でも、それも味わいになっていたと思います。
本に、ご自分の実験(?)結果が掲載されたら、びっくりですね!
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 (いまどき)
2015-01-16 01:04:01
ウリ坊さま
ありがとうございます。
ちょっとタイムリーなことでさっきNHKでアフリカの原住民の人々のおしゃれを訪ねるという番組を観たのですが、土や泥の色を生かしたり、ある石を焼いて一晩山羊のたい肥の中に埋めておくと真っ赤になって、それを砕いて粉にして体に化粧を施している場面がありました。自分の手で自然から色を取り出すということは考えてみると大変なことですね。昔の人にとっての色材は想像できないくらい貴重品だったのだと思いました。
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