お盆を過ぎたころから日中の猛暑はともかく、朝晩は幾分涼しくなってきたような気がする今日この頃。
16日(金)はオーディオも一段落したことだしと、久しぶりに県立図書館に行ってみた。
ちょっと話が逸れるが、自分の最近のブログを読んだ娘(福岡在住)がさっそく家内に“ご注進”に及んだみたいだ。
おそらく「お父さんは、また最近オーディオにどっぷりハマってるみたいよ」とでも言ったのだろう。
「あなた、また凝り性ぶりを発揮しているみたいね。あまり度が過ぎると変人と思われるわよ。」と、(家内から)嫌味を言われてしまった。な~に、もともと変人なんだから気にしない、気にしない(笑)。
さて、「読書意欲」と「猛暑」は関係があるとみえて広い館内は比較的閑散としていた。そのせいだろうか、いつも真っ先に立ち寄る「新刊書コーナー」には、いつになく本が満ち溢れていた。
こんなことは始めてで、これも猛暑の恩恵かと内心シメシメと思いながら面白そうな本を手当たり次第に選択。
新刊本ばかり8冊(貸出制限10冊)を借りたが、うち音楽関係の本が4冊。
「神が書いた曲」「作曲は鳥のごとく」「ラテン・クラシックの情熱」「オーケストラの音楽史」。
「オークション(オーディオ)に限らず真夏は掘り出し物が多い」と、調子に乗って帰り途に地元の図書館を含めて予定外の2か所にも立ちより、これまた新刊本ばかり7冊借りた。
これから2週間(貸出し期限)でせっせと15冊を読まなければいけない。
よし、ピッチを挙げねばと、まず手に取ってみたのが「神が書いた曲」。副題に~音楽のクリティカル・エッセイ~とあるが、批評的な音楽エッセイとでも訳せばいいのだろうか。
著者の「梅津時比古」氏は桐朋学園大学の学長さんという肩書なので、お偉いさんなのだろうが、書いてあることがどうもピンとこなかった。
「独善的な感覚の世界ばかりを綴っているが、この人、いったい何が言いたいんだろう」と思いながら、とうとう最後までわけが分からずじまい。おそらく自分の読解力不足のせいだろうが、著者が書いた別の本を以前読んだことがあり、同様の感想を持ったので相性が悪いとしか言いようがないようだ。
総じて音楽関係者の書いた本にはあまり共感を覚えたことがないが、一方で作家の音楽評論にはスッと入っていけるのが不思議。
これに関連して、ふと、ずっと以前に登載したブログを憶い出した。ちょっと長くなるが再掲させてもらおう。
たいへん不遜な言い方になるが皆が激賞する「吉田秀和」さんのも、自分の方に非があると思うがこれまでストンと胸に落ちたことがなく内容にも引き込まれたことがない。自分が求める評論とは明らかに違う。
とはいえ、そもそも音符で綴られた音楽を言葉で表現するのは、はなっから無理に決まっているようなものだが。
ところがである。職業として二足のわらじを履いている方々の音楽・オーディオ評論は不思議にも実にピタリとくるのが不思議。
たとえば「音楽好きの作家」などはその最たる例。
文壇での音楽愛好家をざっと挙げてみるとすぐに思いつくだけでも次のとおり。
五味康祐 → (故人)「西方の音」「天の声」「いい音いい音楽」「五味オーディオ教室」など
小林秀雄 → (故人)「モーツァルト」
石田依良 → 「アイ・ラブ・モーツァルト」
大岡昇平 → (故人)「音楽論集」
宮城谷昌光 → 「クラシック私だけの名曲1001曲」
村上春樹 → 「意味がなければスウィングはない」
五味さんの「西方の音」については出版当時の新聞記事に「なぜプロの評論家にこんな優れた音楽評論が書けないのか」と書いてあるのを見かけたことがあるし、「音楽への情熱」が行間から伝わってくる筆力で多くの支持を受けたのも当然。
小林秀雄さんの「モーツァルト」についても、これを読んでない人は“もぐり”のモーツァルト・ファンと言ってもいいくらいの名著。
石田依良さんなどは、モーツァルトのオペラ魔笛が大好きだそうで好みの演奏はクリスティ指揮のもの。それにグールドのピアノ・ソナタとくれば自分とまったくピッタリなんでホントにうれしくなる。
さて、自分にとって作家による音楽・オーディオ評論になぜこうも惹きこまれるのかと改めて整理してみた。
もちろん、これはあくまでも個人的な意見。
1 語彙が豊富で表現力が的確
2 さすがに作家だけあって展開力にストーリー並みの面白さがある
3 音楽体験の出発点と感じ方、語り口に独自の思考法や人生観が投影されている。人生全般に対する視野の広さが伺えるところに魅かれる。
4 音楽を生業(なりわい)とする人たちからは感じられない「好きでたまらない」という熱気と純粋な気持ちがストレートに伝わってくる。それに自分たちと同じような熱烈なファンの延長線みたいなところが親しみやすさと連帯感を感じさせる。
と、いったところ。
このうち、特に表現力の問題は大きいと思う。
文筆による表現のプロともいうべき作家の筆致はやはり音楽評論家のそれを大きく凌駕している。両者ともに鑑賞する力は大差ないのだろうが、やはり著者独自の哲学や人生観を問わず語りに浮かび上がらせる表現力において読者への説得力がまるで違う。
これまでおよそ40年以上に亘って「音楽とオーディオ」の業界をつぶさに見てきたが、やはり両者のバランスが取れていた五味康祐さんの存在は実に大きかった。
すでに死後30年以上にもなるが、いまだに五味さんクラスの評論家にはついぞ出会ったことがないのが残念至極。
尻すぼみ状態の一途をたどる「音楽とオーディオ」だが、こんなに楽しくて奥の深い趣味はないのだから、その裾野を少しでも広げるためにも、音楽がたまらないほど好きな筆達者の熱心な作家が早く出て来てほしいものだが。